追加エピソード
EX1 高校時代
東京都練馬区・平和台のマンションから自転車を走らせて、見知った顔を見るたびに大声で挨拶を送る。知らない顔でも制服が同じならば挨拶を送る。一方的でいい。誰もが同じく高校デビューの日で、最初に声を聞いた者が最も印象に残る。
教室で改めて顔を合わせる。兎田にとっては、あの道ですれ違った子。相手にとっては、あそこで挨拶した子。
一ヶ月も続けたら鈍いグループまで力関係を理解した。兎田にとってはゲームの終わりでもある。
兎田が好きと言えば女子グループの半数が好きと言い、嫌いと言えば同じく半数が嫌いと言う。同調でようやく不安を除ける連中だ。本当に、くだらない。誰も新しいものを見せてはくれない。
だから兎田はノリが悪い半数に望みを託す。
知らないものを見たい。解き終えたパズルはいらない。これから解けるパズルが欲しい。新しいおもちゃが欲しい。その一心で積極的に声をかける。
が、捻くれ者には逆効果だ。石をどかされた虫と同じ、大慌てで土の下へ隠れようと逃げ始める。その度に隣から気休めのつもりの口臭が漂う。
「卯月が言ってるのに、失礼しちゃう」
なけなしのお上品な語彙で上辺を繕う。乱暴者には持ち主が必要だ。飼い殺して、楽しみの種を守る。
隅でこそこそ遊んでいる気配を見つけるたびに、遠くから眺めて少しでもおこぼれを探す。乱暴者が乱入したがるので、他の興味を与えておく。
一人だけ、一度も話したことがない女がいる。
名前は
ある日、自転車で走り抜ける様子を見た。前カゴには荷物がある。それを、どこで? 追いつくには足がなく、自分も自転車に乗ってみればそういう日に限って見つからない。
彼女を知りたい。夏休みの準備が始まる頃には半ば執着とも呼べる程度に入れ込んでいた。
前期の中間テストで、兎田は一番ではなかった。詳しい発表はないが、クラスの連中がトップでしょうと囃し立てたので、話の流れで一番ではないと聞き出した。
上回ったのは誰か。もちろん取り巻きのゾンビではないし、石の下グループの会話からも聞こえてこない。結果そのものは隠すだろうが、友達同士で共有したら話の流れに出てもおかしくない。
それらが聞こえないなら誰とも繋がりがない者に目が向く。すなわち、蓮堂に。
夏休みの初週、その時が来た。
垣間見えた蓮堂は日焼けが少なかった。通る道はきっと日陰が長い。手土産に冷えた飲み物を持つ。
根気よく張り込んだ結果、蓮堂が目の前を通った。手を振って呼び止めれば蓮堂は止まってくれた。少なくとも拒絶はしていない。
「こんにちは、蓮堂さん」
顔色は変わらない。警戒でも喜びでもなく、単純に疑問らしい。どんな用事があるか想像もつかないのだ。兎田はすぐに察知した。その心境なら、説明をすぐに送る。
「話したことがないからどんな人か知りたくて。時間ある?」
ポカリスエットを掲げたら、蓮堂は受け取った。やっと話ができる。
「ゲームをしに行くだけだよ」
「その大荷物で? ゲーム機ごと持っていく、じゃあなさそうよね」
「カードゲーム。好きに組み合わせたカードで、並べたりして勝負するの」
「私も遊んでみたい。教えてくださらない?」
兎田が飛びつく様子を、蓮堂は訝しげに見つめた。なぜこいつはそんなに興味を持つのか、兎田にはそう訴えているように感じた。
「みんな自分のカードを持ち寄るんだけど、買うにはお金がかかるよ」
「五千円で足りるなら大丈夫」
「なら余裕。ついてきなよ」
蓮堂は自転車で先導する。狭い車道とさらに狭い路側帯の道を進む。後ろから車に追い越される。左に寄れば電柱や草むらにぶつかり、右に寄れば交通事故を起こす。通りにくい道だが、蓮堂によると他に道がないので仕方ない。
そんな道中も長くは続かず、蓮堂の行きつけのカードゲーム店に着いた。
第一印象は、自転車の廃棄待ちだと思った。
店舗の入り口前には駐輪用の空間がある。大きさは軽乗用車なら二台半程度で、集合住宅なら十二階建くらいでようやく大きさが並ぶ。広いはずの空間だ。
その空間を自転車が埋めている。ハンドルの位置まで噛み合わせて隙間なく詰まっている。半数以上は子供サイズの直線的なフレームなので、きっと中の半数程度は男の子だ。
蓮堂も停める場所を悩み、整列させる店員らしき男に預けた。彼は慣れきった手つきで自転車を運ぶ。
