第15話

 藤林の意趣返しのような物言いに、吹き飛ばされた伊集院が忌々し気な口調で返す。


「言ってろ。(これだから気配のない無機物は嫌になる……純粋な霊現象ならば纏わりつくモノで察知できるが……それとは別物か)」


 すぐに起き上がり体勢を整える伊集院だがそこで右腕に走る鈍い痛みと共に力が入らなくなっていることに気づいた。


「お、腕が折れたか?まともに食らったもんなぁ、いい抵抗だったがここまで。正直てめぇの相手してらんねーんだわ」


 そう言いながら片手で印を切ると伊集院の足元から黒い鎖が数本這い出し体に纏わりつきだした。

 身を捩り足を使い躱していくが一本二本と捉えられ絡みつく鎖についに身動きが取れなくなってしまった。


「ふんぐぐぐぅ……(くそ!真言の力が切れたか……いくら相性外とはいえ効果切れが早すぎる……これも儀式の効果か!)」

「いいざまじゃねーか、今度こそそこでおとなしく見てろ。一発ぶん殴ってやりてーとこだが今はこっちのが優先だ、殺されねーことに感謝するんだな」


 既に伊集院には興味がないのかすぐに「作業」に戻る藤林。

 一方美詞の方はと言うとこちらも消耗を強いられているところであった。

 先ほどの二人の攻防中もこちらへの攻撃の手は休むことなく結界に加えられていたからだ。


(どうしよう、このままだとジリ貧だよ……でも焦りは顔に出せない。きっとなにか手はあるはず!)


 伊集院という敵に対抗できる人が動けなくなり、ただ神力が尽きるまで嬲られるだけの本格的にまずい状況となってしまった。

 頭の中でこの状況を打開するための策が思いつかない中、隣から声がかかる。


「ねぇ……みーちゃん」


 こんな状況で声がかかるとは思ってなかった美詞がはっとなり千鶴の顔を見る。


「この結界維持するのにずっと力使ってない?もちそう?」


 藤林に聞かれないようにだろうか、抑え目の声での千鶴の声に軽く顔を横に振り答える。


「ちょっと……ううん結構きびしいかも」

「たいした足しにはならないだろうけど、私の霊力使って?」

「……え?」


 そう言いながら背中……美詞の心臓の位置あたりに手を添えてなにやら準備を始める。


「私の一族の伝技はね、力の『移譲』。変換効率はあまりよくないけど全部もっていっていいから」


 秘儀をあまり知られないためか小声で聞こえた真言は聞いたことはなかったものだが陰陽道によるもののように思われる。

 背中から暖かいものを感じるようになったかと思うと体を巡るように渦巻いていくのがわかった。

 恐らく千鶴の霊力と美詞の神力を交じり合わせるために互いの体を行き来し体に受け入れやすいよう変換し馴染ませているのだろう。

 それはなにか太極図のようだと感じたことから周易八卦の力を利用しているのかもしれない。

 しかし変換される際にロスが出ているため「変換効率がよくない」と表現したのも頷けるが、千鶴の体にかかる負担は相当なものに思われる。

 現に術が発動して間もないのに既に千鶴は額に汗を浮かばせているのだから。


「ちづるちゃん、無理しないで!このままだと倒れちゃうよ!」

「ひひ、みーちゃんにおんぶにだっこ状態だしさ。これぐらいはさせてよ」

「……ち……づるちゃん……ありがとぅ……必ず守ってみせるから……」

「きにしないきにしない」


 自分が耐えれば耐えるほど親友を苦しめることになってしまうがそれでもこの結界を維持する必要がある。

 自分が墜ちれば次は背後にいるクラスメイト達なのだ。


「おーおー、友情ってやつかい?いいねぇ。でもな、桜井がやってるのは無駄な足掻きだ、耐えれば耐えるほど他のやつらは生気を吸われ続けることになるんだぜぇ?とっとと諦めてその力渡しなさいな。だいじょーぶ、先生は優しいから終わったらすぐに開放してあげよう」

「ふざけないで!悪魔の声には惑わされない!どうせ『死ぬ間際まで生気を吸い終えて』って言いたいんでしょ!?」

「おおぃ、先生の言葉が信じられねーってか?悲しいねえ、でも正解だ。いいじゃねーかどうせ死なねーんだし、事が終わればきれいさっぱり覚えちゃいねーよ。ちょいと入院して寝たきりになるぐらいだ」

