4章 闇色の生き様

S14D1 不確かな旅路

 卒業式の翌日は写真屋が仕事をする。


 翔が珍しく外出したので昼食は兎田が用意した。整頓された冷蔵庫から余裕ある食材となくなりかけた食材を適当に焼いて調味料をかけて食べる。映えの材料は映えない。栄養があれば美容は成り立つ。


 普段ならブログや連絡の文面を用意していた時間だ。「昨日はありがとう、楽しかった、二日酔いは大丈夫?」などの、ありきたりな内容を相手に合わせて改変して送る。特別なことはしない。誰でもできることを誰よりもやる。


 今日はこれからの計画をメモに書いた。これまでならひと通りの返信を済ませる程度の時間でまとめる。


 翔が帰ってきた。


「卯月さん、今いいですか」

「もちろん。ご機嫌な話ね」


 翔とは変わらず仲良くしている。少なくとも表面上は。にこやかな話をしながら 封筒から出てきた書類を読み込む。ひとつに目を通すたびにテーブルに並べる。


 文章、一覧表、写真、根拠となるグラフ。兎田の客のうち、昨日は都合がつかなかった全員分の昨日の行動が細やかに記されている。


「この調査は誰と誰が?」

「卯月さんが二人とした根拠から」

「紙質が違う。コピー用紙の古めのと新しいのが混ざってる」


 翔は改めて手触りから確認する。湿気の管理や収納場所による柔らかさの微妙な違いと、匂いもわずかながら差がある。片や無臭、片や機械油らしきじっとりした刺激がある。


「覚えておきます。片方は蛇目雅巳じゃのめ・まさみという一応の仲間が印刷所から持ち出した情報です」

「一応って?」

「ただの使いやすいバイトですよ。忠義とかは期待しないでください」

「了解、無能な欲張りさんね」

「もう片方は探偵の蓮堂さんに」


 兎田は露骨に顔色を変えた。蓮堂との因縁を脇においても、翔が出ていた時間から自分で出向いたと考えるのが自然だ。翔によると国立競技場駅から大江戸線で三十五分ほど。駅からの徒歩を含めても話はそこそこ長かったと見える。


 それより問題なのは。


「一度は蓮堂を拐ったんでしょ? とりつく島がある? 最初から芝居を?」

「そうですけど、菓子折りで許してもらうのも兼ねてです」

「怪しいもんね。鉛のお菓子か、もしくは黄金色の?」

「卯月さんのブロマイドを」


 後にすごい形相として語り継がれる顔で睨む。翔は舌を出して誤魔化す。蓮堂を使うのが最も合理的なので選んだにすぎない。調査の技術があり、取引の材料があり、秘密を守る理由がある。他意はない。


 茶目っけが出たので蓮堂の様子を語った。言葉だけで、事実のみを淡々と。逆鱗を避けて逆撫でする。


 依頼を持ち込むときに菓子折りと大丈夫じゃないお金を渡して、追い払われそうだったがブロマイドの話を出したら渋々の顔でソファを空けてくれた。条件として卒業式の様子を要求してきたので、黒服に扮して撮り、今日それを蓮堂に渡した。


「あの様子なら、まだまだ未練まみれですね」

「今から行って燃やしてきましょうか」

「だめですよ、時間がないですから。計画を共有するので、リハーサルをしててください」


 翔が計画の提示を始めた。


 目標は大谷秀義おおたに・ひでよしの殺害、しかも明らかに意思を持った何者かがいると見せつける形でだ。この男には影響力がある。彼が消えればパワーバランスが崩れてあちこちで陰謀を組み立て始める。ある者は邪魔者が消えてやりたい放題でき、またある者は後ろ盾を失い破滅への道を進む。彼らは結末を変えるためにあらゆる手で抗う。窮鼠猫を噛む。後先を無視して今のために全力で動くしかない状況に追い込めば多少の爪痕を残せる。連鎖的に次の陰謀が始まる。


 そのために兎田とアンノウンが忍び込む。すでに仕掛けの準備がある。人が同時に注目できる先は一つだけだ。目立つものを用意したら他へ向かう目が減る。奇術では手にある道具を隠し、武道では膝の動きを隠し、今は経路を隠す。


