第2話(2) 俺様とチーム

 俺様の名前は安藤あんどう道男みちお


 地球と言う惑星にある日本と言う島国、その中の東京と言う区分けされた場所で、否定する者と戦う組織エクスカリバーに所属し、チーム・ガラハッドの一員になった。


 俺様はエクスカリバーによって身体の隅々を調べられた。


 身長や体重を測り、血を抜き取られ、網膜や指紋を記録された。胃や腸等の内臓、脳まで覗きこまれた。他にも様々な事を調べられたのだが、疲れると言うよりは至極退屈で、死ぬかと思った。


 検査と言う概念はめんどくさいと記憶しているから、検査そのものを拒否しようと思った。

 それでも受けてやったのは今の俺様がどんな状態なのかを詳しく知りたかったからだ。


 結果は異常無し。然代タリアとしての分類は身体スーパー強化型フィジカルで、雅と同じ。能力値とか言う強さの目安も測るのだが、カラクリが測定不能ばかりを出してよく分からなかった。


 そんな些末な事は置いといて、俺様はエクスカリバーから部屋を貰った。鍵は錠前を開ける鍵では無く、デバイスとか言う小さなカラクリ。様々な機能を有しているが、五次元先から否定する者に特定されないよう、新然代の発する力を攪乱しているのが一番重要な機能だろう。


 壁と調和の取れたカラクリじかけの扉の前にデバイスをかざすと、扉が横に開く。


 サンダルを脱ぎ、人二人分が通れるくらいの通路を歩いていくと、広い空間に出てきた。


 部屋の内装を見渡すよりも俺様は異物の排除に動く。


 ヒラヒラした布から丈の短いズボン、少し意匠を凝らした上着から被り物の付いた黒い服。変わってはいるが、紺色に寄った短めの髪からして雅だ。


 俺様は一気に距離を詰め、後ろから雅を殴る。俺様だけの部屋に侵入している事、動けなかった俺様に手刀を繰り出した事、許されると思うなよ。


 振り返って受け止めたか。


「安藤さん」


 壁まで吹っ飛ばしてやろうと掌底を繰り出してみたが、手首を捕まれ防がれた。


 むにゅ、もにゅもにゅ。


 心臓の位置を狙ったからな。放させる方法はこれが手っ取り早い。

 それにしても、手に収まるちょうどいい大きさだな。


「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」


 うるさい。聴覚を意識的に遮断できればな。

 足を引っかけられ俺様の体勢が崩れる。

 そうはさせるか。倒れる俺様は雅の腿をつかみ、道連れにしてやる。


 息が苦しい。花の様なにおいがしてくる。

 俺様の顔の上を雅が跨っていやがるのだ。


「ヤァァァアアアアアアアアアアッ」


 いちいち叫ぶな。引っこ抜いたマンドラゴラか貴様は。


 離れたので反撃しようとしたが、顔面をおもいっきり踏み付けられた。



 目が覚めると、また寝台の上だった。今度は広く、寝心地の良い、エクスカリバーがくれた俺様の部屋の寝台か。


 気配がするので起き上がってみたら、隣にある寝台に雅が正座している。


「ごめんなさい。慌てていたから、つい、やり過ぎてしまいました」


 頭は下げたが、土下座しないのか。ここは俺様の部屋だぞ。


「何故、貴様が俺様の部屋にいるんだ? 去れ」


「安藤さん。影森司令から、私と一緒の部屋になる事を聞いていないんですか?」


 雅がしれっと言ってみせた。


「待て、スミレ」


「雅です」


「貴様、王子様が来るまで処女を守る事に固執していた癖に、変態変態と散々罵った俺様と、どうして一緒の部屋でいられる? 捧げる気にでもなったか?」


「バカ、変態、死んでください。間違っても、君が考えているようなことは、一切、断じてありえません」


 ちょっとからかってやったくらいで、この過剰反応。そんな奴が男と同室するのを受け入れられる筈が無い。ならば何故、受け入れている節があるのだ。影森の命令だからか。


「はっきり言います安藤さん。私は君を信用できません。君が否定する者、その他エクスカリバーを快く思わない組織のスパイだと思っています。君が怪しい行動をしないかを見張れるよう、私から影森司令に頼みました」


