第1話(2) 俺様は人間にまで弱体化した

 硬く、じりじりと力を奪っていく感触が消える。鞭を消したか。




「逃げてください。『否定する者』です。急いで」




 危機を察した野次馬の叫びがうるさい。取り囲むのをやめて、今度は蜘蛛の子みたいに散って逃げ出した。




 光る鞭が床を激しく鳴らす。




「これより否定する者代行者エクセス。世界の総意に基づき否定します」




 俺様は駆け出していた。ラッパを吹き終える前に潰せば、勝ちだ。




「貴様の大将はどうしている?」




 顔が八つ、鈍い金属に輝く身体が八つ。五次元先から現れ飛びかかってきた。


 身体から伸びた四本の腕、そこから計三十二本の鋭い刃物が俺様に斬りかかってくる。




 俺様は突きを放つ。一度に粉砕できたのは四体だけ。半分も残っている。小物風情が、用があるのは代行者だけだ。




 突然、残っている四体が粉砕した。




「君、今すぐ逃げなさい」




 やったのは女だ。俺様と同様、一息に四発の突きを放ったのだ。




 金属を擦り合わせた音がうるさい。建物全体から響いてくる。




「緊急警報、緊急警報。サウスエリアに否定する者が出現しました。サウスエリアに『否定する者』が出現しました。落ち着いて、係員の指示に従い避難してください」




 ぅぅんむ、おかしい。


 『否定する者』は俺様が全て消滅させた筈だ。アカシックレコード上からも抹消したぞ。何故、気象の如く存在している。別の平行世界から来た残党か。




 逃げた代行者が建物の内装を飾るヘンテコなオブジェに立ち、また鞭を振るう。


 周囲の空間が大きく歪み、俺様に斬りかかってきた腕四本が十二体、有機的な機銃に粘つく軟体動物の脚をした奴が八体現れる。




「モブに構わず、特級否定対象と優先否定対象を否定しなさい」




 光弾が飛んでくる。当然、避けた。


 撃ってきた奴に構わず、俺様は手近な腕四本の滅茶苦茶な斬撃を抜けて、後頭部を裏拳で破壊。




 今までどうでもよかったが、否定する者は死ぬと急速に分解が進み、内包した反物質は消滅するのか。




 光弾が集中してくるから跳躍してかわす。


 降りて目の前にいた腕四本を殴り倒すと、背中を突き刺してくる風。俺様は息を吸い込み、へその下側である丹田に力を込めて攻撃に備える。




 殺気が消えただと。




「君、バカなの。殺されてもいいの」




 横から女が偉そうに言って、戦場の真っただ中へと向かっていく。




「闘争を選んだ貴様に言われる筋合いは無い」




「私は私の責務を果たすだけです」




「ならば、俺様も俺様の道を行くだけのこと」




 競い合うように俺様と女は雑兵を倒していった。




 俺様が力強い突進からの突き、蹴りを放つ。女は相手を翻弄しながら飛び込み一撃を繰り出す。


 俺様が背後に回り込んで攻撃を叩き込めば、女は回避してから足払いし、トドメを刺す。




 振り下ろしてくる一刀を俺様が強化した肘で受け流し、懐に潜り込んで突きを叩き込む。


 女は解体してくる斬撃の相手はせず、追ってきたものならば、鮮やかに身を翻し反撃に背中を蹴りつける。




 代行者を守る機銃ども。狙いは良いだろうが、床にへばり付いてるから鈍足だ。


 俺様と女は一気呵成に殴り蹴り。次々と柔らかくて硬い粘つく感触を踏み潰して片付けた。




 薙ぎ払ってくる鞭を俺様は跳んでかわし、女は仰け反ってやり過ごす。


 咄嗟とは言え、ちょうどいい大きさじゃなかったら胸が削げてたぞ。まぁ、今より小さければ余裕だったがな。




 俺様と女は代行者の左右を固める機銃を叩く。




 上から襲いかかってくる鞭。激しくうねっているが、避けるのは容易い。機銃は裂け粒となって消滅した。




 逃がしたか。


 俺様と女から代行者は距離を取り、また鞭を振るって雑兵を呼び出す。




 俺様のやる事は変わらない。撃ってくる光弾には当たらず、攻めてくる腕四本を倒し、邪魔な機銃を潰し、代行者を叩きのめして欲しい情報を吐かせる。それだけだ。




「ねぇ、私の名前は本城ほんじょうみやび。君の名前は?」




 雅だと、名は体を現すと言うが、どの辺が雅なんだ。




 最小限の回避は洗練していると言ってやってもいい。流れるように繰り出す拳と肘を使った技、隙を最大限に突く蹴り技は華やかかもしれん。


 攻撃を逆手に取って体勢を崩す様子は奥ゆかしいだろうが、終わらせる一撃は豪快そのもので雅さに欠ける。




「俺様に名前は無い」




「はぁっ?」




 すっとんきょうな声を出しても雑兵を倒せるのか。




「君、ふざけているの。こんな時まで中二病はやめなさい」




「ふざけてなどいない。俺様に名なんて無い」




「本名じゃなくていいから、すめらぎとかジ・エンド・オブなんとかみたいなの、あるでしょ」




「貴様、何度言えば分かる。俺様に名は――」




「後、貴様って言うのはいい加減やめてくれませんか。私にはちゃんと本城ほんじょうみやびと言う名前があるんです」




「スミレ」




 スミレこと雅の顔が真っ赤になって動きが鈍る。


 腕四本が倒した風車みたいに刃を展開し胴体を高速回転。真っ二つに斬り裂く気だ。




 雅に突っ込んでくる腕四本の足を俺様が下段蹴りで破壊。倒れたところを踏み潰す。全身を独楽みたいに回転させてないから余裕だ。




「あ、ありがとうございま………じゃなくて、スミレって、スミレって、パ、パパ…………」