「悪魔の声には惑わされないと言った!あなたを野放しにもできない、最後まであがいてみせる!」


 豪快に啖呵を切ってしまったが状況はとてもいいとは言えない。

 今も受け取り続けている霊力により幾ばくか回復しているとは言え、燃費の悪いこの命綱は今も美詞の力をごくごく吸い取っていく。

 しかも背後でがんばってくれている友人の息遣いがかなり荒い、歯を食いしばりながら術を行使しているのが見ずとも解る。


「おっと、“上司”がお冠だ、本腰いれねーとな。サラリーマンは辛いねぇ、上には逆らえんのよ。だからよぉ―」


 藤林が再度掲げた手の平には黒い靄が見える。

 それを握りつぶした次に起こった現象は周りに浮遊する備品や機材らに黒い靄が纏われたことだ。


「―さっさと諦めてくれや」


 振り下ろした手が合図となり黒く染まった凶弾達が周囲を埋め尽くさんばかりに飛来してくる。

 最初に到達したパイプ椅子らしきものが結界の膜を大きく揺らす。

 先ほどまでとは威力が違うのはわかるが結界が崩れることはない、なんとか耐えれると思ったその時、視線の先に映ったのは結界に生じた小さな黒いシミ。

 元々小さなそれはほどなくしてさらに小さくなり消えていくが結界を脅かすモノがぶつかった箇所に次々と黒いシミが付着しているようにも見える。

 それらもほどなくして結界の浄化力により消えていってるようだが数の多さに次々新しいシミが生まれ浄化が追いつかなくなってきている。


「……なに、あれ……」

「しん……しょく……浸食さ……れてる」


 力の流れを診るのが得意な千鶴の絞り出すような声が美詞の疑問に答えるとぎりっと歯を食いしばる。

 世界地図に描かれたような数多くの島々のような点はやがて大陸に成長するのだろうか、そしてどの規模でその「浸食」によって結界が崩壊してしまうのか、それを考えた時結界崩壊のカウントダウンが目に見える形で始まってしまったのを感じた。


「だめ……浸食領域を増やすわけにはいかないの……お願い、ふんばって!」


 掲げた護符に更に燃料を投入するかのごとく神力を籠める。

 浄化のスピードはたしかに上がったが浸食速度はそれを上回っている状態のまま……これが西洋の悪魔との相性の悪さなのだろうか。


「いや、正直よく耐えてるよ桜井。神道の術でよく悪魔の力にここまで対抗できたもんだ。でもよぉ、もう正直ガス欠が近いだろ。無理スンナとっとと墜ちてろ」


 更に追い打ちをかけるように込められた悪逆の力は結界を脅かしていく。


「あ」


 必死に耐えている美詞の後ろでぼそっと聞こえた声、なにかがプツンと切れた感覚と共に後ろでドサリと倒れこむ音が聞こえた。


「ちづるちゃん!?」


「……ごめん……みーちゃん、もうすっからかんだわぁ……パスが切れちゃった、最後まで支えれなくて……ほんとごめん」


 笑顔を作ろうとしているその顔は真っ青で呼吸が浅く手足が痙攣を起こし始めていることからとっくに限界を超えていたのだろう、今はすぐに寄ってきた夏希にかろうじて支えられている状態だ。


「ううん、いっぱい無理させちゃったね……ありがとう。ゆっくり……は無理だろうけど休んでて」


 そう言いながら忌々しそうに結界を見つめる。

 いまも尚浸食してきている黒い靄の速度のことを考えると恐らく千鶴が回復できるまで休んでいる余裕などないのは明白であったから。

 そしてついに均衡が崩れる音が響いた。


 パキッ


 黒く変色してしまった箇所を中心に結界に罅が入る。


(浸食された場所が脆くなっている?……)


 そして事態は更に悪化した。

 結界に体育館中の備品が「刺さり」だしたのだ。

 そう、今まで「弾き返していた」ものが「刺さった」のだ、それどころか刺さった箇所に残った物から大量に黒い力が流れ出し浸食範囲をいっきに広げだしたのだった。


「はぁ、やーっと抜けたぜぇ。もう理解できただろ?こっからは巻き返せねーってこと。ハッハァッ、チェックメイトだぜ桜井!」


「だめ!お願い、負けないで、私の残り持っていっていいから守って!!」


 わかっていた、必死に護符に力を送り続けるが崩壊の綻びは既にどうしようもないレベルに達していること。

 とっくに把握していた、自分の力が枯渇寸前でエンプティランプが点っていることなど。

 最初から理解していた、日本古来からの術式では西洋悪魔との相性がよくないことぐらい。

 それでも、自分には悪魔に通じるような攻撃の手段などない……守る力しかなかったから。

 これが物語の主人公であるならば……きっと新たな力にでも目覚めて大逆転劇が始まるのだろうが目の前の現実は―


 パリンッ


 ―非情なまでの無力さであった。

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