第1話(1) 俺様は人間にまで弱体化した
なるほど、ここは俺様が二度目のビッグバンをした後、マクロで再構築した新しい宇宙と言う可能性が高い。
突然、鳩尾に激痛が走る。俺様の下にいた女が殴ってきたのだ。
今度は持ち上げられたと思ったら、女に蹴りを捻じ込まれてしまう。
十メートル吹っ飛んだ俺様は白い天井を仰がなければならない始末。
五秒数え終えたら実力行使に打って出る。
思い出す事に夢中で、女の存在をすっかり忘れていた。うぅむ、隙があったとは言え、たかが小娘の突きと蹴りの筈だ。この程度で立ち上がるのが辛いと感じるなんて、俺様はどうなってしまったんだ。
「貴様」
「変態!!」
大きい声を出した女は顔を赤くして俺様から目を逸らしている。隙を見せるとは、ずいぶん余裕だな。
「変態。私はしばらく立ち上がれないようにした筈です。そ、それは、いいとして。早く隠しなさい、露出狂。ここまで堂々としていられるのは、やっぱり変態だからですか。それとも、自分が裸である事に気付いてないんですか?」
裸。
そう言えば、眩しい光りを点滅させているやじ馬から「キャー」の甲高い悲鳴が多数。他には「よく立てんな。あの変態」等の驚きに加えて「細い癖に鍛えている」や「かわいいお尻してる」等の興味が聞こえてきた。
俺様の体を見てみると、性欲を司る悪魔の種族インキュバスでも隠す物が野晒しになっていいる。皮膚の色素は肌色で体毛はかなり薄く、筋肉と脂肪の付き方からして間違いない。
「何故だっ。俺様が人間になっているだと!!」
薄っぺらい大胸筋。辛うじて腹筋は割れているが、腹斜筋の付きは甘い。上腕三頭筋はたるんでいて情けなくなる。人よりちょっと鍛えた程度の完成度か。
ただ、あの女よりちょっと身長が高いと言う点。それだけは良しとしてやろう。
「中二病でごまかさないで。全裸で外を歩くなんて立派な犯罪よ」
犯罪とは、社会が秩序の担保を名目に規定した法律を破る事だったか。
だが、中二病なんて病名は初めて聞くぞ。やじ馬の反応は冷ややかだが、笑っている声もしてくる。発症したら恥ずかしいみたいだが、致死性や感染力は低いみたいだ。それは置いとくとして。
「俺様が裸である事を批判するなら、貴様が穿いているヒラヒラした布をよこせ」
女の顔はさっきよりいっそう赤く、渡すまいとヒラヒラした布を押さえる。批判ばかりする癖に、問題解決に手を貸さないとは解せん。
「知っているぞ。そのヒラヒラの下には、パンツと言う布が一枚あることを」
「変態、渡せるわけないでしょ」
「つまり、その下には何も穿いていない。いわゆるノーパンと言う奴だから渡せないのだな」
やじ馬の視線、特に男の好奇に満ちた視線が女に集中する。
「パンツならはいています!! 全裸の変態と一緒にしないで」
それが不名誉なのか。必死になって女は弁解する。
「色は?」
「紫――――はっ」
俺様は既に飛び出していた。
殴った事は不問にしてやろう。だが、腹に捻じ込んでくれた、あの跳ね蹴りは戦いを挑んできたと言ってもいい。
戦いを挑んできた以上、殺したって構わない筈だ。恨むなら、下着の色を告白したくらいで困惑する貴様の未熟さを恨め。
十メートルくらいの間合いなら一歩で詰められる筈が、細くて軟弱な脚では四歩もかかってしまう。こんなに足運びが遅く、脚力が弱いとは不便な体だ。
それでも俺様が女を叩きのめして、戦利品にあのヒラヒラした布を貰う。
筈だった。
俺様よりも速い突きが鳩尾に迫ってくる。隙だらけだと思っていた女には一分の隙も無く、むしろ俺様の方が隙だらけだった。
床に踏み込んだ力を強引に逃がして、俺様はどうにか飛び退いた。
