第13話 あるメイドの一日(3)

「ねえ、どうだった?」


「何が?」


「奥さまよ! アリアお嬢さまと初対面だったでしょ!」


 プランケット邸の裏手、使用人宿舎。


 昨晩の捜索で寝不足であっても、年若い少女たちが集まれば、いつだっておしゃべりが始まる。


 みんな寝間着に着替えてもう寝るばかりとなり、それぞれのベッドの上で気楽に寝転んでいた。


「『出てお行きなさい! 貧民にプランケットの敷居は跨がせなくてよ!』とか怒鳴った?」


「あんたバカね、奥さまがそんな手ぬるい罵倒をするはずないでしょ。『あら? なんか臭いわ。ドブみたいな汚らしい臭い。掃除は行き届いているはずなのになぜかしら?』と不思議がりながら、あの冷たい目でチラッと見るのよ!」


「こっわ~!」


 好き勝手な想像に、メラニーはため息を付いた。


「奥さまは仕立屋を呼ばれたわよ。アリアお嬢さまのドレスを作るために」


「「「……えっ!?」」」


 思いも寄らない事実に、メイド仲間はいっせいに振り返った。


「奥さまが!?」


「あの氷の貴婦人が!?」


「そうよ。アリアお嬢さまには最初からお優しかったわ」


 だから失礼なことを言わないでよねと睨みつけると、少女たちはしゅんと小さくなった。


 だが、反省は長くは続かない。


「でもじゃあ、浮気はお許しになったってこと? あんなに怒って、二週間もひきこもってたのに?」


「だーかーらー、旦那さまの種じゃないって何度も言ってるじゃない」


「それがわからないのよ! だったらなんで無理を押して、孤児院の子を引き取ったのよ?」


「あたしは知らない。アリアお嬢さまも知らないわ。でも奥さまはご存知だったみたいよ」


 そしてたぶん、アリアの亡き母と親しい間柄だったのだろう。


 そうでなければ、あの壁の厚いエミリエンヌが、最初から柔らかい態度を取るなんて考えられない。


「じゃあじゃあ、初恋の人の娘とか?」


 身を乗り出して聞いたのは好奇心の強いミシェルだ。


 メラニーの一つ下の十六歳で、プランケットには去年やってきた。


「あたしが奥さまだったらそっちの方がいやだわ。勝てないじゃない、思い出の中の女には」


「あら、旦那さまがそんなロマンチックな理由で動くかしら? あの仕事人間よ? きっとなんか政治的な理由に決まってるわ」


 やけに大人びた返答をしたのが恋多き女アンナ、現実的なことを言うのがしっかり者のサラ。


 みんなメラニーと同じ、一般女中ハウスメイド仲間である。


「えー田舎町のみなしごだよ? どんな利用価値があるっていうの?」


「だからきっと、とんでもないお生まれなのよ。でなきゃやってられないわよ」


「でしょうね。そうでなきゃ、旦那さまが毎日お茶を一緒にしたりしないわ。セレスティーネさまとだってしていなかったのに」


 のっぴきならない事情があって素性を明らかにできないが、やんごとなき生まれの少女。


 実際のところ、プランケット邸のほとんどの家事使用人たちにとって、アリアというのはそういう解釈の存在だった。


 来たばかりのころは、自分たちよりも階級の低いみなしご──それも半獣セーミスという最下層の出自を持つ少女に仕えることに、みな抵抗を持っていたが、すぐに彼女自身のその振る舞いが、ただの孤児ではないことを悟らせた。


 家庭教師が教えるまでもなく備えていた礼儀作法や知識、尋常ならざるピアノの才能、人心をつかむ力。


 下町の孤児院で暮らしていたというが、見た目も才覚も明らかに下層階級とは思えない。


 これはおそらく中流以上の者よりも、労働者階級に近い出身である使用人のほうが気づくことだろう。


「閉じ込めたのは、やっぱりセレスティーネお嬢さまなの?」


 ミシェルの問いに他の三人は少し眉をひそめ、メイド仲間しかいないというのにひそひそと声を押さえた。


「魔術式が納屋のドアに貼り付けられていたんですって」


「中の声が届かなくなる式が書かれていたんでしょ? タチが悪いわ」


「うーん。魔法まで使うのはちょっとねえ……」


 メラニーからは何も言っていないが、人の口に戸は立てられない。


 セレスティーネが侍従と二人がかりで、魔術式まで使って養い子を納屋に閉じ込めたことはもうすっかり屋敷中に知られていた。


「……わたし、西翼担当じゃない?」


 重い口を開いたのは、これまでずっと黙っていたクロエだった。


「だからセレスティーネお嬢さまの部屋も入るんだけどね、なんか……侍従と一緒に寝てるみたいなの」


「「「「……!」」」」


 少女たちは絶句して顔を見合わせた。


「……あー。そういえばトゥーサンが言ってたわ。リクハルトが宿舎に帰ってこないことがあるって。あれ、そういう意味だったのね」


 アンナの言葉に、誰からともなく、「うわあ……」とため息のような呻きが上がって、しばらく沈黙が落ちた。


 セレスティーネは九歳。


 リクハルトは――ボロボロだったのをセレスティーネが連れてきたというので正確な年齢はわからないが――たぶん、同じような年齢と思われる。


 血の繋がりがないとはいえ、まだ子ども同士ということを考えると……。


「……セーフ?」


「アウトよ、アウト」


 メラニーのガバガバ判定を、座った目をしたサラが叩き落とした。


「さすがに問題だわ。まったく、ご令嬢が男の侍従なんて使っているだけでもおかしいっていうのに……奥さまに報告しないといけないわね」


「やめて! わたしが言ったってバレちゃう!」


 クロエは慌ててサラを止めた。


「部屋に入るのなんて、あの侍従かわたしくらいだもの。知らないでしょうけど、お嬢さま、侍従への執着がすごいのよ。部屋にいる間、ずっとべったりくっついてるの。奥さまに言ったら絶対引き離されるでしょ。そうしたら間違いなく怒り狂うわ! 何をされるかわからない……!」