 堂々と使命感に燃えている雅。こいつこそ馬鹿か、影森の冗談を真に受けやがって。


 おのれ、影森め。特別に用意した広い部屋だと言っていたが、雅と一緒だから特別に広いのか。


「ならば貴様は四六時中、トイレに風呂までついてった挙句、俺様の腕枕で寝る気か?」


「ッン、コ、コホン。その点に関しましてはご安心ください。私は変態の君と違ってわきまえていますし、忙しいですから。ただし、怪しい痕跡が無いかは調べさせて貰いますので、せいぜいボロを出さないようがんばってください」


 ずいぶん生意気な態度だ。取り乱さないよう咳払いして堪えた癖に。


「構わん。勝手にしろ」


 一人になれず落ち着けないが、俺様には後ろ暗い事が無い以上、納得いくまで雅に見張らせればいい。いずれ俺様が間者の類じゃないだろうと分かる筈だ。


 改めて俺様は寝台の上で胡坐をかき、目を瞑る。


「せっかくベッドがあるのに、変わった寝方をするんですね」


「瞑想だ。貴様に気絶させられたせいで寝られんからな」


「……そうですか。でも、私が見ているのに集中なんてできるんですか?」


「問題無い。貴様が快楽に堕ちる様を夢想するからな。いた方がやりやすい」


「二度と目を開けなくていいです」


 冗談はさておき。俺様は思考に浮かんでくるものを無視し、消えてもなお残ったものに想いを巡らす。


 高尚なものを俗に貶め、卑俗なものを高尚たらしめ。意味あるものから意味を排し、無意味なものに意味付けし。三つに大別された時間を一つに、一つの時間を新たな三つに大別。整列した混沌における理性と狂気を描いていた。


 そんなもん全てどうだっていい。全ては俺様を見張る雅を、反対に俺様が見張る為の手段に過ぎん。


 ようやく寝たか。

 今は二時過ぎ。瞑想を始めたのは二十三時くらい。約三時間の間、雅はトイレを除いて、身じろぎせずに瞑想する俺様を見張り続けていた。


 しかし、めんどうだな。多少の息苦しさなら許容してやろうと思ったが、こんな調子が長く続いたら胆力の強さで俺様が雅に勝つとしても、精神的負荷はかなりのものだろう。どうにかしてやめさせねばならん。


 それより一先ず寝るとしよう。朝になったらこの世界についての話を聞く事になっているからな。



 俺様はエクスカリバー内部にある食堂で日替わりランチを食べていた。


 渡されたデバイスには財布の機能もあり、券売機の読み取り部分にかざし、食いたいものを選び、もう一度デバイスをかざせば買った事になり、出てきた食事を空いている席で食えばいい仕組みだ。