「引いた? 毎週この時間に大会があって、いつも百人以上が来る」
蓮堂は軽く言うが、百人といえば学年ひとつ分だ。体育館で整列しただけでも広く使うのに、ゲームなら机と椅子があり、通る場所もある。加えて店なら売り場や在庫置き場もある。
ここまで詰まるほどに人気のゲームらしい。圧倒されたわずかな時間にもさらに男の子が来た。自転車を車道に停める子もいるので店員らしき男がすぐさま注意して敷地内に運び込む。
「蓮堂さんって子供好き?」
「別に。でもゲームでは対等だよ。私も勝ったり負けたりする」
「ふーん。少し、考えててもいい?」
「この人混みだし、しょうがないね。私は夕方ごろまでいるから、後でまた来てもいい。三時ごろには空いてくる」
蓮堂はあくまでゲームをしにきた。兎田と付き合うためではない。曲げない姿勢で向き合う相手は久しぶりで、兎田はますます興味を強めた。とはいえ、この自転車の山を見て飛び込むのは気が引ける。
ゲーム大会では、試合ごとに半分が負ける。負けたら脱落になり、この混んだ中に残るだけでも大変だ。遊ぶ場所があるとは思えない。
理屈はわかった。蓮堂が夕方までいるつもりとは何を意味するか。
「勝つ自信があるんだ」
「もちろん。そろそろ受付だ。私は行く」
「じゃあ、また後で」
兎田は近くの日陰に逃げ込んだ。見える範囲に暇つぶしはない。自販機、カラオケスナック、しゃぶしゃぶ店、自動車学校、ぶどう畑と駐車場。あとは民家ばかりが並ぶ。ここで見るものはひとつ。店から出てくる人の数と勢いだ。
この時代はスマホどころか携帯電話もない。正確には、仕事熱心なお父さんやお金持ちな少人数は持っているが、普及には程遠い。
だから持ち物に文庫本や漫画がある。電車や些細な待ち時間は読書の時間だ。兎田も同じだが、今日ばかりはページを進めるよりも重要なことがある。蓮堂との仲の深め方だ。
蓮堂は他の誰とも異なる反応を見せた。媚びた取り巻きにはならず、怯えた石の下の虫にもならず、話が通じない馬鹿でもない。
もっと見たい。もっと知りたい。そのためにもっと近づきたい。相手がゲームを好むなら、自分も同じくゲームと向き合う。人は並んで同じものを見ていられる相手を好む。蓮堂もきっと、例外にはならない。
二十分ほどで、ぞろぞろと男の子が出てきた。店員に声をかけて自転車をどうにか出し、どこかへ走り去る。
あれは一回戦で負けた子だ。友達との話でわかる。さらに十分ほどでまた出てきた。詰まっていた自転車が減る。まだ常識外れだが、最初と比べれば大きな進歩だ。
予想通りに男の子が多く、多くは活発な子だ。物静かな子もいるが、それよりもスポーツ少年風の日焼けと肩まで捲れたシャツが目立つ。
中高生や明らかな大人もいた。親子だったり、一人で来ていたり。客層の年代は広く、男性が多い。
そんな中に混ざるあたり、蓮堂は陰気な奴と聞いていたが、少なくとも社交的ではありそうだ。同じものを好む同士は往々にして気質が近い。
断続的に人が出ていき続けて、そろそろ出る量も減って、三時。兎田も入ってみると、日曜昼の山手線くらいには空いていた。
蓮堂は奥のテーブルにいて、真剣な面持ちでカードを動かしている。程なくして向かい側の相手が「負けました」で挨拶を始める。ちょうどいい所だった。カードを片付けて、結果を書き込み、店員に渡す。負けた子は参加賞を受け取り、友達グループに合流する。
「勝ったんだね。おめでとう」
「どうも。ここから三連勝したら優勝だ」
「今のうちにさ、どう応援したらいいか教えてよ」
試合なら応援する、野球でも卓球でも柔道でも同じつもりだった。カードゲームではどうか。
「見守るだけにしてくれ。手札が見えないように横から。後ろに立つと、場合によってペナルティがある」
蓮堂は手元のカードを扇状に持つ。このカードを覗き見てこっそり伝えたら一方的に有利になるので、後ろに立ってはいけない。李下に冠を正さずだ。他にもアドバイスになり得るから声掛けを控えるとか、ガンバレの言葉も試合中は控えるなど、一貫して孤独な戦いになる。
退屈せずに見物するには、蓮堂はふたつを示した。表向きのカードが多いほど攻撃を始めやすく、裏向きのカードが少ないほど負けが近い。