「皆さん、この変態は暴力的で危険です。見てないで離れてください。警備員や警察の方々が来るまでの間は私がなんとかしてみます」
凛々しくもたおやかな面構えをしたり、羞恥心を覚えたり、忙しい女だな。まぁ、戦場を広くしてくれた事に関しては気が利くと思うぞ。
「これは最後の警告です。もし、十秒数え終えるまでに誠心誠意謝罪をし、大人しく警備員や警察の方々に投降するなら、私は何もしません」
お互い構えているんだぞ。この状況で降伏勧告をしてくれるとは片腹痛い。覇道の心得がある者にあるまじき愚かな考えだ。とは言え、聞いてやらん事も無い。
「で、貴様は俺様に何を謝罪して欲しいのだ?」
「全裸で公共の場を出歩いて、見てしまった人を不快にさせた事。粗暴な態度で人々を不安にさせた事。私に殴りかかってきた事。私からスカートを奪おうとした事をです」
「下らん」
聞いてはやるが、元より謝る気なんてさらさら無い。
「隠すな、処女。真に謝って欲しいのは胸を揉まれた事だろ。ただ、事故と言って水に流す手前、言いだし辛かったんだろ」
ん。隠していた本音を俺様に言われて構えがブレているぞ。
「だが、俺様は謝らないぞ」
絶対にな。
「姦淫目的で貴様の胸を揉んだつもりはない。ビッグクランチをした後、気付いたらそうなっていたまでの事。この場で俺様が貴様を裸にひん剥いて処女を奪ったなら、恨むであろう。だが、現に貴様の処女は保たれている以上、恨まれる道理は無い」
俺様がそう言うと、女は黙ったまま顔色だけ深海並みに青い。
貴様の悩みがあまりに矮小だと言う事に気づいて衝撃を受けたか。致し方ない、ここは少し褒めて戦意を取り戻してやろうか。決着は覇道で付けたいしな。
「そう気を落とすな。悪魔の生贄としては中の上。顔の作りは悪くない。過不足無い胸は大勢の欲望を満たすだろう、修業しているから腹部は締まっているし、ハリのあって小ぶりめな尻も悪くない。後は適度に隙を見せることができれば、貰ってくれる奴もいるだろう」
やじ馬がざわざわしている。冷ややかな視線も増えた。褒めるべきところは褒めて、助言もしてやったのに、女は顔色が悪いままだ。人間になったせいで俺様の見立ても狂ってしまったか。
「くたばれ」
今の殺意に満ちた言葉は女のだ。
いつの間にか間合いを詰められていた。腰を落とし、言葉よりも重い殺意を込めた拳を放ってくる。
間に合わず、腕を使っていなしたが、石柱に殴られるが如き凄まじい衝撃。あんな細腕に無双の力を凝縮しているとは。しかも、まだ三十パーセントくらいしか発揮していない、だと。
「変態、セクハラ、中二病。いったいどう言う設定の魔王をしていれば、全裸で街中を歩けるんですか」
俺様なりに褒めてやったつもりなんだが、どうやら怒らせてしまったか。
「魔王だから、無意味に大げさなしゃべり方なんですね。そんな設定、社会の迷惑です。ゴミです。今すぐやめて。私にぶちのめされろ」
速く絶え間無い怒涛の突きが押し寄せてくる。どれも人体の急所を正確に狙っている。速さに費やした分、威力は低く。急所しか狙ってこないのだから捌くのは容易い。
女が一歩退いた。
疲れて呼吸を整えているつもりだろうが、攻撃を誘いこんで反撃するつもりなのが透けて見える。ここで俺様が罠に飛び込んでやる義理も無い。
向こうから蹴ってきた。
顔面を狙った回し蹴りを防ぐ。
重い。骨にヒビが入ってなければいいのだが。
それを皮切りに押し寄せる蹴りは、二刀流の剣捌きみたいな手数の猛攻。
薙ぎ払う鎌を彷彿とさせ、棍で突いてきたと錯覚。時折、鎖で繋いだ鉄球を振り回すが如く強烈で豪快な大技も放ってくる。