 それに比べて、人間達の社会の取り決めに関する話、こいつは退屈の極みだった。

眠かったのと、がんじがらめな癖して簡単に覆る常識と言う奴は好きになれん。しかも、ほとんどは聞き覚えがあったしな。


 まぁ俺様の情動を邪魔しない限り、ある程度は応じてやるつもりだ。


「みっちー」


 小鳥やリスみたいな鳴き声、じゃなかった。可愛さをかもした花瑠の声が「道男」を「みっちー」の愛称にして俺様を呼んだ。


「貴様、何の用だ?」


「んもぉ~、花瑠だよ、花瑠。忘れちゃったなんて、ヒドいな~」


 ほんわかした雰囲気が侵食してくる。


 花瑠が野菜と果物ばかりの食事を持って俺様の正面にズケズケと座ってきたからだ。


「聞いたよ。雅ちゃんと同棲一日目で、早速やらかしたんでしょ。揉みしだいて、雅ちゃんをオンザヘッドなんて、エロ魔王としての素質はそれなりにあるねぇ」


 茶化してきた。やはり雅と違ってそう言うのは平気な方みたいだ。


「征服者から財産を守る。古来よりある権利を行使したまでだ。貴様は自分の部屋に変態がいても平気な女だと言う認識でいいんだな」


「分かってるって、みっちーが無罪放免だって信じてるよ。でも、雅ちゃんを悪く思わないであげてね。おにマジメなだけだから」


 やわらかい調子で両方の顔を立てようとする。

 偽善者め。自室に変態がいても平気な緩い女だと認識しよう。


「一つ聞きたいのだが、貴様はいるのに。何故、目付けの姿が無い。気配も感じぬぞ」


「めつけ? 目付け……ああ雅ちゃんね。雅ちゃんは学校だよ」


 学校。確か教養を得て社会の歯車にならんとする門の類だったな。この国では十代の人間のほとんどが学徒になっているんだったか。


「待て。何故貴様は学校に行ってないのだ?」


「ふっふっふぅ、そこに気付いちゃいますか。天才ですね」


 妙に不敵な笑み。花瑠も影森の同類みたいで面倒くさい。


「私、アイドルだから、今日はお仕事で学校お休みなんだ」


 花瑠は特権があるみたいに、ずいぶん自慢げだな。


「そんなにすごい仕事なのか、アイドルとは?」


「もしかして、もしかしなくても、アイドルを知らない?」


 頷いた。

 俺様の手がいきなり包みこまれたと思ったら、グイと花瑠の方に引っ張られた。


「初めまして♪ みんなをハッピーにしたくて、お空からやって来ちゃいました。ハッピーエンジェル『ののえる』こと、能村花瑠です。よろしくね☆」


 


「みっちー、アイドルってスゴイお仕事なんですよ。カワイイ歌にダンス、キラキラ笑顔とこうした握手でいろんな人にいっぱいパワーをあげちゃうんです」



「つまり、アイドルはみんなにとっての太陽なんです、夜空に輝く星なんです」



「それに、あげちゃうだけじゃなくて、喜んでくれたりする人がいると、アイドルだってい~っぱいパワーを貰えちゃうので、とってもハッピーなお仕事なんですよ」


 要は大衆の支持を集めようと、あざとく媚びる偶像。俺様の手をでかいおっぱいに引き寄せたのが証拠。

 正に字義通りのアイドル、キラキラしてるだけで無価値なペテン師。引っかかった大衆は餌に群がる蟻か。


「ヒドい!!」


 手を離してきたが捕まえてやった。


「ちょっ、離して。みっちー」


 言いたい事は他にもあろう。


「ヒドいよ。見てくれるのはアリさんじゃなくて人間なの。現代社会に疲れちゃった心のキレイな人達なんです。そして、アイドルはペテン師じゃありません。キラキラしてるスターなんです」


 怒った、怒った。イタチみたいに怒りおったわ。


「それと私はイタチさんじゃありません」


(心を読んでたな、超能力者エスパー


 目を逸らすな。ヘタクソか。


「……エヘヘ、ごめんね」


 小さく舌を見せて、謝る気が無いな。むしるぞ。


「もしかして、最初から分かっちゃってた、とか?」


(貴様の能力が不明な時点で警戒していた)


「ぇえーッ」


(貴様が触れた瞬間、俺様の思考を覗き触ってくる感覚がしてな。少し閉じさせてもらった。読めなくて焦っただろ。手汗が多かったぞ)


「そう言うことはシーッです」


(心は読めても心に話しかけることはできないようだな)


「はい、できません」


(あっさり認めるのか。まぁいい。俺様は貴様を怒らせて隙を作り出し、心を読んでいた事を自白させた)


「当たり前じゃないですか。一生懸命頑張るアイドルを、応援してくれるファンをバカにされて、黙っているののえるなんて、ののえるじゃありません」


(いくら「える」を使ったところで貴様は天使ではない。人間、小動物。後、貴様の言う太陽と星は同じもの。違いがあるとしたら地球との距離くらいか)


「もういいです」


(ふて腐れたか)


「あの、もし、もしも、私が触れたものをボーンしちゃったり、洗脳しちゃう系だったりしたらどうするつもりだったんですか?」


(勝つ。それだけだ)


 思考を触られている感じがしなくなった。俺様の絶対的な信条が花瑠を弾いたのだろう。ちょいとおどかしたくらいで大した影響は無い。


「……すごい、自信ですね。雅ちゃんに負けたのに」


(貴様)


「うわぁ、怒らないでください」


(その件に関しては矛を収めてやる。解せんのは俺様の心を読んだ事だ。質問したら答えてやろうと言うのに)


「むぅ」


(頬張ったリスの顔をするな)


