本編 (ここだけ5000字あります)


 晴れ渡る空の山よりも高く、東の大陸から白い十字が降りてくる。お目当てのジャンボレシプロ旅客機だ。


 お核はただ一人、この日のために京丹波からはるばるやってきた。無事に着陸したと見えたら、窓辺を離れて、ゲート前で迎える準備をした。


 東京都板橋区・成増飛行場。マシな田舎者が集まるマシな都会の隅にある軍事施設だ。一般の旅客が乗り降りできないこの地では、雑踏の懸念もなく、悠々と歩いて迎えられる。もちろん荷物の受け取りも早い。


 浴衣に半幅帯のラフな装いで手を振る彼女が妹のおエジだ。二人は手を重ねて再開を喜び、大切な話を始めた。


「お核ちゃん、今日の日付は?」

「慶應元年の9月12日やよ。間違いないかね?」


 西暦にすると1865年、江戸幕府を率いるのは第十四代将軍・徳川家茂(19)だ。


 おエジは頷く。来日の詳しい理由は家族にも明かせないが


「こうしちゃおられんわ。明日までに兵庫県に行かなあかん」

「案内するわ。こっちも発展してるんやよ」


 成増飛行場の最寄り駅は光が丘駅だ。まずは都営12号線で終点の新宿へ、乗り換えて山手線で東京駅へ。あとは新幹線で2時間30分も座っていれば新大阪駅に着く。


 お核がひとつ前の京都駅で降りるまでがおエジと話せる機会だ。積もる話がいくつもある。静岡県を短く感じるほど盛り上がり、名古屋駅に来て、おエジが動いた。


「アメリカちゃん土産あげるわ」出てきたのは銀色と黒の、蒲鉾板に似た物体だ。「うちの息子が開発した、スマホっちゅーんやけど」


 不思議な物体の側面にある突起部を押すと、黒かった画面が繻子のように煌めいた。見惚れるお核の顔を読み取ると、歌劇でも始まるように幕が上がり、画面には宝石箱も同然のアイコンが並んだ。


「どしたん、永久に唖のようやん」

「時代錯誤すぎて急についてけんのや。江戸時代やわ」


 日進月歩、お核が何を言おうとも技術は進歩してゆく。今この瞬間もお知らせが降りてきた。お梅からの電子メールだ。


 幕府軍が動いてる。京丹波は明日にも火の海になる。


 短いが真に迫る言葉だった。日付が昨日なので、この連絡における明日とは今日のことだ。


「おエジはん、これは」

「本物の連絡やな。まま、お核ちゃんならなんとかなるやろ。今だって核武装しとるし」


 お核はもじもじと頷いた。町内で最強とはいえ、相手が幕府軍では多勢に無勢、心細くもなる。


 心細くてもアナウンスが京都への到着を告げた。


「鎌倉時代なら考えられんかったわな。武運を」

「おエジはんも。行ってらっしゃい」


 おエジを置いてホームへ出た。発車まで外から手を振った。一人きりのホームで気合いを入れ直し、家族が待つ京丹波へ向かった。


 この時代の京丹波は竪穴式住居がまばらに並んでいる。侍が携える刀はまだ黒曜石で、農民の収穫どきには石の鎌を使う。


 お核の帰りはすぐに知れ渡った。村人の一人が挨拶する間に、話し声を聞いた者が別の者へと伝えて、その話し声を聞いてと繰り返す。村の情報網では情報がねずみ算式に広まる。連絡網より早く、メーリングリストより妨害しにくい。情報のやりとりに双方向性があるので、誰か一人が気づいたものを全体に共有する。集合知が人間の能力を拡張する。


 お核が返す挨拶には村の者だけが気づける暗号を忍ばせた。幕府軍の密偵がどこにでもいる時代だ。同じ言葉でも村人が聞くかよそさんが聞くかで意味が変わる。人は事前の取り決めに従い定位置へ向かう。


 地の利はお核にある。いくつもの竪穴式住居に見守られて奥へ奥へと進む。目指すは一家が住む秘密の研究所へ。誰ぞに追われていれば後ろから音が聞こえてくる。村人の誰かが教えてくれる。


 安心して研究所への扉を開く。コンクリートの蓋を持ち上げ、鉄の二重蓋の奥へ。階段を降り、隠しはしごを降り。最奥部からは姉のお電の声が聞こえた。


 この土壇場でついに成功したか。


 扉の先にはお電ともう一人、時代錯誤の洋服を来た女子おなごがいた。太いケーブルがいくつも集まるカプセルの中に。


「お核ちゃんか。いいところに来た!」

「ついに成しましたけ」

「天使トトノエル、これでウチらの研究も白日の元にお出しできますわ」


 顕現した天使は歩き出し、周囲を興味ありげに見渡した。機材と小さなデスクだけのつまらない部屋を辿るように眺めて。ひとつを指で示した。その指が機械に埋まり、一瞬だけ駆動音が途絶えたあと、改めて聞こえ始めた。


