S13C6 表舞台の卒業式

 卒業式。


 兎田を指名したことがあるゲスト全員に招待状を送り、昼から夜までホール全体を使って執り行う。飛び入り可、一見可、誰でも可。チャージ料を高めに取るが、それ以降は品がある限り飲み放題とする。


 飾りつけは結婚式を模した。立て看板にタキシードを着せて新郎に見立てる。入刀するケーキほどの山を酒類の瓶で作る。しかも、あちこちに。


 卒業式じゃなかったのかと小声で確認すると、大人の卒業式はこうやるんだと言い張る。


 主宰者は名実ともにナンバーツーで、兎田は口出しはもちろん、下見も手出しも追い出された。簡素なプログラムを受け取るだけで、その心遣いに喜ぶ。兎田なら短い文字だけでわかる。わからなければ確認する。その能力があり、その度胸がある。だからサプライズを最大にできる。これまで築いた信用の全てを会場と小さな紙に詰め込んだ。


 初めはドレスでと言われたが、兎田にはもっと馴染む服がある。こればかりはそう簡単には覆らない。バニースーツで出る。主役なんて柄じゃない。主役が使うクィーンの駒、兎田の生き方はこれだ。


 物の見方はいつでもフラクタル構造になる。家庭での当たり前が友達には通じないように、友達同士の当たり前が学校では通じないように、学校での当たり前が国際政治では通じないように、逆に国際政治での当たり前も友達同士では通じないように、範囲が変われば地位も変わる。クラスの人気者と国際政治の人気者は別の技術で成り立つ。


 チェス盤で喩えるなら、兎田は店内ではクィーンでも、店を出ればただの雑兵ポーンだった。境界をひとつ跨げば権威は価値を失い、無名の民の一人になる。戦功をあげるまでは。昇格プロポーション、ポーンが敵陣の最奥まで到達したとき、望む駒に置き換える。通常は最強のクィーンに。


 チェス盤からクィーンが消えるのではない。次のチェス盤にクィーンを進める。


 チェスの話は終わりだ。兎田は控え室で、すでに感極まったキャストたちを宥めて、いよいよメインホールへ向かう。最後の大舞台に。


「大丈夫、私がどこに行っても日々は同じく続くわ。松岡修造と気温が関係ないのと同じように」


 兎田は歩く。後ろから後輩や抜き去った先輩たちがついてくる。


 人がすでにぼちぼち来ていた。兎田が「このたびは」から話そうとするので、ナンバーツーが続きを代わる。


「ラビさん、今日のあなたは主賓です。私たちのできる様子を見ていてください」


 不器用な子だが、兎田には伝わった。


 彼女はナンバーツー、最初は外見へのコンプレックスを持ちながら、持ち前の真面目さと先輩たちの助言を合わせて、全てを解消して登り詰めた子。


「ありがとう、わかったわ」


 兎田はグラスを片手に来賓と膝を合わせる。外には本物の昼があっても、建物の中は普段通りの紛い物の昼のまま、ノンアルコール限定の時間を特別にする。


「ラビちゃん、今までお疲れ様。思えば長かったね」


 彼は建築系ホワイトカラーの社長。初めて店に来た頃は部長だったが兎田の言葉が原動力と分析の助けになり、社内での地位をどんどんと上げていった。


「いつぞやの愚痴のおかげで、配電盤が変な建物に気付けましたわ」

「愚痴? は確か僕が来て何度目かの、何の話か僕も忘れちゃったのに」

「営業の方が持ち込んだ物件の話でしたわね。そのひとつが、配電盤にあるべき部品が抜けてた話で」

「ああ、あったあった! よく覚えてるよね」


 人は価値を認められて喜ぶ。行動で示すには、覚えていたおかげで役立った話をする。場所や出来事が結びつくと言葉に深みを感じる。。人にはそんな習性がある。


 恋愛ごっこを恋愛ごっこと分かって楽しむ大人ばかりが集まる店だ。すでに自分は喜んだから、次のゲストの元へ行くよう促した。兎田はその前に胸を張り、彼が好んだ下からの触り方を促す。言葉を不純物とし、仕草と表情で伝える。


 次の彼は非常勤講師。具体的な範囲をぼかしても同じ教え子らしきエピソードが三年ぶりだった日があるので大学か定時制高校と見ている。


「本物の卒業式が近いとは存じますが」

「まったくだよ。うちの連中も見習ってほしいくらいだ。この平和さをね」

「やんちゃな子が多いですものね。そういえば先月のバス事故は」

「うちじゃない」

「よかった。知った方が悲しむと私も悲しいですから」


 この男は特別扱いを好む。遠くの誰かよりも近くの自分を見ているように演出する。特別になりたい人とはすなわち特別ではない人で、世の中にそんな凡夫はいくらでもいる。だから少しの刺激で簡単に舞い上がる。