「握手de魔王のハートにスパイ作戦(仮)失敗です。さすが、魔王と呼ばれていただけのことはありますね」


(茶化すな。俺様がその気になれば、読んできた花瑠を、一千年分の惨劇を一瞬に凝縮した心象風景で抉り裂く事も、不可逆的で偏執的に代謝する差異無き阻害の迷路に幽閉する事だって造作も無いぞ)


「偏執? 差異? ええとわかんないよ」


(みだりに心を読むな)


「ごめんね。心を読んじゃったこと、ふざけちゃったこと、本当にごめんなさい」


(ずいぶん殊勝な態度だな)


「当然です。みっちーに悪いことをしちゃいましたからね」


(謝るくらいなら初めからするな。本心では悪いと思っていない癖に)


「ごめんね。手を離してくれるかな。私、そろそろレッスンだから行かないといけないの」


 俺様は手を離してやった。花瑠の用事なぞ俺様の知った事ではない。ただこれ以上捕まえておく意味は無いし、思考を閉ざすのに疲れたからだ。


「あ~あ、仲よくなるなら、やっぱりズルしちゃダメだよね」


 聞き取りづらかったが、オリヴィアほど早口じゃないし、小さくもない。余裕で聞き取れる範囲の独り言。


 俺様は花瑠が好きになれん。あの、ほわほわ、ふわふわ、にゅわにゅわ、ひたすらに甘ったるくて、他まで腑抜けにさせようとする天真爛漫が苦手だ。その上、人間の癖に天使を自称しているから、なおさら性質タチが悪い。


 アイドルはエネルギーを与えると言っていたが、俺様には一カロリーも増えた感じがせん。


 全てが嫌いと言うわけではない。幼女みたいな体つきに不釣り合いな大きい胸と尻。生贄としては申し分ない。


 サイコメトリーを使って俺様の心を読んできた事も評価しよう。花瑠にはああ言ったが、最弱状態の今でも思考を使った戦いが可能な事を確認できたからな。



 刃物と言える腕を四本生やした否定する者を倒した。正確に言うと、擬似的に再現した象が消えた。


 エクスカリバーのビルにはトレーニングルームと言う名の修練場がある。

 三百キログラムまである重り、延々と走れる動く床、拳や蹴りを叩き込める砂袋、様々な器具が置いてあった。


 一通り器具を試した俺様は、その奥に続くXRトレーニングルームも試してみる。


 広大な部屋は量子演算の制御の許、様々な状況の戦場をカラクリの力で作り出し、五感を騙す。擬似的に再現した腕四本の斬撃を試しに受けてみたのだが、皮膚は切れず血が出ないだけで、その通りに痛覚を刺激してきた。


 否定する者の仔細な動きまでよく表せているのに、再現できる雑魚が腕四本と鈍間のろまな砲台の二種類だけなのと、少しでも感覚を研ぎ澄ませてしまえば、子供だましの茶番としか思えなくなる事が欠点だろうか。


 見ているな。上から見下ろせる貴賓席いやモニタールームと呼んでる場所からだ。


 思えば、身体検査から自室に入るまで、自室を出た後から今までの間、粘つくジトジトした視線を感じていた。


 慣れぬ場所だし、警戒し過ぎかと思っていたが、死角に隠れた油断からひょっこり頭が出ているところや、目線が合ってしまったのでしかたなく逸らしてやる事もしばしばあった。