 怪しい車を走らせる。すると警戒心はそちらへ向く。後日の捜査でも映像の分析は真っ先にそちらへ向かう。最後まで正体を掴ませず、別の少し怪しいだけの候補も複数を配置する。捜査に加われる人数には限りがある。痺れを切らして他の候補も当たり、その全てが不正解となる。手がかりを見つける前に捜査が打ち切りになるように。


 兎田の現地入りにはトラックを使う。


「なら運転手は彼よね。名前は知らないけど」


 目標地点は郊外らしさが始まってすぐの地域にある。都心から向かう車はまずない。ましてやトラックなんか。集積所で積荷を入れ替えるときに兎田を降ろし、そこから別の車でさらに接近する。建物への侵入を始める瞬間には、またカメラに居眠りをさせる。


「前回と同じ手口と見せつけるわけね」

「そうですね。正体不明だった一件に方向を与えてやれば、我先にと動き始めます。特に出遅れがただちに破滅に繋がる派閥は」

「考える余裕もないように、と。だけど入口の突破まで? どう考えても外部と独立したカメラがあるのに」

「そこは見取り図のここですよ」


 翔が示した位置は地下通路だ。過去の持ち主が作った各し通路で、下水道から建物のほぼ中心に繋がる。存在を知るものは当主と腹心だけで、他の部下は情報を持たない。どこにも漏れない情報は堅牢だが、破れればひっくり返って脆い。


「周囲にカメラを置くと見つける手がかりになるからカメラを置けない、と」

「唯一、この通路を知るのは前の持ち主ですが、火事で死亡しました。当時は木造で、天井に空気孔あり」

「最も多い原因かしらね」


 善良な考えでは、寝タバコとか、天ぷら油がごみ箱で酸化してとかを考え始める。しかし現実には作為のほうが多い。すなわち、放火だ。


 失敗は自分で気をつけられるが悪意は自分ではどうしようもない。打つ手があってほしい願望が、不幸に理不尽さを嫌う願望が、家主の失敗であってほしいと求める。


 最終目的がわかった。前後半の区切りもわかった。前半の移動手段もわかった。前半と後半の境目もわかった。


 あとは後半の内容だが、ここは兎田に一任した。丸投げとも言うが、中の事情がわからない以上、得意な者に任せる。通常と非常の脱出経路の指定を受けて、話は兎田の動きに移る。


「向こうの人がいくつ?」

「少なくとも十人は見積もってください。確実は二人、ほぼ確実がさらに三人、無力化できる可能性がある所で五人以上です」

「で、こっちは?」

「バックアップが十人、最前線が二人です。卯月さんと酒井さん」

「了解、不意打ちと各個撃破と無力化が不可欠、それでも成功率は五分に満たないけど」


 戦略は攻撃側が有利だが、戦術は防御側が有利となる。


 戦略の根拠は、いつ仕掛けるかを選べるのが攻撃側だから。防御側はいつ来るのか、本当に来るのかも知れない存在のためにコストを払い続ける。攻撃側は何も負担せずに、最も有利な瞬間を見つけて事を始める。最初で有利が決まれば、自滅するまで優位なままで進む。防御側は渡り合うだけでも神の一手と奥の手が必要になり、どちらもないなら攻撃側の失策に期待して、それもなければ地下六フィートへの移住か、渡し賃の三文を探す。


 戦術の根拠は、どこで仕掛けるかを選べるのが防御側だから。攻撃側は目標の達成に加えて撤退の経路も必要になり、それらは移動も必要になる。防御側は所定の位置で待ち構えて袋叩きにするか、そうでなくても諦めさせれば勝ちだ。最も戦いやすい場所を選べるのは防御側で、攻撃側は常に不利からの打開が必要になる。もちろん撤退か続行かの判断を並行して行い続ける。


 個々人の強さに大差はない。勝ち続ける者の勝率は五十五パーセント程度で、大ベテランの勝率でも六十パーセント程度だ。ゲームでも、現実でも。危ない橋を渡ってはいけない。確実に勝つ策があって初めて仕掛けられる。


 一般に攻撃側が勝つために必要な数は防御側の三倍とされる。今回なら三十人が必要なところを、たったの二人で行えと言うなら、数の差を無力化して初めて不利から始められる。


「まあ、そのために私とアンノウンがいるのよね。資材は使っていいんでしょう?」

「もちろんです。どれでもご自由に」

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