第16話
目の前の光景は幻想的で美しく、平時であれば雪原にてダイヤモンドダストを発見した観光客のように感嘆の溜息を吐き出すことだろう。
しかし其の実、美詞達の最後の砦が砕かれ細かな結晶となった結界の「成れの果て」が空中を舞う姿だった。
もちろんその幻想的な景色を見やる者達の顔は、一人を除き悲壮に満ちたものになっていて当然。
術の行使者である美詞は尚の事苦渋の表情を隠しきれずに歯を食いしばっていた。
(だめ……だった。どうする?もう今から新しい結界を準備できない。たとえ出来たとしても素直に奏上する暇など与えてくれないだろうな……即効性のある符を何枚か持っていれ……ううん、どちらにしろもう力が残ってないや)
「……せめてっ!祓い給へ清め給へ!」
略祓詞に続き、ポケットに忍ばせていた破魔符を投げつける。
なけなしの神力で起動させたそれは咄嗟に防御姿勢を見せた藤林の腕に阻まれるが、触れた箇所から魔を祓う効果が伴った衝撃波が繰り出された……と同時に美詞が膝から崩れ落ちる。
「みこっちゃん!?」「みーちゃん……」
攻撃を受けた藤林は腕を一瞥するとプラプラと振り出した。
「いやいや、しつこすぎだろうが。おかげで火傷しちまったじゃねーか。まぁ今度こそ手札切れのようだしいっか、特別優しいセンセーは桜井を許してやろう、その代わり一生悪魔の贄として生かさず殺さず搾り取られる栄誉を与えよう」
「……気持ち悪い……初めからそのつもりだったろうに……」
もう美詞には悪態をつくことしか反撃できるすべがなかった。
四肢には力が入らず、体内で練るだけの神力も残っていない、逃げることすら叶わないだろう。
今まで離れた場所から攻撃だけし、動くこともなかった藤林が美詞に向かって歩を進めはじめた。
それは一歩一歩が美詞の絶望へのカウントダウンとなって襲ってくる。
「ひゃはは!相変わらず威勢はいいねぇ、きらいじゃねーよ、そーゆーの。ま、次目覚めるころにはおとなしくなってるさ、自分から身を捧げにくるかわいい性格にな」
これが悪魔に魂を売ったものの言動なのだろうか、藤林の元からの本性なのかはわからないが耳に入れるには苦痛を強いられる言葉に吐き気が催す、しかし美詞にはそれらを跳ねのけるだけの力がもうない。
そろそろ年貢の納め時となってしまったのだろう。
しかしどうやら
物語はまだ
― ガンッ! ―
「なんだぁ?」
体育館に突如響き渡る金属を殴ったような音。
発生源等限られる。
藤林もすぐに気づいたのだろう体育館「入口」に視線をやる。
「……やっとか……」
ボソリと呟いた伊集院の言葉に目ざとく反応を示した藤林は怒鳴りつけるように詰め寄る。
「どういう意味だ!伊集院!!」
― ドギャッ! バギン! ―
そんなことはお構いなしにまた大きな音が響いたと同時に入口のドアが大きな衝撃を伴ってこじ開けられたように思われる……「思われる」というのも、何者かがひしゃげた鉄扉をもぎりとったような異様な光景が見えたような気がしたからだ。
「どこのどいつだぁ!こんなマネしやがっ―ぶぺらっ」
伊集院に詰め寄っていた藤林が一際大きな音に焦り入口に振り向いたところで言葉が途切れた、物理的な手段でそれ以上の言葉を強制的に途切れさせられたのだ。
水平に飛んできた「鉄扉」に巻き込まれる形で藤林が吹っ飛ばされる。
今までシリアスに絶望を詰め込んだような場の雰囲気が、まるで二足歩行の猫とネズミが追い掛け回る某アニメのようなコメディタッチな出来事に塗り替えられ体育館にいた全員が時を止めていた。
キュッ キュッ キュッ
体育館の中に響く決して大きくないスニーカーの摩擦音だけが響くぐらいにだれもが動きを忘れていた。
「おや、だれかを巻き込んでしまいましたかね?まさか人がいるとは思わなくて……いやぁ申し訳ない」
男の声が聞こえてくる、入口の方向から。
キュッ キュッ キュッ
「白々しいわよ、おもいっきり狙いを定めてたでしょうに」
「なんのことでしょう?」
男に続いて入口から現れた女の声。
男は大したことでもないかのような惚けた回答を送る。
キュッ キュッ キュッ
「遅いぞ二人とも。正直間に合わんかと思ったではないか」
前の二人に続いて声を発したのはまだ拘束されたままの伊集院である。
「いやぁ、すみません。思ったよりも強力で隔離結界の解除に手間取りました、袴塚さんに助けられましたよ」
「こっちも大変だったのよ?ここに来るまでに何体悪霊と対峙したか」
「よっぽどここに近づけたくなかったようだな……すまないがこれをどうにかしてくれんか?情けないが動けん」
「おや、気が利かず申し訳ありません」
伊集院の申し出に男は懐から刀印護符を取り出すと片手で符に霊力を籠めだし伊集院に向かって飛ばす。
人差指と中指を立て剣の形に組んだ刀印を口の前までもってくると―
「害気を祓い安陽と成せ 急急如律令【呪清解印】」
―振り下ろした。
パンッ!
伊集院を縛っていた黒い鎖は甲高い音をたてると粉々になり地面に溶け消えていく。
「助かった、ところで現状は把握できているか?」
「ええ、まぁこの吐き気を催す気配は因縁のあるものなので」
「体育館全体が儀式場になってしまった。対象はここの全員、さきほどまで結界で守られた者以外は生命力が減衰している。この場を解呪できそうか?」
「ああ、もうそちらは終わっています」
「……は?」
「元から隠匿されてる術式でしたので解かれたのに気づかなかったのでしょう。外の結界を破る際に術式経路を辿れましたので一緒にやっておきましたよ」
「……おまえはそういうやつだったな。解けているならいい、しかし……」
「ええ、奪われた生気は戻りません。とりあえず動ける者で手分けして生徒達を後方に下げていただけますか?外はまだ安全が確保できていないので避難はまだ無しです」
「ああ、わかった。あとは任せて大丈夫か?」
「今回は私が出るべきでしょう、そのためにこのチームに組み込まれたんですから……ではそちらはお願いします」
伊集院と袴塚は体育館に残る生徒達を後方に下げるため動き出す。
残った男を見つめる美詞はずっと固まっていた。
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