 泳がせるのはやめだ。


 狭くて暗い箱に隠れた斥候は俺様を一方的に見ている優越感、見つかった時に殺される緊張感で、さぞかしいっぱいなんだろうな。


 上手く隠れた筈なのに、燃え盛る炎を瞬く間に喰らい尽くし、肺の中に汚泥を詰まらせる淀んだ殺気が迫ってきたら、斥候は斥候の矜持を果たせるかな。


 見る。


 一拍。


 消えたから安堵の息づかい。止まった震え。


「あぶねぇ、あぶねぇ」


 聞こえる独り言だな。


 鉄製の箱を貫く俺様の腕。フタごと驚いた中身を引っこ抜く。


 フタと一緒に俺様が叩きつけたのは魚だ。人間の形態をしながら逸脱したコバルトブルーのアジ。端的に言えば魚人だ。


 口を使わず首に付いたエラで呼吸し、手足に付いた水かきで水中を自由自在に泳げる。


 魚人は俺様から逃げていた。

 身体能力は人間よりも遥かに優れ、走るのに邪魔な水かきは自由自在にしまえるから関係無い。


 魔法で生じた水たまりに片足を突っ込んでいる。

 召喚魔法で呼び出された存在が自らの意思で元いた場所に戻る為の権利。その為の門が間も無く完成する。


 それなら首根っこを捕まえ床に叩きつければいい。権利を行使するよりも速く強い衝撃で中断したから、門となる水たまりは跡形も無く消えた。


「テメェ離しやがれ。誰に手ぇ出してんのか分かってんのか。ブッ殺すぞ。ちくしょう」


 威勢の良さはともかくとして、頭にちょこんとヒレが生えているだけだから、まだ若い。それにしてもチンピラみたいな格好をしているな。


「グエッ」


 この呻き声は俺様が魚人の足首を踏んで折ったからだ。


 ヒレをつかんで頭を持ち上げる。


「言え!! 貴様の召喚者は誰だ。干からびるよりも先に油で揚げるぞ」


「テメェこそ黄色の回し者か。やってやんぞコラ」


 床に叩きつけて頭蓋にヒビを入れといた。

 生命力は高いから三十分もしたら元通りだがな。


 やれやれ埒があかん。一つ試してみるか。

 魚人の襟首を持ち上げ俺様を見させる。


 俺様の顔に唾を吐きかけてきた。ねっとりして不快だが、まぁいいだろう。


「知れ」


 貴様が覗いた向こう側は水底よりも深く暗澹あんたんとした闇。原罪の始祖たる最古の邪悪。生と死の境を捻り潰す奔流。貪る混沌を身に纏う存在の根源。魂に刻みこまれた恐怖を思い出せ。


 理性が枯れる叫びだった。


 うるさかったのはいいとして、膝に手を置くくらいしんどい。相手に一分の隙も無く恐怖を与える事がこんなにも大変だとは思わなかったぞ。



「ごご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 涙声で許しを請うオリヴィア。


 斥候を放ったのがオリヴィアだと吐いたから俺様は奴の部屋まで足を運んだ。


 ドアを開けてすぐ引きずった魚人をあいさつ代わりに投げ入れ、甲高い悲鳴を上げている隙に間合いを一気に詰め、壁際まで後退させた。


 駄目押しにオリヴィアの横っ面スレスレに突きを放つと、無様に腰を抜かして泣いたのだ。


「言え。俺様に斥候を放った理由だ。言わなかったらにえにするぞ」


 口を震わせ臆病で息苦しいと言うところか。これでもかなり手加減してやった方だ。廃人にしたらしたで、理由を聞くのに手間がかかるし『水厄の魔女』と呼ばれる所以を確かめられなくなるのは困る。


「あ安藤のしょ、しょ正体が分かりないから、きき、危険な存在かか、どおなのか確かめたかった。でもやっぱり、き危険だった」


 まったく雅と言い、花瑠と言い、オリヴィアと言い、どいつもこいつも俺様の話を信じなかった癖に、それぞれ探りだけはするのだな。


 まぁ、俺様が奴等の能力に興味があるように、奴等も俺様に興味があったと言うことにしておこう。


「いいか、これは警告だ。俺様に二度と斥候を放つな。次、姑息な手を使ってみろ。火炙りでは済まさんぞ」


 ただし、理解してやったところで俺様を見張る事を許可するかどうかは別だ。


、い」


 奇声じみた返事。それにしても間近で見ているのに、未だオリヴィアの顔が分からない。部屋が暗いのもあるが、長すぎる白い髪に隠れているせいだ。


「ヒェッ」


 オリヴィアの前髪に触れた。しとりと艶があり、戯れたくなる絹の様な触り心地。優しく繊細に白騎士の如く高潔にいてやる。


「分からん」


 隠す理由が分からない。

 オリヴィアの顔立ちは黄金比と言える美しさ。人間、魚人や新然代とは違う別の存在だと俺様の直感が告げている。


「綺麗だ」


「なにが?」


「貴様がだ」


「……嘘………………」


 信じていない。オリヴィアは俺様が担いでいると思っているのだろう。


「嘘をついてどうする。貴様の様に無駄を削ぎ落とした優美な華奢さは貴重だ。母性が足りぬとぬかす者もいるだろうが、対極のわびさびだ。なにより洗練した造形の細い脚や腕は、誇っても誇り足りぬ。飽きずにずっと愛でられる者も少なくないからな」