 パンツの色を口にしただけだ。全く、俗や穢れを毛嫌いする純潔では、雅とは程遠いぞ。




「こ、この際、貴様でもいいです。私も君って呼びますから。とにかく、私は改めて君に協力を提案します」




 へそを曲げながら雅は話した。




「私はエクセスを倒さず捕まえなければいけません。見たところ君は突っ走っていますが、何か聞き出したい事があるんでしょう」




 怒りは代行者が呼び出した腕四本どもにぶつけてな。




「憎悪とは違う別の何かを感じます。お互い利害も一致していますし、ここはちゃんと協力して戦いましょう」




 合理的な提案だ。俺様も雅も代行者に用がある。


 捕まえようにも、向こうの物量は多い。持久戦に持ち込まれたら面倒だ。実に合理的で賢明な考えだ。




 だが、俺様は気に入らなかった。




 覇道はどう森羅しんら一体流いったいりゅうらいこう終奏譴ついそうけん奥義おうぎいなびかそくせき




 俺様は代行者目がけて落雷の如く俊敏に走る。


 空を切り裂き物へと伝うが如く、邪魔な腕四本どもを殴り、機銃どもを踏み潰した。本来の稲いな光びかる即そく跡せきならば、全身に電光を纏うのだが、自然を魂から感じ取れない以上、体現までだ。




 こういう時、俺様は情動を優先させる。どんなに合理的だったとしても、気に入らない時点で合理的ではないからだ。




 俺様は代行者の前で片膝を突いてしまった。息が切れる。全身に重りがのしかかってくる。


 刺々した肉食淡水魚の歯が見える。




「ここまで来れたご褒美と言う奴です」




 閃光を放つ鞭が襲いかかる。


 全身を、熱く斬り裂いてくる苦痛が何度も。俺様はどうにか、丹田に力を込めて全身を鎧に変えた。していなければ、すぐ細切れだ。




 なんたる体たらく。覇道の世界に来たばかりの頃でも、三日三晩は戦えたのに。今は短時間の戦闘にも耐えられないとはな。




 この鞭による攻撃。一部の界隈では褒美だと位置付けているのは聞いた事あるが、そんな要素を微塵も感じんぞ。殺意が湧く。




 頬を鞭で叩きやがった。




「ディッズル達、特級否定対象を否定しなさい」




 空間が歪み、腕四本が六体現れる。さながら死刑執行人と言うところか。


 囲まれた。立ち上がらねば、だが、体が言う事を聞かん。


 俺様に向けてくる刃物の数は二十四本。全身を串刺しにする気か。




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 雅の声。それが、貴様の流派か。




 腕四本の両肩から胸部を手刀が切り裂く。腹部を狙う拳が二体を沈め。強く踏み込んで放つ掌底が一体を吹き飛ばす。


 巻き添えを食った奴を踏み付け、電光石火に気付いた無能を、直角に近い蹴り上げで顎から頭部を粉砕。




 俺様を仕留めようと鞭を薙ぎ払ってきたか。


 腰を落とし、待ち構えていた雅が受け止める。攻撃してくる力には逆らわず、引き寄せながら代行者を投げ飛ばす。




「君、バカなの。独りで突っ走り過ぎ。危うく殺されるところでしたよ。協力しましょうって言いましたよね。分かりますか、相手は軍隊。聞いていますか?」




 聞こえる、聞こえる。上から自分が正しいと言う押し付けがましさが、はっきりとな。


また鞭がしなる音。




「ステージ1は終了、ステージ2へ移行。特級否定対象、優先否定対象を否定しなさい」




 建物の三階部分、ガラス製の仕切りに代行者は立っている。不安定な足場とは言え、地の利を取って俺様を見下すとは、つくづく面倒な奴だ。




 骨張った羽と細くしなる尻尾が生えた円盤、空飛ぶエイか。それが六体、飛び回っている。


 叩き落とす。そのつもりで立ち上がろうとしたら、足に力が入らない。思考は巡らせられるが、どうにも全身が動かせない。代行者の鞭には毒が仕込まれているのか。




「君、大丈夫?」




 俺様よりエイを見ろ。


 エイの円盤には、より小さい円盤が二つ付いている。ビームが出たぞ。


 俺様の前に立ち、ビームを切り裂くように腕で払った。




「スミレ、貴様の技にエイへの有効打はあるか? あるなら攻めろ。無いなら退ひいてろ」




 雅がエイの撃っていくビームを次々と払っていた。誰が盾になれと言った。そもそもこれは俺様の戦いだ。関係無い奴が出しゃばるな。




「バカなこと言わないでください」




 怒ると言う事はないんだな。




「目を閉じて息を止めてください」




 雅が上着から、引き金の付いた円筒状の物体を取り出していた。丸い金具を抜いて引き金を引いた、それを床に叩きつけると、白煙を勢いよく噴射したぞ。




「ここから逃げます」




 煙幕の中。俺様の腕を雅が無理やり引っ張り駆けだした。






 俺様は戦場だった吹き抜けてやたら広い空間から、さほど離れてない場所で雅と一緒だ。




 硬くて冷たい床に座っていた。鍍金めっき剥き出しの金属ばかりが目に付く。食い物のにおい、特に油のにおいが目立つな。包丁や鍋、フライパン。多数の皿や丼ぶりからして、ここは食い物を加工する厨房か。




「ごめんなさい」




 俺様に向かって、辛そうに頭を深く下げる雅。




「何故、謝る」




「君は変態ですが、否定する者が現れた時点で非難させるべきでした。それなのに、君の変態的な対応力が生み出した状況に呑まれてしまい、戦う事を許してしまった私のミスです」