この女は強い。まだ十代半ばの小娘にも関わらず、かなりの実力者だと言ってもいい。見世物だと呑気に眺めているやじ馬が、束になり武装しても敵わないだろう。
俺様は女が繰り出してくる全ての蹴りを捌いてみせた。ついでに。
「スミレ色に白い刺繍か」
「変態魔王。死んでください」
しまった。羞恥に悶えるかと思い油断していた。姿を消す程に低い足払いが、油断した俺様の足元をすくう。
倒れたところを狙ってくる追い打ち。反撃は諦め、ここは転がってやり過ごす。
硬い床を粉砕しかねない激震。女から襲いかかる虎の迫力を見たぞ。
俺様は跳ね起きた。久しぶりに床を転がってみたが、肌にゴツゴツした感触はあまり良くないな。
女は攻めに行かず、自然体に近い構えで俺様の出方を窺っている。
やれやれ、ヒラヒラした布の奥を観察する機会を与えたのは貴様だぞ。果実を創っておきながら、食われたら怒る創造主みたいに狭量な奴だ。
「参る」
俺様は女との間合いを詰めた。突きを放つと見せかけながら、素早く相手の横に足を踏み込み、一気に駆け抜けて背後へと回り込んだ。
獲物の正面から襲いかかる鷹が尾羽を使って素早く旋回し、背後から仕留める。一羽の筈の鷹が二羽で仕留めて見える様から名付けられた。
拳を捕まれた。投げに入られる前に出ている足を踏み付けると、女は離して退いた。
そこから打ち合いになる。俺様が拳を繰り出せば、女が防ぎ。応酬してくる女の打撃を俺様が防ぐ。
一進一退の攻防も悪くは無いが、勝負である以上、俺様が負けるわけにはいかないのだ。
飛び退いた俺様は稲妻を描く軌跡で駆け、死角に回り込んで女に突きを放つ。
受け流されたか。俺様は再び飛び退き、正面から下段を蹴ると、膝で見事に防がれた。
今の俺様は獲物を狩る鷹。可能な限り素早く動き、女の虚を突き、打撃を放つ。結果の成否は問わず、深追いはせず、距離を取る。それを計十度繰り返す。
だが、九度の狩りを女は見切った。背後を取って察知させ、また背後を取っても以下省略。
狩りを避けられるどころか、合わせて迎撃までしてきた。奇策で頭を狙った飛び蹴りもしてみたが、返し技を喰らわなかっただけ良しと言う結果だ。
十度目の狩り。最後は正面から女を殴ろう。
床を蹴って真っ直ぐ女の正面に飛び込んだら、全身の力と言う力を引き出して踏み込み、握った拳を突き上げる。
女は腰を落とし、両手で受け止める気だ。いいぞ。史上最弱の俺様が放てる最速で最大の破壊力を喰らうがいい。
「無粋な奴だ」
女は唖然としていた。
俺様がぼんやりと白く発光する鞭をつかんでいたからだ。
拳を突き上げている最中、四次元以上の先である世界の向こう側、世界の境界として隣接している五次元から、俺様を狙う殺気を察知。
意志の力で心臓を止めて血の流れを断ち、拳どころか全身そのものを凍りつかせる。止めた心臓を動かし、雪解けるが如く動作を仕切り直す。
小さく歪んだ空間。遥か五次元先から狙い撃ってきた鞭を俺様が捕まえてやったのだ。
横槍を入れてきた無粋者はすぐ近くにいた。
女の姿形はしているが人間じゃない。
白くて眉目秀麗な顔だが、黒い白目に金色の瞳。長い髪は青白い。理想的な肉感をした身体の色は輝く赤銅色をし、黒を服みたいに配していた。古めかしい三角形の帽子をかぶり、マントを羽織り、尖った底の靴を履いて軍人じみている。
ほぉ、女は突然の事に唖然としたままかと思ったら、既に覇道の使い手としての凛とした面構えを取り戻し、俺様と同じ方を見ているか。
人間じゃない奴の口が笑うように開くと、肉食淡水魚みたいに刺々した歯が見える。
「特級否定対象を確認。並びに、優先否定対象も確認」
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