 オリヴィアに言った「綺麗だ」がまことである証を立ててやろうと、俺様なりに魅力だと言える部分を挙げてみた。


「ど、どうせ私はまな板、コンクリート。骨と皮のガリガリ。無駄に背がデカいだけで需要ゼロのスレンダーウーマン。ウフフ、せいぜい鶏ガラ。でも、魔女のエキスなんて、スプーン一杯で十万人くらい殺せる毒物かも。フヒッ、有害生物である私はどう死ねばいいのかしら」


 なんだ、この押し寄せる自虐は。こうなれば。


 俺様は顎を持ち上げてオリヴィアを黙らせた。


「卑屈精神も大概にしろ。俺様が貴様を綺麗だと思ったから、綺麗だと口にしたのだ」


 今度こそ真である事を証明してやったのだが、今はろくに瞬きもせず碧眼を潤ませている。


「舌を噛んだか?」


 口を閉じた瞬間に持ち上げたから舌を噛む筈が無い。しゃべれるよう添える程度の力にしてある。なのに何故、オリヴィアは黙っているのだ。


「サファイアよりも青く輝く瞳の持ち主よ。その美しさは瞳いや肉体だけにとどまらず、魂を含む全てだ。正に湖面に浮かぶ月の幽玄さ。元来持つ知性と気品の為せる神秘。俗世の白痴はくちに晒されても尚、枯れず綺麗に咲いているのだ。称賛するのは必然ではないか」


 言っている俺様の顔が熱い。


 卑屈にならぬよう試しに口説いてみたのだが、僅かに瞬きをするだけで、相変わらずオリヴィアは黙ったままだ。この嫌な静寂をどう切り抜けたものか。やはり、魔界で最も女を誘惑するのに長けていたルシファーのようにはいかんな。


「……………………ほんとうに?」


 ようやく喋ったか。


「本当だ。だが、二度は言わんぞ」


 真っ白だった肌に生気が帯びて薄紅色に見える。これはこれで悪くない。だが、観察している場合ではない。俺様に甘美を乞おうと、恍惚にとろけているのではなかろうな。


「…………離して」


 顎から手を離した。顔を背け、少々不満そうなのは無視するとしよう。俺様の知った事ではない。


 眩しい。部屋の明かりを点けた奴は。


「兄さん、ここまで押しといて、どうして急に引くんスか。せっかく姐さんにも春が――」


「コニー」


 腰を抜かしていた筈のオリヴィアが俺様の脇をいつの間にか通り、コバルトブルーのアジ顔こと魚人に抱きついたのだ。


「良かった、大丈夫? 起きないから、コニーが安藤に殺されたのかと思った。もし、何か少しでも異常があったら言ってね。絶対治してみせるわ」


 幻覚か。さっきまでのオリヴィアが三日月だとしたら、今の活き活きとした様子は望月もちづきくらいだろうか。それくらい輝いて見える。


「姐さん、俺なら大丈夫ッスよ。大事な姐さんにもしもの事があっちゃいけませんからね。いざとなったら飛びかかるつもりだったんスよ。虎視眈々こしたんたんとチャンスを伺ってたんスよ」