 寝惚けた事を。勝手に入ってきた分際で偉そうな事を言うな。




 ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっっ。




 今の盛大な腹の音は俺様からだ。力が出ず、空っぽと言う感じだな。その癖、唾液は口に溜まってくる。久しぶりの空腹か。




 熱いな。全身が小刻みに震えてきたぞ。視界は霞むし、無駄に呼吸も増えた。




 なんにせよ。エネルギーを得ねば。食い物はたくさんあるが、生物の代謝によるエネルギー変換では大した量は得られず、なにより時間がかかり過ぎる。こんな時、エネルギー吸収さえできれば。




「これ飲んでください」




 雅が俺様に水を差し出した。包装を巻いた透明な容器、その三分の二くらいを満たした量。




 貰う。俺様は口を付け、水を流し込んだ。




 澄んだ潤いが砂漠を草原に変える。清らかで優しい味わいが俺様の思考を澄み渡らせる。衰弱していた力が脈動し、もう一度立ち上がれそうだ。




「美味い。うん、美味いな」




「ただのミネラルウォーターです」




 俺様が感想を言ってやったら、雅が顔を逸らした。




「これで汗を拭いてください」




 今度は白い布を渡してきた。柔らかくて包まれる触り心地からしてタオルか。


 じとじとした感触が少し楽になる。そう言えば、汗をかいたのも久しぶりだ。




「これも私のミスです。いくら同じタイプの然代タリアでも、長時間全裸で、しかも空腹状態で暴れたら、頑丈な体でも壊れるに決まっています」




 然代タリア。初めて聞く単語だ。




 ビームが物を破壊していく音。空を静かに切る音が多数。見つかるまでそうかからないな。


 雅が立ち上がり、俺様に背を向ける。




「私ができるだけ時間を稼ぎますので、君は動けるようになったら逃げてください」




「断る。何故、俺様が貴様の言う事を聞かねばならない」


「バカ」


 額を指で突かれた。




「君は私より弱いです。今のも防げないハラペコの変態なんて、はっきり言ってお荷物です。足手まといです。ついて来ないでください」




 んぅうむ、確かに。本調子なら、その細指を百八十度に曲げていたぞ。




「スミレ、貴様は人間にしては強いかもしれん。だが、勝算はあるんだろうな?」


「勝てます」




 強い声。




「だって私は、変態より強いですから」




 使命に燃える覚悟。慢心は無い。少し休んで、力があり余っている。ただ、勇ましすぎて雅さには欠けるな。




「そのタオルはあげます。隠すのにでも使ってください」




 いや、隠せはするが、中途半端だぞ。




「スミレ」


「雅です」




「さっきの水。唾液が付着していたが、貴様の水か?」




「……ぅ、最低」




 さて、肩の力を抜いてやったところで、俺様より強い女の戦いでも見てやるか。


 雅が颯爽と横長の台を飛び越える。


 向こうにはエイが三体。存在に気付いた。




 雅の全身が輝く。




 量子演算をする場の命令により、着ていた服が粒子段階にまで分解した。




 露わになる白い肌。生まれたままの姿だ。


 俺様の見立て通り、鍛えながら柔らかい線のある身体。ハリのあって小ぶりな尻、飽きるほど見た脚も均整が取れている。悪魔の生贄としては中の上だと改めて確認できた。




 今度は体の線に沿って真っ黒い力が覆う。量子演算によって、粒子段階にまで分解した服と素粒子をヒッグス場で強く固定し再構築したか。




 纏うまでに0・05秒未満。




 戦士の装いとなった黒い力には、あちこち青い力が流れ模様となっている。俺様の目では確認できなかったが、ダークマターまで取り込んでいるな。




 雅が飛びかかって殴り、エイを撃墜。残り二体が身をくねらせてビームを撃ってきたが、纏っている黒い力を壊すには出力不足。




 反撃に雅は手の平に力を集束し、拳よりも二回り大きい光弾を放つ。左右に分けて撃ち、四発で残りを破壊した。




 雅は一蹴りで別の場所に跳んだ。




 俺様も後を追う。横長の台を飛び越え、椅子や机の残骸だらけの場所に出て、行った方向を見てみると、吹き抜けた広い空間で雅が雑魚どもを相手に戦っている。




 黒い力を身に纏った雅はさっきよりも手強いだろう。




 襲ってくる腕四本達をさっきよりも素早く一撃で仕留め。隙あらば、見下ろす位置に張り付き狙ってくる機銃どもを、手から放つ光弾で処理していく。




 制空権を握るエイは、飛躍的に向上した跳躍力で踏み台にし、重力に逆らう滞空時間を利用して光弾を喰らわせていった。




 雅の覇道の流派、計羅討凄流けいらとうせいりゅう古武術こぶじゅつと言ったか。あれも興味深い。




 体勢を低くしながら速く駆け、迫った相手の懐に強烈な打撃を喰らわせる。近づいてきた相手を寄せ付けない蹴り。豪快で荒々しい打撃は正に虎。




 飛び上がって繰り出す連続蹴り。降下しながら回転して放つ蹴り。手だけで床を跳ね、一気に距離を詰める鋭い蹴り。孤高の鷹を彷彿とさせるが、派手に燃え上がる不死鳥だろう。




 だが、代行者は未だ捕まっていない。




 呼び出す兵士の量の多さは言わずもがな。二階や三階部分にあるガラスの仕切りに動きの鈍い機銃を粘り付け、飛び回るエイによる攻撃で雅の動きを制限。前衛の腕四本を襲撃しやすくしている。的確な配置だと言っておこう。