それらの説明は役に立たず、蓮堂は次の試合であっという間に負けた。
「今のは?」
「速攻デッキだ。私の準備が整うより先に攻撃する、防御が間に合わなければこうなる。まあ」
蓮堂は恥ずかしげに言った。
「話でもしてようか。兎田さんが来てちょうどよく負けたし」
蓮堂の案内で離れた空きテーブルを陣取った。
カードゲーム店には遊ぶための席がある。遊んでいれば様々なカードを見て自分も欲しくなる。新品はランダム封入パックだが、中古品をばらばらに選んで買える準備がある。最新から初期まで、カードの名前と買う数を言えばすぐに出てくる。あとは飲み物やお菓子も売っている。
席を使うだけなら無料だが、使えば買い物をしたくなる。そういうビジネスモデルだ。徹底的に無料で遊ぶことも一応できるが、無視できる程度に少ないらしく、賑やかしとして役立つので誰も文句をつけない。
「兎田さんの、本当の用事って何?」
蓮堂は見透かしたような口ぶりで問いかけた。正直に答えても構わないが、それで信用されるとは思わない。かといって誤魔化しのような答えで納得するはずもない。兎田は正直に言うしかない。
「話したことがないから、どんな人か知りたい。これが本心だよ」
「なぜ私に?」
「他のみんなと話して、まだ知らないのが蓮堂さんだけになった。そしたら興味深いことをしてたから、仲良くなりたい」
言葉は取り繕える。示したいものは行動で。兎田は財布を出した。
「どれを買ってきたら遊べる? 教えてよ、蓮堂さん」
「マジの本気で言ってた?」
「そうだよ。予想だけど私は、蓮堂さんと遊ぶのがきっと一番楽しい」
「それはおだてすぎでしょ」
「本心だから。事実になるかを確かめさせて」
兎田は立ち上がる。本気で買いに行く構えだ。
スターターセットはすぐに遊べるが、楽しむには強さのバランスが必要になる。蓮堂が熟練のカードを使う限り、兎田が追いつくには時間もお金も必要になる。それでは飽きる方が早い。蓮堂は理解しているから、提案を始めた。
「わかった。じゃあまずこれ見て」
手持ちのカードを広げた。明らかにデザインが違うものが並ぶ。
「私はいろんなゲームをやってる。絵の雰囲気とかで馴染むやつを選ぶ所からにしよう。今日みたいに人が集まる日で選ぶのもいい。これは土曜の二時、こっちは日曜の二時と木曜の六時、日曜の六時」
その中にひとつ、見覚えがあるフレームがあった。確か中学生の頃に、親が間違えて買ってきたものがこんな感じだった。絵が綺麗だから眺めるだけで、よくわからない文章を無視していたが、蓮堂がいるなら。
「蓮堂さん、『炎まといの天使』って知ってる?」
「結構いいカードだね。なんで?」
「なんか持ってて、絵を眺めるだけより遊べたほうがいいかも。これやろうよ」
蓮堂はやけに嬉しそうな顔で答えた。
「やろう。今度の月曜になんか持ってくる。いろいろ余ってるから」
夏休みのおかげでいつでも賑わうが、それでも大会がない時間帯ならそこそこ席はある。約束をして、この日は帰った。
蓮堂との仲を深められる。期待した通りに、夏休みは蓮堂と遊んだ。ほとんど毎日を蓮堂やそのゲーム友達と過ごした。
仲を深めた後ではゲームの他にも、お祭りやショッピングや、女子高生らしいことをした。
互いに呼び方も変わる。蓮堂さんと兎田さんから、呼び捨てになり、あだ名になる。どーちゃんとげーちゃん、この時代にパソコンがあるご家庭で人気の作品から真似た。卯月の月をゲツとして使うあたりの強引さも味として受け入れた。
蓮堂についてわかったこと。思慮深くて、観察が得意で、ありふれた言葉で言えば頭がいい。兎田にとって、自らよりも優れている相手は珍しく、同時に恋慕の対象でもある。呼び名のサビオセクシャルを知ったのもこの時期だ。
優れた相手とは恋愛的にも付き合いたい。欲求の果てにさらなる幸運を見つけた。蓮堂がレズビアンで、兎田への好意が生まれていた。度重なるアプローチが実を結んだ。
二人は両想いの関係になった。夏休みが終わる直前のことだ。
張り切りすぎたか、兎田は夏風邪を引いた。始業式からさらに数日は休むことになったが、ベッドで蓮堂を想い続けていれば退屈ではなかった。
そして久しぶりに登校した日。兎田は転落する。
蓮堂の姿が見えない。担任によると欠席ではない。ただ、姿が見えない。