 嘘だな。確かに俺様と対峙できているが、足が竦んでいるではないか。


 オリヴィアよ。じっとりベタつく体に慈しみを持ってあちこち触れるのは結構だが、肉体の強さなら奴の方が貴様よりも強く、怪我もとうに治っているぞ。


「契約主とずいぶん仲がいいな。何をどうすればそうなれる?」


「当たりまえッスよ。姐さんが五歳の頃から、俺や街の皆とは付き合いがあるッスからね。家族ッス」


 笑っているしわ、明るい声色、態度からして本当だろう。影森の紹介とも矛盾していない。嘘だとしたら大した役者だ。


 しかし、オリヴィアの部屋。見渡してみたが、魔法使いと言う割には質素だ。特筆すべき点を挙げるなら、液体に満ちたガラス瓶が棚にたくさん並べられていると言うところか。


 ん。


 明るくなったから気づいたのだが、オリヴィアの長い丈の黒衣の下、腹部から下腹部にかけて何かが脈打っている。

 服の皺の様に浮き立つそれは血管だ。別の存在の血管である可能性が高い。


「腹の辺りに何か隠しているな。そいつを出せ」


「兄さん。殺気はしまってくださいよ。これ以上はトップシークレット。俺、本気でっちまうッスよ」


 殊勝な心がけだが構えになっておらんぞ。魔法を使われるよりも速く、長い丈の黒衣をめくり正体を暴いてやるか。


「いい。見せてあげるから、コニーに手をださないで」


 観念したオリヴィアの手には一冊の本が現れていた。


 人間の皮と皮をツギハギし、血管が浮き立ち脈打っている。見つめてくる一つ目とだらけた口の装丁だった。


「ずいぶんな珍品を持っているな」


「怖くないの?」


「俺様はこいつを知っている。図体のデカい魚人のつがいが持ち主だろう。エクスカリバーが総出で奪ったのか?」


「違う…………私に託してくれた。五歳の時に」


 なるほど、それなら魚人がオリヴィアにかしずくわけだ。奴らの大将に選ばれたのだからな。


「あの音痴を復活させる巫女、か」


 殺気。床に青い魔法陣が浮かんだ。


 俺様は鈍い魚人を横切り後退していたオリヴィアへと一気に迫る。


 突然、俺様の全身を冷たい感触が締めつけてくる。身動きが取れない。なかなかの力だな。


「床の魔法は囮で天井が本命。前へ出てくると読んで仕掛けておいたか。思慮に欠ける俺様は足元ばかりを警戒し、天井から伸びてきた水の縄に気付かず、こうして思う通りに絡め取られた訳だ」


 チンピラの声はうるさいから無視。


「ひひ必要以上に知り過ぎ。水神クタァトがいつもより汗かいてる。あ、ああ、雨も降ってないのに。あ、安藤は私を殺しにきたハスターの遣い?」


 血管浮き立つ皮膚の表紙からは汗がたくさん滴り落ちている。目は力強く閉じて、だらけた口を震わせているところから推察すると、俺様に怯えているのだろう。


「魔法使いは魂から自然を感じられる。故にダークマターを視る事ができる。魔法使いは自然の振る舞い方を思考で組み立て、魂をダークマターの一種マナに変換して魔法陣を現し、魔法と言う結果を引き起こす。それに変わりないな?」


 下らない小競り合いに興味は無い。質問に答えたところで疑いは晴れぬだろう。それよりも俺様の知っている魔法と相違無いかの確認こそが大事だ。


「そうだけど、あ、安藤は何者? こたえて」


 俺様は天井から伸びている水の縄を引きちぎった。


 締めつけてくる力は強いかもしれないが、我慢できる範囲だ。一気に力を入れて、天井から引っこ抜いてやるつもりでやれば、たやすく壊せる。


「素人の中二病だ」


「素人じゃない。どうしてあの方を知っているの。うかつだった。本当は見せちゃいけないのに。『綺麗だ』なんて安い言葉で気を許しちゃったスイーツなの私。とっ、とと、とにかく安藤は私を殺しに来た刺客?」