 常に有利な位置を陣取り、射程の長い強力な鞭を縦横無尽に振るって、雅の放つ光弾を打ち消し、得意の接近戦を迎撃していった。




「ステージ2、バリエーションBを実行」




 代行者が天井の方に鞭を伸ばし引っ込めた。


 雅の真上にある空間が広範囲に歪んだ。


 腕四本と機銃が雨の如き数で降ってくる。




 虚を突かれたが、雅は機銃の攻撃よりも速く走っていた。


 見渡しやすい位置で止まった雅は、両手を向けて光弾を放っていく。




 数体だけ破壊すると、動くのをやめた。物量の多さに諦めたか。いや違う。両手を雑魚の雨に向けたまま、僅かに腰を落とし、床を踏みしめ、機銃の放つ光弾に耐えている。




「はぁッ!!」




 雅が気合いを入れた瞬間、光の柱と言える大きなビームが雑魚の雨を貫く。




 光弾で一体ずつ削るよりかは効率的だが、残っている量の方が多い。


 着地したそれを雅は殲滅していく。多勢に無勢を物ともしない的確な防御と反撃。派手さに欠けるが、数は減っている。




 見ている俺様は天井辺りの異変を察知した。




 三体のエイが尻尾を向けて戦っている雅の方へと迫る。


 エイの骨張った羽が捻じれて針となった尻尾を覆う。頭だった円盤が蓋をし、円錐状になって高速回転。




 雅の纏う黒い力でも、あの高速回転する円錐の直撃は致命傷だろう。さぁ、どう出る。


 雅の正面に対する攻撃が厚い。気取らせない為の時間稼ぎだ。




 ほぉ、踏み込んでから放つ強烈な突きを左右に放ち、直撃と起こした衝撃で雑魚をまとめて吹き飛ばしたか。




 振り返った雅。円錐状になり高速回転しながら迫るエイと対峙。




 避けずに引きつけるだけ引きつけて、溜めてから放つビームで消すつもりか。


 隙を作ったから機銃にとって絶好の的だ。腕四本が同じ数の刃を展開し高速回転、背後から切断しようと迫る。




 ビームを撃った。閃光が二体のエイを飲み込む。


 襲いかかってくる残りを前転でくぐり抜けた雅。代わりに高速回転する腕四本が細切れになった。




「消えて」




 味方に突撃し床に刺さったエイを、雅が光弾を放ちトドメを刺した。




「それはこちらの台詞」




 代行者が動いた。跳躍しながら鞭を伸ばし、雅に浴びせる。




「優先否定対象、これは否定する者いえ世界の総意に基づくものです。無駄な抵抗はせず、今すぐ否定される事を推奨します。その方が結果的にお得ですよ」




 雅の真上から伏兵。代行者が囮となって注意を逸らし、円錐状になったエイの急降下を喰らわせる。




 螺旋状に高速回転し突撃するエイに風穴が空き四散。




 やったのは俺様だ。


 雅を襲うエイにミネラル分の多い水が入ってた容器を投げた。炭素、酸素、水素、それを高温と真空の許で反応させて作ったから、軽すぎて破壊力に欠けるのだが、時速にして二百五十キロを出せば関係あるまい。




 一人で戦うとまで口にした以上、助けてやるつもりは無かったが、いい加減見るのも退屈だし、さっきより肉体の調子も良くなったから、どこまで動かせるか試したくなった。




「君、ポイ捨てしない」




 少し怒った様子で雅が俺様を見る。




「貴様、感謝されこそすれ、何故怒られねばならんのだ」




 走っていた俺様は飛び蹴りで腕四本を一体粉砕。




「君は物忘れも激しいんですね。私は動けるようになったら逃げてと言った筈です」




「逃げた先に鬱陶しい虫がいるのだ。仕方あるまい」




 俺様が近づいてくるのを殴り、蹴り倒す。




「そう言うのをへりくつって言うんです」




 雅は手から次々と光弾を放ち、離れているのを片付けた。




「特級否定対象と優先否定対象はツンデレと言う奴ですか?」


「ち、ちがっ、私は――」




 ツンデレ。一昔前によく聞いた単語だが、なんだったか。




「特級否定対象に助けられたのが恥ずかしいからって、ゴミを投げ捨ててはいけないと言う、この状況にはそぐわない倫理観を持ち込んだのは優先否定対象ですよ」




 無機質な存在だと思っていたが、雅の言葉を指摘し追及するとは。名前が付いてるだけの事はある。




「ゴミのポイ捨ては良くないから、良くないと言っただけです」




 雅は代行者に弁論で負けたくないのか、言い返した。




「おかしいですね。あのペットボトルはディッズルと一緒に消滅を確認しました」




 俺様が投げた物の顛末を把握できるのだから、かなり余裕があるな。




「結果、ゴミは増えていません。また増えたとしても、作業量の大幅な増加は見込めません。周囲にモブはいない為、事故は起き得ません。よって優先否定対象は素直に、特級否定対象に助けられた事を感謝すべきではないでしょうか」




「あんなの、私にとって奇襲の内にも入りません。本当です。見切っていましたから」




 苦しすぎるぞ雅。




 俺様を支持する論理を展開したとしても、代行者を倒さない理由にはならない。




 さて、相変わらずの大群だ。こんな時魔法でも使えれば、物量なんぞ無視して詰みに持っていけるのだが。ダークマターを感じられなくなった以上、行使する事はできない。


 だからと言って、このまま消耗戦に押し負ける気も、むざむざ逃亡する気も無い。勝つのは俺様だ。




 覇道はどうじゅう操流そうりゅうれつおうたる獅子しし奥義おうぎ獅戯隷しぎれいほう




 俺様は低い体勢で腕四本に突進。壊さない程度の突きを放ち、獅子が喰らいついた獲物をなぶり殺そうと放るように、機銃が張り付く二階部分まで投げ飛ばす。


 激突。両方粒となって消滅した。速さは物足りんが、三階部分まで届くな。




 覇道はどう森羅しんら一体流いったいりゅう逆巻さかまくりゅうたき奥義おうぎげきりゅうからの放逐ほうちく




 覇道はどうじゅう操流そうりゅう鍬形くわがた奥義おうぎ無情投むじょうなげ




 腕四本の足を手で払い、浮いたところをつかみ、三階部分の代行者に向かって投げつける。


 腰からつかんで持ち上げ、捻りを加えて放り投げる。




「無茶苦茶よ。お店を壊さないで」




 物が壊れたくらいでうるさい奴だ。


 俺様は手当たり次第に雑魚を砲弾に変えて、代行者や機銃に向かって投げつけた。肉体を常に最大限まで発揮しなければいけないのは難点だが、他に飛び道具が無い以上、投げるだけだ。