 あのドライな少女が怒り狂うという様子は想像できなかったが、実際に今日のような前科がある。


 メラニーたちも困って、また顔を見合わせた。


「わたしが言いたいのはね。セレスティーネお嬢さまはこっちが思うよりだいぶ変わっているから、アリアお嬢さまに気を付けてあげなさいってことよ。メラニー」


 メラニーは、何をどう気を付けたらいいのかよくわからないまま、とにかく「うん」と頷いておいた。


 寝る前には、字の練習も兼ねて日記を書く。


 メイドの仕事は忙しいけど単調で、いつも二、三行を書けば終わってしまう。


 それが、アリアが来てからは書くことがすっかり増えてしまった。


 こっそりおやつのケーキを一緒に食べたとか、庭師の妻が焼いたクッキーを一緒に食べたとか、どこに行ったか探していたらまさかの厩舎で乳搾りをしていたとか、それで搾りたての牛乳を一緒に飲んだとか。……今気がついたが、飲み食いした記録がやけに多いかもしれない。


 メラニーの故郷は領都近郊の田舎町。


 町では有名な商店を経営する両親には、自分の下に弟と妹が一人ずついる。


 故郷に残してきた妹は、ませていてわがままで、そうかと思えば時折姉を驚かせるほど大人びた発言をするような女の子だった。


 アリアと似ているかと言われるとそうではないが、思い出すたびに胸の奥から湧き上がる温かい気持ちは、とてもよく似ていた。


 トントン、と窓を叩く音がした。


(もしやこの夜更けに追加の仕事か?)と少女たちの顔はこわばったが、窓辺から顔をのぞかせたのはまさかのアリアであった。


「夜遅くにごめんなさい。灯りがついていたから、まだ起きているかなと思って」


「お嬢さま! 夜に出歩いたらだめですよ!」


 時刻は二十二時半を回ったところ。子どもはとっくに寝かしつけられている時間である。


 だからメラニーたちも仕事が終わり、寝間着に着替えているのだ。


「夫人とずっとお話していて遅くなっちゃったの。それでね、これ……」


 ――えっ夫人?

 ――夫人って奥さまのこと?

 ――話すって何を?

 ――しかもこんな時間までずっと?


 メイドたちの脳内には大量の疑問が浮かんだが、口にする前に、メラニーの手に小さな缶が置かれた。


 薄紫色の花とレースで彩られた、見たこともないほど美しい缶。


「スミレの砂糖漬けだって! 夫人がお客さまから頂いたんだけど、一個食べれば十分だからって、残りを下さったの」


 芸術品のような美しい缶に、少女たちの目が吸い寄せられる。


「昨日、わたしのせいで寝る時間が減っちゃったでしょ? ごめんなさい。探してくれてありがとう! よかったらみんなで食べてね」


 ランタンよりもはるかに眩しい笑顔。


 それじゃあおやすみ、と帰ろうとするので、メラニーは慌てて「お供しますよ!」と呼び止めたが、柔らかいプラチナブロンドがふるふると振られた。


「ここまで料理長が送ってくれたわ。だってメラニーの寝ている場所わからないし。帰りも一緒だから大丈夫」


 明日もお世話になるわねと、嘘みたいに愛らしいウインクを残して、アリアは去っていった。


(あ、あざとい。あざとかわいい……)


 メラニーは缶を手にしたまま、天を仰いだ。


「あたし、一生アリアお嬢さまについていくわ」


 ミシェルはスミレの砂糖漬けを凝視して宣言した。


 彼女も大の甘党である。


「みんながなんであんなに騒いでいるかわかったわ……。今のが毎日でしょ? ひとたまりもないわね」


「たらしの才能を持って生まれたのね。掃除婦の名前も皿洗い女中の誕生日も、全部暗記してるって噂もあるわ」


「アハハ! さすがにそれはないでしょ!」


「……」


 丸暗記している可能性は高いが、言ったらひかれそうなのでメラニーは黙っておいた。


 クロエは扉を見つめたまま、「すごくいい子ね……」とつぶやいた。


「顔も性格も天使みたい。あんな子が、ある日突然妹ですってやってきたら――すっごく、嫌でしょうね。だって愛情も期待も、全部あっちに行ってしまうもの」


「……」


 全部なんてことはない。愛情というのは定量ではないから。


 循環すればするだけ、愛する人が多くなれば多くなるだけ、増えるものだ。


 だがクロエの言う通り――減った気はするのだ。


 妹が生まれた時、黒雲のように湧き上がった危機感を、メラニーもたしかに覚えていた。


「だからっていじめていいわけじゃないわ。どこの長子も折り合いをつけていくのよ」


「サラ……わたしだってそう思うけど、正論が通じない相手っているじゃない。わたしも気を付けておくから、メラニーも、みんなも気を付けてね。……いつか一線を超えちゃうかもしれないから」


 それはリクハルトとのことなのか、アリアのことなのか。


 判別はつかなかったが、胸のうちにほのかな不安があり、メラニーはとりあえず頷いておいた。

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