 困惑してろ。

 元はと言えば、俺様の話を信じず、疑心暗鬼になってチンピラを放った貴様が悪いのだ。


「お嬢」


 足が深い水たまりに浸かっていた。遅れを取った俺様は飛び出していた二体の魚人に両腕をがっちり抑えられてしまった。


「離せ」


 んぬぅぅ、力ずくで振り解きたいが、さっきの水魔法による拘束よりも強い。


「兄キ」


「お嬢、命令通り安藤道男を抑えました。どうする気ですか?」


「ボウズ、黄色の手先って言うんなら今の内だぜ。そしたら、寛大なお嬢が許してくださるかもしれねぇ」


 落ち着いたしゃべりのイシダイ顔とキザなしゃべりのカツオ顔。どちらも背中までヒレの生えた脂の乗った奴だ。ついでに言うとチンピラより少し上等な格好をしている。


「パウエル、マイク。ありがとう」


 追加で魚人を二体同時に召喚、位置の調整、簡単だが事前に命令までしている。あの本に頼った形跡は無い。

 精神力はセラミックスやマンボウ並みの癖に、マナに変換できる魂の総量と処理能力は優れていると言ってやろう。


 しかたない。


「俺様は音痴の味方でも自信過剰の味方でもない。唯一の敵は否定する者、それだけだ」


「……ほんとうに言ってるの? 私を殺さない?」


「本当だ」


 俺様から目線を逸らしオリヴィアは考えている。


「これから安藤を調べる」


「調べるだと。俺様の身体なら既にエクスカリバーが調べたぞ。異常は無し、メタ然代リアのタイプは身体スーパー強化型フィジカルだ」


「しょ所詮は科学。魔法による擬装や工作、呪いは調べられない。あっああ、あてょ、安藤も安藤の知らない事が分かるかもしれない」


 オリヴィアに一理ある。進んだとは言え人間の科学力にも限界があるからな。魔法と言う観点から俺様を調べてもらうと言うのも悪くない。


「いいだろう。好きにしろ」


「パウエル、マイク、離してあげて」


 両腕が解放された。痛みは強く残っているが折れてはいない。拳も握る事ができる。


「姐さん。兄貴もいるし、三対一だし、コッチの方が有利ッスけどよ~。フリーにさせちゃマズくないッスか?」


「コニー、私の言う通りにして」


 アジ顔は正論を言ったと思うがオリヴィアの言う事は絶対の様だな。


「安藤、しらべるから服を全部脱いで」


 俺様は耳を疑った。

 この女、とんでもない事を口走った気がするぞ。


「スッポンポンになって安藤」


 どうやら幻聴ではない。オリヴィアは本当に言ったのだ。


「あの本を使えば簡単に俺様を調べられる筈だ。服を脱いだ瞬間『キャーッ』と悲鳴を上げて、雑魚どもに攻撃させるつもりだろ。その手には乗らんぞ」


「その点はだいじょうぶ。私は雅と違って平気、きにならない。まず改めて、自分の目で見てたしかめたい」


 俺様は全裸になった。服を脱いでいくと、オリヴィアは深きもの全員を帰し、今は部屋に二人きりだ。


 敵に本を使いこなせぬとは言えんだろうからな。この突飛な提案もしかたあるまい。


「本当に叫ばんのだな」


「なぐってこないのね」


 オリヴィアは俺様の周囲をゆっくりと一周した後、腹部や胸部、首や背中、腕や指先、爪まで丹念に視てきた。


 時折ニオイも嗅いできたが、触れられた時のこそばゆさは尋常じゃない。オリヴィアの美しくしなやかな指が肌や筋肉に柔らかく沿い、艶めかしく撫でてくる。それを無意識にできるのだから、魔性の素質があるな。


「何か分かったか?」


「魔法、呪いの形跡は確認できない。然代タリアの力をとても強く感じる」


 問題無いと言う事は分かった。だが、何故引っ付いているのだ。しかも興奮している様に息遣いが早い。


「すごい圧倒的。眠っていてもビシビシ伝わってくる。もし屹立なんてしたら全てが霞んでしまうくらい」


 なにか誤解を招く言い方だな。残滓とは言え俺様の力は魔法使いの正気を奪えるらしい。単に感じる能力が優れているからか。


「おい、貴様は何故戦う?」


 引っ付くのをやめオリヴィアは俺様を見ている。


「家族の為よ」


 臆病者だと高を括っていたのだが、オリヴィアから強い意志を感じた。


「安藤はいったい何の為に戦うの?」


 俺様が答えようとした時、出入り口になるドアが開いた。


「ディートリヒさん。影も」


 雅か。何か言いかけたがめんどうくさい事になるな。


「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」


 うるさい悲鳴。耳を塞いだから平気だな。


「なにをしているんですかッ?!」


「雅、ち、ちがう。雅の思っている様なことはしていない」


 魔法で俺様の身体を調べていたと、オリヴィアが雅に経緯を説明した。拳を交えた方が早いと思ったのだが、せっかく弁解してくれるのだしと流れに身を任せたのが間違いだった。


 雅の頭の固さはそこら辺の合金よりも固いからな。いくら話しても信じず、影森の下らぬ集まりにまで食い込んだ。


 結局、時間を無駄に使っただけで俺様がオリヴィアに猥褻を強要させたと認識したままだ。実に気に入らん。


 さっきの件も含めてたくさん借りがあるからな。いずれ決着をつけてやろうと思う。


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