 だが、部下を切り捨てる鞭捌き。高い回避能力。俺様の砲弾すら代行者には掠りもしなかった。




「緊急。ステージ2、バリエーションBを発動」




 下に伸びてくる鞭。空間が歪み、高速回転する円錐が二体飛び出した。エイによる突撃だ。




 覇道はどう森羅しんら一体流いったいりゅう完全かんぜんのぞむ鋼鉄こうてつ奥義おうぎ突甲柔殺とつこうじゅうさい




 俺様は突撃してくるエイ二体を脇に抱え込んだ。高熱を帯びた鉄の如く柔らかい肌で、回転しながら推進してくる力を殺す。




 振り回して代行者に向かって投げつける。逃げられ、ガラスや他の物が盛大に壊れる音だけか。




 ならば、着地する先にもう一発。勢いよく飛んだが、鞭で細切れになるな。




 覇道はどうじゅう操流そうりゅうたかみ飛蝗ばった奥義おうぎ天楼跳破てんろうちょうは




 俺様は二階まで跳んだ。目の前の機銃を踏み台にして別の場所へ跳ぶ。この奥義であちこち跳び回り代行者を攪乱だ。




「落ちろ」




 先読みした鞭が襲ってくる。


 問題無い。体を丸めて姿勢を操り、鞭を蹴りつけ下へ跳べばいい。




 再び身を翻す。残っている二階部分の仕切りを蹴り壊し、三角形を描く様な跳び方で、代行者の真横に着地。




 覇道はどうじゅう操流そうりゅう新速しんそくたっする狩猟チータ奥義おうぎじょ獣把抜走じっぱばっそう




 最速の走りを誇る獣チーター。それに追いつき追い越し、やがて空気の壁を突破し、ついには光の先を目指す。速さに特化した流派の技だ。


気付いたところで遅い。俺様は代行者をつかまえ、一階へと飛び降りた。




「ッはァ、はぁ、貴様の大将、全知全能の否定者はどうしている?」




 俺様は代行者に馬乗りになり、人間を模倣した顔に拳を振り上げていた。




「これが床ドンですか」




 すました顔で訳の分からん単語を。ずいぶん余裕だな。




「言え、代行者。俺様の問いに答えず、久遠の苦しみを味わうか」




「我々否定する者は世界の総意に基づき存在しています」




「代行者ならば、どこのどいつの命令で動いている?」




「言った筈です。世界の総意だと」




 ギザギザした歯を見せて笑っていやがる。それ以外は無駄に秀麗な顔面でも潰すか。




「危ない」




 上から雅の声。強烈な衝撃が響いた。重いものに飛び蹴りでもしたか。




 今度は地響き。した方を見ると、巨大な車輪状の貝類二体が床に横転している。一体の重さは恐らく十五トン。もし、今の俺様がまともに押し潰されたら、ぺしゃんこになっているかもしれん。




「君は見境ないんですね。女の子の姿をしてたら押し倒すなんて。変態です」




 見下ろして何を言うかと思えば、代行者に欲情だと。俺様は尋問をしてただけだ。




「……借りは返しましたから」




 借り。そんなもんあったか。


 鞭が床を鳴らす。




「ステージ3。ディッズル達、早急に戦線に復帰し、特級否定対象並びに優先否定対象を否定しなさい」




 俺様の注意が逸れてる間に三階部分まで逃げてたか。代行者め、単純な思考能力かとつい侮っていたが、思いのほか狡猾に長けてるな。




 車輪が割れて節のある脚を出した。体勢を整えたら、すぐ脚を引っ込めて殻を閉じ、急速回転。二階部分の床を破壊しながら俺様と雅に向かって突撃してくる。




 逃げた。




 ぅぅうむ、貝類ではなくて甲殻類だったか。




「ここは蹴る。上から降ってきた時ならまだしも。壁にぶつける。ぶつけても建物に被害が出るだけでは。床に穴をあけて落とす。いけ、ない。あれを落とせる穴となったら、大きくて深い穴じゃないと。服を集めて巨大ネットを作って、ああダメです」




 隣で走っている雅も策を練っているが、どれも有効とは程遠い。




 車輪状になって自走する巨大甲殻類は縦回転。今走っている通路は縦長だが、デカブツが並走しても余裕だ。




「スミレ」


「雅です」


「活路を見出した。俺様と合わせろ」


「いいですけど」




 俺様は止まった。




「正気?」




 逃げるな雅。いいですけどと言ったではないか。




 そろそろ押し潰されるな。フラクタルで美しい模様をした車輪の溝も眺めた事だし、俺様は横に跳んで回避。


 全力で蹴る。




 巨大車輪が吹き飛び、並走しているもう一体と激突。辺りにある物を派手に壊していった。




「遅い」




「いいえ。即席のコンビネーションなので妥当な結果です」




 俺様の隣に立つ雅。むざむざ逃げていた筈が急に引き返して、巨大車輪に飛び回し蹴りを放ったのだ。




 瓦礫から節のある脚が二本飛び出す。いや後ろにも二本生えているから、計四本か。


 車輪が割れて見える中身は、ゴツゴツした黄水晶シトリンクォーツの塊みたいだな。




 光った。ビームが一度に二十発、二体合わせて四十発が拡散して飛んできたぞ。




 俺様は回避に甘んじている。さっきまでの雑魚どもよりもビームの出力が高く、連射性能も優れている。裸は論外だとして、今使える覇道の肉体強化では間合いを詰められず、一方的にやられるだけだろう。