 もちろん誘導もお茶の子さいさいだ。減らしたい話には皆さんそう仰ると返し、増やしたい話には中々できない賜物だと返す。凡庸さを嫌うのは凡庸な者の常であり、そう聞いて素直に従う自らに酔えるのも凡庸な者の常だ。借り物の欲求で踊る限り、貸し主には決して抗えない。


 兎田は次のゲストの前へ移る。まともに話せる相手ほど負担が小さく、時には有益なお土産を得られる。


 花輪にも名前がある彼は海外支部を監修する事業家だ。コンカフェ時代からの常連で、ナンバーワンとして紹介した写真から見つけて訪れた。お互いに日々の進歩を語り合う仲になった。他の形で出会っていたら互いに一線を越えられたかもしれない。なまじ分別あるばかりにキャストとゲストの関係で留めている。


「お久しぶり。来られたよ」

「いつもありがとうね。花輪の費用まで」

「処分がいちばん大変だって味わったら、そりゃあね」


 彼は聞きつけてアメリカから飛んで帰ってきた。直接では間に合わないので、各国の空港を渡り歩いて。各国のグリーティングカードを見せてくれた。規約によりキャストは贈り物を受け取れないから、見るだけで成り立つものだけがお土産になる。


 続くゲストが一気に雪崩れ込み、招待客の全員がすでに集まったとわかれば黒服が予定を前倒す案内をした。兎田も舞台へ向かい、挨拶のスピーチに備える。


 広報用のSNSに知らせを投稿して、いよいよ始まる。


 兎田は頭を下げて、マイクの前に立ち、長い紙を広げた。


「皆様、この度は私の、卒業式に」


 こそばゆい言葉は少しだけ口ごもった。


「参列いただきありがとうございます」


 涙は自在に出せる。顔は赤くできる。


「感無量、このただ一言に尽きます」


 巨大な紙に書いたのとは別の言葉で止めた。集まったのは日本の中高年が中心で、若手も気づいている。ここ一番でのみ感情を表出させる者を信用する文化圏だ。同時に、その慣例に辟易する者もいる。深呼吸ですぐに元通りに整えて続けた。掌で踊らせる。


 兎田を照らす光がある。目元の輝きが目立つ。落ち着いて続きを語る兎田をみて、来賓もハンカチを出す者が現れた。息遣いが伝わる。ため息と瞬きが重なる。目線は兎田に集まり、目を閉じてから再び開けるまでが長引く。


 スピーチの内容が耳に入っているのかいないのか、一体感ある流れに持ち込んだ。感情は脳神経に作用して微量な匂いを発する。涙から、血液に乗って全身から、匂いは外へ漏れ出す。無意識に感知して感情を共有する。兎田の最初の一雫を誘い水にしてメインホールへ広げた。


 例外的に満足げな顔の者がいる。ナンバーツーを筆頭にするキャスト陣だ。わかっていない者は場の雰囲気に呑まれているが、兎田の意図を読み取る能か知識を持つ者はこの場でも普段通りに動ける。


 血も涙もある。使い方が違うだけ。


 酒瓶を開けて、兎田とゲストに注ぐ。高い参加費だけで飲み放題とは言ったが、チップを渡したい者からは拒まない。


 ナンバーツーが兎田に注いだとき、率先して彼女の胸にチップを差し込んだ。「今日ぐらい私も入れたい」と言って強引に奥まで押し込んだ。ゲストの立ち位置も羽振りよしと見せたい者が先に注げる場所に来るよう誘導している。


 完全ではないが十分ではある。兎田がチップを差し込み、ゲストも差し込んだとあれば、自分も流れに乗りたくなる。もしくは、乗る価値と乗らないリスクが。


 ここは商談の場でもある。同じ女の乳や尻に触れた仲だ。感性や経験の一部を共有した相手と事業の提携を結びたいし、不動産を紹介したいし、備品を発注したい。ただ楽しむだけにはしない。使える機会はしゃぶり尽くす。成功者は資質をいつでも発揮するから成功できる。


 ボトルを開けるごとに胸と尻と太ももにチップが捩じ込まれる。これ以上は危ないと言えば下腹部にも。


 兎田の最後の置き土産に、残るキャストたちに甘い毒を味わわせた。この経験はお金の話題になればいつでも鮮烈に思い出す。大きな使い先で、些細な困りごとで。こうしたらお金が手に入る選択肢を教えた。


 楽しく夜は過ぎる。

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