「さっそく整えてくれたわ」


 他のカプセルも唸り始めた。電灯が揺らぐ。電力の使いすぎだ。お電だから足りると思うが。


「お核ちゃん、ヘルプ頼んます!」


 予想を超えてきた。村を牛耳る発電機を持ってしても足りなかった。お核が懐に隠し持つ核燃料を緊急で電気に変換して間に合わせる。下の階へ駆け降りてタービンを回す。


「なんぼ必要なん?」

「一時間あれば間に合うわ。残りの核燃料は自分で持っときや」


 その頃の愛知県・伏見では。


 賑やかな雑踏を旅の者が歩く。女たちが黄色い声でへつらい喧騒が届かない長屋へと誘い込む。遊郭にはあらゆる旅の者が集まる。遠方からはるばる訪れる役目を持ち、雑事を他に押し付けるに十分な地位を持つ男が。


 三女・お梅はいつものように客の荷物を漁ると、機密文書を見つけていた。封蝋はそのまま、傷はつけず、中身はしっかり読んでいる。こんな手紙でさえ大抵は愛の模造品を言葉につめて妻の模造品へとばら撒くだけだが、今回ばかりは本物だ。大規模な軍事作戦をまさにいま始めんとする文書であり、この男は数刻後には最前線で指揮を執る。


 京丹波が火の海になる。お梅にとっては顔見知りばかりで稼げない土地だが、故郷の有無は稼いだ結果の使い先の有無になる。姉たちがいる。妹たちがいる。近所の村人がいる。故郷は世にふたつとない聖域だ。どんなに限界な田舎でも、誰が敵視しても、


 時間がない。おエジから受け取ったばかりのスマホを使う。慣れないフリック入力で概要を一家へ送った。小出しで詳細を送る。いつ嗅ぎつけられても途中までは届けられる。重要な順に。ひとつ、ふたつ。


 銃声が中断させた。


「おっと失礼、お梅さんから情報やわ」


 お核からお電へ、お電から村人へ。幕府軍の動向を伝えた。およそ一時間後に攻撃が始まる。


「急すぎやんね。時間稼ぎ頼むわ」

「りょ。何分?」

「十七分やな。その先は期待せんけど間に合わすわ」


 お核は地上へ出た。その頃にはちょうど民が不平を垂れていた。


「またどでかい賊を呼んできよったな!」彼は銃士だ。

「死人がごろごろ出るわこんなん」彼は不動産屋だ。

「うちが儲かるんは堪忍やで!」彼女は墓石屋の娘だ。


 村人がひと通り言い終えたらお核が言葉を放つ。


「そんでおたくら、幕府に降伏するん?」


 異口同音が返ってきた。


「するわけないやん! 故郷は手前で守るもんやわ!」


 頼もしい村人たちだ。一時間後に幕府軍が来る。一時間後にお電が作品たちを呼び出す。それらの準備を整えて反撃に転じるまでの十七分を持ち堪える。勝利条件はわかった。次はそのための布陣と、布陣を隠す布陣だ。


 小雨が降り出した。きっとすぐに激しくなる。雨の瞬間に攻め込むのは戦の定石だ。幕末なので気象レーダーは実用化には至らず、広域にわたる情報網ではいかに京丹波と言えど幕府の右には出られない。


 竪穴式住居とは仮の姿で、隠していた穴を開けてトーチカとして運用する。並びにはちゃんと意味がある。研究所への経路を塞ぐように射線を並べている。一家の長女・お松の活躍で北の大国からの輸入に成功した世界最強の銃AK47を配備している。これで江戸幕府を迎えうつ。