 雅は黒い力を纏っているから防御力に自信でもあるのか。飛んでくるビームを回避しながら、光弾を放ち反撃する攻めの姿勢。




 だが、雅の光弾はデカブツのビームよりも出力不足は否めず、相殺どころか押し負ける。




 ビームをかわす。偶然、木片を拾っていた。いらぬから邪魔な奴にでも投げつける。




 紙をクシャクシャにした呻き声。




 攻撃が僅かだが途切れたぞ。投げた木片がビームの隙間を縫って黄水晶の塊に命中。見たままの弱点だ。




「きみ、君まだいたんですか。そろそろヤバいって分からないんですか? とっとと逃げてください」




 うるさい。とりあえず次の一投で倒せば、ビームも文句も半分くらい減るだろう。


 俺様は瓦礫を投げた。ビームはかいくぐれたが、代行者の振るう鞭に阻まれ消滅した。




「ディッズル達、向こうの弾幕は薄いです。遠慮せず、じゃんじゃん撃ちなさい」




 高みの見物をしていた代行者が積極的に加わってきた。俺様が手当たり次第に投げる物や雅の放つ光弾。部下が撃ち出すビームさえ切り裂く。


 そのせいで俺様の攻撃が一切届かず、向こうのあり余る火力に苦戦を強いられると言う体たらく。




「来い」


「ぇええっ!!」




 俺様は光弾を撃っていた雅の手を引っ張り、大きく距離を取る。




 ビームを撃っていたデカブツ二体は、脚を引っ込め殻を閉じて巨大車輪になり、俺様と雅を押し潰そうと追いかけてくる。




 地響きから推測するに、間隔を空けて縦走か。横から力を加えようとしたら、後続が甲殻類の姿になりビームを撃ってくる。大した二段構えだ。




「私を巻き込まないで。逃げるなら君一人でお願いします」


「誰が逃げると言った」




 逃げたら負けではないか。俺様は負けが嫌いなのだ。




「バカ。君が今まで戦えたのは悪運が無駄に強かったからです。それも終わり。死にたくなかったら、いいかげん私の言うことを聞きなさい。聞け変態」




 さっきから口やかましい隣にも働いてもらうぞ。




「ちょっと!!」




 覇道はどうじゅう操流そうりゅうふんげきせしぞう奥義おうぎ岩塊十双投がんかいじゅっそうなげ




 立ち止まった俺様は腰を落とし、床を強く踏みしめ、迫ってくる巨大車輪を受け止める。


 全身の力を最大限まで発揮し、象が鼻で身の丈くらいの岩を投げ飛ばすが如く、あのデカブツを投げ飛ばしてやろう。




「んぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」




 回転の摩擦力で手の平が燃えそうだ。思いと裏腹に俺様の力が弱すぎて突進力を受け止め切れず、どんどん押されてしまう。




「めちゃくちゃです」




 力が均衡していく。俺様と一緒に雅が、突っ込んでくる巨大車輪を受け止めているからだ。




「死にたがり、ナルシスト。普通、真正面から受け止めません。とにかくすごく迷惑です」




「無駄口を叩けるだけで、俺様より強いと思うな」


「少し、黙って」




 雅の纏う黒い力。そこに線となって流れる青い力がいっそう輝く。


 激しい回転をしていた巨大車輪が止まる。




「いくぞ」


「言われなくても」




 約十五トンもする巨大車輪を俺様と雅で持ち上げる。


 後続のもう一体が更に加速し突進してくる。




「ハァッッッッ!!」




 俺様と雅は突進してくる巨大車輪に巨大車輪を投げつける。


 派手に激突し、デカブツどもは離れ離れに吹っ飛んだ。




 ダラリと伸ばした脚、剥き出しの黄水晶じゃくてん、球にして投げた奴だ。加速し突進してきた奴は離れた所でのびている。




「俺様が近くの奴を潰す。貴様は遠くのをやれ」




「……はぁ、いいですけど」




 不服そうな返事をしながら雅は両手を突き出し、威力のあるビームを放つ為に力を溜める。


本来なら俺様の手でトドメを刺すところだが、疲れているから一体は譲ってやろう。




 空を切り裂く音、また光る鞭が上から襲いかかってくる。俺様への攻撃はついで。代行者の本命はビームを放とうとした雅だ。




 鞭が雅の手首に絡まり宙へと放り投げる。デカブツに撃つはずだった溜め撃ちがデタラメに飛び、建物の一部を焼き払う。




「全門斉射。特級否定対象をガンガン否定しなさい」




 棒読みの命令。近くのデカブツから放ってくるビームと、遠くから狙ってくるビームによる挟み撃ちが襲いかかる。




 走る、身を反らすだけでは包囲網を切り抜けられない。雅と合流して立て直す必要がある。




 俺様は体を捻りながらビームの隙間に飛び込み、前転で床を転がりもした。


 かいくぐったと思った俺様に攻撃が掠る。不意に襲いかかる背中の痛みに倒れ込みたくなるが、我慢しろ。




 背中越しに甲殻類の黄水晶が見える。


 強烈な閃光が俺様を掠める。壊れた棚その奥に隠れ、機を窺っていた雅の不意打ち。だが、断末魔は聞こえず、消滅も感じないから、殻にでも閉じ籠ったのだろう。




「君、大丈夫ですか?」


「問題無い」




 体の方はな。


 合流したデカブツ二体。その真ん中に代行者が降り立つ。




「ディッズル達、こちらの濃い弾幕で、否定対象達をじわりじわりと否定しなさい」




 俺様が振り向くと同時に大きめの缶を投げつけると、代行者の鞭に切り裂かれる。雅の放った光弾が向こうのビームで消える。




 撃ち合いが始まった。




 俺様と雅の陣地は正面以外を壁に囲まれ、棚や台等の遮蔽物が多く、投げる物に恵まれた店と言う空間だ。




 何故、上から見下ろしていた代行者が降りてきたのか。俺様と雅の反撃から確実に部下を守り、動向を常に把握して適切に対処する。なにより、敢えてその身を危険に晒す事で、こちらの優位を誇示したいのだろう。