兎田の隣に取り巻きもいない。嫌な予感があった。乱暴者を飼い殺しから放てば何をするか。蓮堂が姿を見せない理由は。答えを導き出してしまう。
昼休みに蓮堂が追いやられそうな場所を回った。トイレ、別の階のトイレ、保健室、体育館、校舎裏。最後に校庭の、教室の窓からは木に阻まれる位置でようやく見つけた。
取り巻きが蓮堂をリンチしている。
肩に足跡、鼻に痣。蓮堂の髪は記憶よりも短かった。数日だ。最大でも四日。短くても、悪意を受ければ人は歪む。これまで見てきたのと同じく。
「あっ卯月! うちらでやっときましたよ」
蓮堂への道を阻むように二人が出張る。使われた。こんな連中に。蓮堂を虐げる舞台装置として。
「卯月を汚しやがったって本当ですか?」
「キモい奴なんかよりうちらと遊びましょーよお。寂しかったんですよ」
兎田に向けたような素振りだが本当は後ろの蓮堂に向けている。状況が悪い。半端な動きでは蓮堂を追い込む材料として絡め取られる。
自分を明らかに蓮堂の味方と示すには、大袈裟に、センセーショナルに。手段は何か。何を言えば通じるか。いや、言葉ではだめだ。「表向きには」と嘯けば疑念が残る。相手は六人もいる。声は声でかき消される。汚い手が手首に迫る。振り払う。
「卯月さぁん、ノリ悪いですよ。ちゃんと片付けますって」
聞き苦しい。分が悪い。苛立ちを抑えるのはやめだ。兎田にとって重要なのは、蓮堂を守ること。そのためなら自分がどうなっても構わない。ならば、決まりだ。
肘を曲げて、伸ばす。同時に二の腕を前へ出す。パンチだ。前半で気取られてはならない。握手でもするように拳を持ち上げて、取り巻きの胸に叩き込んだ。
「グエ!」
普段以上の汚い声でよろけた。視線が集まる。予想を上回った。このまま優勢まで持ち込む。
「蓮堂に手を出すなら、私が許さない。今すぐ散って!」
取り巻きは目を見合わせて、次の行動を考える。無い頭には、叩き込んでやる。兎田は前蹴りを臍の高さへ捻じ込んだ。尻餅をついても五人、まだ不利でも、士気を崩せれば。
舌打ちが聞こえた。六人はずらかる。兎田は蓮堂に肩を貸す。まずは保健室へ連れて行く。次の手はその後で考える。
「どーちゃん、喋れる?」
「少しなら」
「私はあいつらを絶対許さない。なんだってやってやる。どーちゃんのためならできる」
「よせ」
「私はどうなってもいいから、どーちゃんだけは守る」
「無理だ」
「今すぐにでも、やってやる」
「聞け」
保健室に着くまでに聞けた話はごく短かった。蓮堂はこの一件を知り合いの大人に任せる。兎田がやるより確実だから。
流水で洗い、消毒液とガーゼを当てる。兎田はその間に服の汚れを落としたり出来事の記録を書く。顔は覚えた。名前も知ってる。何をしたかは、兎田はほとんど見ていない。
蓮堂をベッドに寝かせた。内臓への衝撃は大したことないと自称するので、追及を控えて、策の話に移る。
「探偵がいて、もう伝えてある。今回の一件は録画済みだ。もう片付けられる」
「信じていいのね」
「もちろんだ。ただ」
「ただ?」
「他の知り合いで、自称殺し屋の男がいる。優男だが、暴走しないかを心配してる」
「外では顔が広いのね」
久しぶりの会話がこんな内容で心苦しいが、それでも会話できる自体は喜ぶべきだ。ともすれば仲を裂かれたかもしれなかった。信用か、最後に手を出したからか、どちらにしても正解だった。せめてそう信じるしかない。
「げーちゃんに言うことがある」
蓮堂は強引に体を起こした。手を伸ばして、まず兎田の肘を掴む。反対側からは背中に。抱擁を交わす。耳より後ろからの小さな声を聞く。
「動いてくれてありがとう。心強かった。裏切られてないんだって、確信できた」
兎田も腕で応えた。強く、強く。
「裏切られたと思わせなくてよかった。私は蓮堂の私だから、ずっと」
信じきれない。信じさせきれない。何をやっても。どの言葉もそう思わせて後で裏切ると考えられる。それでも、信じてくれると信じるしかない。行動を重ねて築き上げる。
それしかできない。だから、そうする。
ラビアン・ノアル エコエコ河江(かわえ) @key37me
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