 運命の一時間後。雨はすでに本降りで、視覚と聴覚を惑わせる。


 静かな村を装い、いつでも攻め落とせるように見せている。幕府軍のしたっぱも簡単だと信じている。軍靴が土地を踏み鳴らす。トーチカはあえて見逃して奥へ誘い込む。


 幕府軍の進撃を食い止めるのはまず、お核が用意したクラスター核爆弾地雷・黄泉火雨よもつひさめだ。


 対人地雷は最初の一人を狙うばかりではない。二度三度と踏まれてから爆発し、前衛と後衛の分断を狙う。隊列だったものを一瞬にして覆し、孤立した小集団を袋叩きにする。


 今。黄泉火雨よもつひさめが飛び上がり、幕府軍の頭上から小型の核爆弾を無数に撒き散らした。


 核爆弾といえば巨大な爆発のイメージがあるが、より正確には爆発規模をそのままに弾頭の小型化が重要になる。大戦においてアメリカ軍が広島県や長崎県に落とした規模の爆発は、核爆弾でなくても実現できるが、核爆弾なら飛行機で運べるほど小型化できる。黄泉火雨よもつひさめも同じ発想で、跳躍地雷が撒き散らす破片をビー玉大の小型爆弾にしたものだ。熱で装備を溶解させ、放射線への恐怖心で士気を削ぐ。一般的な跳躍地雷と異なり、全体を地中に隠しても土ごと吹き飛ばして飛び上がってくれるため、隊列の中間ほどが通るまで爆発を遅らせる。もちろん一定確率で不発弾が発生するので一度の爆発では安全にならない。この不発弾が次の地雷となるのですでに踏んだ場所でも安全ではない。


 人間は恐怖から逃れようとする。撤退するには地雷原を抜けるしかない。前進したら勝てそうな田舎者がいる。欲を刺激する。後衛は壊滅的だが、分断されても前衛は少なくない。前進も撤退もどちらも危険な今、戦果を得るチャンスだ。


「なあお核ちゃん、ちょい遅かったんとちゃう?」お電からの無線通信だ。

「間に合いますわ、私たちなら」お核の目の先でお竹が動く。

「やったりましょか」お竹が伏兵から立ち上がった。


 声で威圧し、幕府軍へ向かう。武器は豆鉄砲と農具だが、だからこそ幕府軍を誘惑できる。こんな連中なら、戦えば勝てる。誘惑に負けたものがまんまと絶好の位置へ出てくるから、トーチカからの銃撃で撃破していく。


 この伏兵の役目は囮と時間稼ぎだ。なるべく長く生き残って、足を止めた一瞬を作り、そこをトーチカから撃つ。少しずつ突破される。少しずつ前線が下がる。それでいい。研究所の近くまで引きつけるほど逃げ道が遠くなる。近づくほどいい。しかし、到達してはいけない。ぎりぎりを狙うチキンレースだ。


 減って、減って。


 お竹が率いる伏兵も負傷のたびに撤退していく。わずかな擦り傷でも感染症の危険がある。安全第一だ。勝利条件には村人の生存も含まれている。村人の戦線離脱が増えるほど幕府軍の突破率も増す。


 加えてもうひとつの予想外が襲った。幕府軍の後衛が黄泉火雨よもつひさめを乗り越えて強引に集まった。確率で抜けられるから、被害を承知で。恐怖心を投げ出した連中が無鉄砲に走る。


「お電ちゃん、ごめん。一人こぼした」お核の通信だ。


 幕府軍が研究所の入り口をこじ開け、探り探りに通路を進む。どこに罠があってもおかしくない。隠し通路があってもおかしくない。一人目が見つければ、二人目以降はすぐに進める。合流待ちとクリアリングを重ねて時間を有効に使う。


 が、十七分だ。幕府軍には残念だがこの日で幕府の天下は終わる。ひと足早い明治維新がこれから始まる。お電の研究室から切り札が飛び出した。四大天使の顕現だ。


 天使コトナキエルの防壁が先兵を弾き出した。お電の研究所は被害なし、事なきを得た。天使ミズオエルの飛翔で航空優位を得て、天使チノリエルが薙ぎ払う。その状況を天使マトーエルが知らしめている。目と耳で触れている世界は見間違いでも幻想でもない。お電がやってくれた。


 怪物を前にして幕府軍は撤退していく。様子がおかしくなった者は足よりも手を動かすが、やがて手も動かなくなる。京丹波と村の全員を守り抜いた。誰もがそう思った。お核もそう思った。お電からの通信で覆す話が届いた。


「今すぐ研究所にきい。お核ちゃんだけの大事な話や」


 すっかり歩きにくくなった階段を降り、壊れかけのはしごでは肝を冷やし冷やしにゆっくり体重を乗せる。研究所にはお電とトトノエルに加えてさらにもう一人、彼女は天使アリエルと名乗った。


「この子が言うにはな、お核ちゃんがいるだけで様々な問題が集まるんやと。けどウチはお核ちゃんを見捨てられん。他のみんなもきっと同じやわ。だから時空転送ロケットで逃がすって考えたんや」


 簡単には作れそうにない設備がこの短時間で完璧に整っている。プロトタイプの発射試験もいくつか済ませた形跡がある。これもトトノエルの便利な力だ。時空転送ロケットにはアリエルも同行してくれるので大抵のトラブルは乗り越えられる。この世界と別れるのは寂しいが、天使が言うならきっと事実だ。現にお核はこれまでも、核兵器の独占を目論む宗教家や核の廃絶を謳う団体の襲撃を受けてきた。


「他の手段はお核ちゃん次第や」


 次回・時空間ロケット編に続く。

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