 手近にある物を投げつけ、ビームを回避してきた俺様。情けないことに、また疲労が襲いかかってきたので、店の奥の方へと隠れる事にした。




 棚を背に座り込む。遮蔽物が壊れ、物が次々と消えていく。ここもいつまで持つか。




 床に瓶が落ちているので、ふと拾い上げる。


 オリーブから作った油か。食せるが、あの創造主を思い出すから、どうも好きになれん。




 他にも、アーモンド、アボカド、カボチャ、ココナッツ、ヒマワリ、ブドウ。植物にも油は含ませておいたが、ずいぶん熱心な種類と量だ。この世界の人間はよほどの油好きなのかもしれん。




 俺様は隠れるのをやめて、店の前で戦っている雅に話しかける。デカブツや代行者に、警告色である赤や黄色い物を投げつけながらな。




「スミレ」


「雅です。こんな状況でよくふざけていられますね」




 最初は遮蔽物を利用して溜め撃ちもしていたが、殻を閉じたデカブツには通じず、代行者には見切られた。今は避けながら光弾を放ち続けている。




「貴様に策はあるか?」


「正直、ありません」




 まぁ、そうだろうな。あったら、向こうの策通りの動きはすまい。




「貴様一人でどれくらい持ち堪えられる?」




「分かりません。ただ、君を逃がす事だけは諦めていません」




 敵の火力はほぼ一定、雅の戦い方が今のままだとしたら、あまり持たないな。




「なにしてるんですか? 危険です」




 俺様はビームに注意しながら、店の前に転がっている油を拾い集めていく。掠るくらいどうってことない。勝つ為には一本でも多くの油が必要なのだ。




「まかせたぞ」




 俺様は息を切らし、油のたくさんある店の奥へと戻った。


 しかし、こうもたくさんの種類と量の油。一つずつなら悪くない香りかもしれんが、たるくて咽かえりそうだ。




 倒れた音が重い。棚じゃない、雅か。ビームの集中砲火による呻き声、黒い力に助けられたな。今度は踵の高い靴が床を蹴った、ここで代行者が動いたか。




 吹っ飛んできた雅が遮蔽物にしていた棚を壊し、受け身も取れず床に叩きつけられる。




「君?」




 雅が呆けた顔で俺様を見上げる。




「なにしてるんですか?! き、きみ、きみって人は、ふ、ふざけんのもいいかげんにしてください。こ、こんな時に、あ、ああ、油を体に塗るなんて。いったいなに考えてるんですか、変態!!」




 起き上がるとは、ずいぶん元気だな。




 俺様は雅のわめく通り。店にあった植物性の油を髪の毛の先から爪先まで塗り、全身くまなく覆っている。




 まさか、大魔王の座に就いていた俺様が、自らとは言え頭にオリーブをかけるとは、聖職者も神も夢に想うまい。




「特級否定対象。ずいぶんテカテカですね。これは何かのプレイと言う類の奴ですか」




 ほぉ、代行者も笑うのか。


 俺様が立ち上がろうとしたら足が滑り、無様に転んで頭を打った。




「当然です。君は一刻も早く油を落としてください。これじゃ、動けないどころか、酸欠になって死んでしまいますよ」




 んぅぅむ。摩擦を失った程度で、こうも体勢が取りにくいとは。覇道の世界にいた頃でも、裸足で氷の上を地面と大差なく走り回れたと言うのに。




 だが、一度転んだから体勢の取り方は理解した。奴等も動きを止めている。ゆっくり、一つの動作を丁寧に、力がどこにどうかかっているのかを把握していれば、立ち上がれる。




「特級否定対象。いくら勝てないからと言って、ヤケを起こすものではありません。これは世界の総意による決定事項。覆す事も、免れる事もできません。大人しく受け入れなさい」




 俺様は慎重に床を踏みしめ、体勢をゆっくりと前傾に傾ける。




「君、無茶よ。立ち上がれたって、まともに動けないんでしょ。そもそもどうして油なんて塗ったんですか? バカなんじゃないですか」




 これが勝つ為の策だ。




「ここは私がなんとかします。してみせます。だから――」




「参る」




 俺様は一気に飛び出した。




 走れぬと言うのなら、一蹴りで相手の懐まで跳躍すればいいのだ。


 前に出ていた代行者が後退。デカブツ二体の黄水晶が輝く。ビームの集中砲火が俺様に襲いかかる。




 動きながら静寂であれ。淀みなく澄みわたれ。来たるもの全てに目を背けず受け入れよ。満ちる月、堕落する世俗、輝く太陽、嘆きの死地、移りゆく時の流れさえも、我それをあるがままに映し出さん。




 覇道はどう森羅しんら一体流いったいりゅうせんじょううつ水鏡みかがみ奥義おうぎ世受沁せじゅしんきょう




 飛んでくるビームを次々と反射、吸収していく。


 本来は魂から生じ、体内に流れる水を体表に纏い、様々な事象を跳ね返す奥義だ。俺様は体中に塗った油を水だと強く信じ込み、これを水鏡みかがみとした。




 体中が溶けるように熱い。不完全な水鏡みかがみだからビームに含まれる全てを跳ね返せず、油を熱する。問題無い、織り込み済みだ。




 そろそろ足が着くな。走るか。


 爪先が床を蹴った瞬間、全身に塗った油が発火、勢いよく燃え上がる。




 灼熱の炎と化した俺様。ビームの雨を無視し、苦し紛れの鞭をかわし、逃げていく代行者を追わず、デカブツ一体の懐に潜り込んだ。




 覇道はどう森羅しんら一体流いったいりゅう火烈怒かれつどぼうしゃくかん奥義おうぎ天火上砕てんかじょうさい




 俺様は天をも揺るがす噴火の如く拳を突き上げ、三階部分へと逃げた代行者目がけ、デカブツを吹っ飛ばす。




 激震。建物に大穴が空き、デカブツは消滅した。




 代行者は下か。ならば、もう一体のデカブツへと急ぐ。殻を閉じて逃げようとするから、俺様は接地面から手を入れて持ち上げ、回転を加えながら高く放り投げる。




 跳んだ俺様。つかんだデカブツで代行者を叩き潰す。




 デカブツは粒となって消滅。まともに直撃した代行者は仰向けに倒れていた。




 また全身に重りがのしかかる。さっきよりも重いな。俺様が片膝を突いたのは二度目か。息がぜぇぜぇと切れる。歯を食いしばってでも、立ち上がらなければならない。歩かなければならない。




 代行者を吐かせて得るものを得ねばならん。否定する者が未だ存在してる以上、俺様と奴等との戦いはまだ終わっていないのだからな。




「君はむちゃくちゃです。もう動かないでください。ちょっと、聞いてるんですか?」




 俺様の後ろを雅がついてくる。


 黙れ。横取りはさせんぞ。




 光。


 鉛色をした閃光が俺様と雅を薙ぎ払った。


 体が動かない。




 動こうとしても、指一本動かせず、瞬き一つできず、声も発せない。違和感はあるが、抵抗してくる力は一切感じない。時間停止が浮かんだが、安易な結論を出せるのだから、別の能力だろう。




「速さを否定する者リィズァ。仲間の危機に参上したずぇぇぇぇぇッッッ」




 過剰な自己主張が空気を震わす。




 水銀色に輝く肌、人間を一回りも二回りも大きくした胴体から右腕と左足だけを残し、首元についてる口がペラペラと動く。




「あれ、あれ、あっれぇ~。負け犬じゃ~ん。ひっさしぶりぃ~。ゆっくりしてるぅ? 俺ッちのこと覚えてる? なんか、俺ッちが否定する前より小っこくなってんじゃん。ッハッハッハッハぁぁ」




 忘れろと言っても忘れん。寝ていたところを叩き起こし、反物質砲の直撃で弱っていたところを追い打ちしてきた、不意打ちとやかましさしか取り柄の無い奴を。




「わざわざご足労頂き光栄です。否定する者最速、速さを否定する者リィズァ様。代行者エクセス、使命を果たしに戻られるのをお待ちしておりました」




 あれに跪いた代行者。そんなに偉いのか疑問だ。




「ゆっくりとした、いいあいさつ、いいあいさつぅ。パチパチパチパチパチパチパチ」




 口で拍手するのか。力強く発達した右手が代行者の三角帽を強く撫でた。




「いやぁ、世界が否定を待ってんじゃん。だから、俺ッち、超特急で復活したんだぜ。そしたら、誰もいないじゃん。んで、ちょっと探してみたら、わお、ちゃんエクが大ピンチ。放っておけず、こうして来ちゃったんだよねぇ。ヘッヘッヘッヘッへェ」




 中身が無く腹立たしいしゃべり。終始、身振り手振りもするからうるさい。一刻も早く黙らしてやりたいが、動けぬ以上、あれに付き合わなければならないのか。




「リィズァ様。お話し中申し訳ありません。特級否定対象並びに優先否定対象に、速やかなる否定をお願い致します」




 当然か。始末できる敵を放置する愚か者はいない。




「ごめん無理」




 今、信じられない事を口走ったぞ。あのペラペラ。




「リィズァ様。特級否定対象の否定は、この世界を否定する為の最重要事項です。お忘れですか?」




「うんうん。ちゃんエクの言いたいこと分かるよ。分かる。マジだって。でもさぁ、分かんない? 俺ッち、超特急で復活して、一番乗りした新入りの為に力を使ったんだぜ。おかげで、帰る力も残ってない。今日はもう帰って、ゆっくり、まったりしたい気分なんだよなぁ」




「申し訳ありません。リィズァ様」




 何故そこで代行者が頭を下げるのだ。否定する者の理念を無視しているのは明らかにあっちだぞ。




 だが、愚か者のおかげで、代行者が五次元への入り口である空間の歪みを作り、撤退を始めている。




 空間の歪みに愚か者が入ろうとすると、大きな右手を挙げ、首元の後ろが割れて口になる。




「じゃあな。俺ッちが復活するまでの間、ゆっくり、まったり、のんびりしてなよ。あっと言う間に、俺ッちが最速で否定してやるぜ。ッハッハッハッハッハッッハッハッハッハハァー」




 ペラペラそう言って立ち去った。




 あの速い奴は一度拳で粉砕し、ビッグクランチで存在ごと潰した筈だ。だが、復活する理屈が見えぬ以上、この点に思考を割くのはよそう。




 ん、瞬きができるぞ。拳も握れる。どうやら、永遠に動けなくなると言う訳ではないようだな。




計羅討凄流けいらとうせいりゅう古武術こぶじゅつ奥義おうぎ五黄殺ごおうさつ




 首が一気に重くなり、体が水底に沈んで落ちる。




 雅め。黒い力で俺様よりも速く動けるようになって、手刀による当身をしたな。




「ごめんなさい。本当は君の意思で同行して欲しかったんですけど、どうしても君を連れて行かなければいけない場所があるので、乱暴な方法を使わせてもらいました」




 謝るな。罪悪感から逃れたいだけなのが透けて見えるぞ。




 これで勝ったと思うなよ。




 俺様の意識はここで途切れた。

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