第7話
「逃げ―――」
叫ぶことで気を逸らせようとした瞬間、目の前を黒い影が染めた。
銃の発砲音と共に、子供の悲鳴は聞こえなかった。代わりに、地面には何枚もの黒い羽根が落ちていく。
「ろ、てぃ」
銃弾を受けたのは、子供ではなくロティであった。子供は気を失ったのか、その場に倒れているだけである。血も流していない。
「あぁ、あぁ…」
地面に膝をつき、両手で顔を覆う。現実から目を背けるように。
「なんだ、鴉か。驚かせるな」
「でも鴉を殺せば、ブラッドロウ家に殺されるぞ」
「知ったことか。あんな弱小貴族」
兵士の会話が槍のように耳から脳に刺さる。過呼吸になるのを抑えるので限界だ。
「燃やしとけばバレないだろ」
耳が遠くなり、背後で燃える炎の熱すら感じなくなってきた。
ロティが撃たれた。
燃やす?何を?
岩の中から出てきた人間はどこの誰だ。
奴隷の子供たちはどうしよう。
民は逃げたか?
ルカは、マクアは無事だろうか。
あぁなんて、自分は無知で、無力なんだろう。
「…もう、いい」
恐怖か憤怒か、何か分からない涙を流しながら、食いしばりすぎて口端から溢れ出した血もそのままに、カルマは傍に落ちていた黒い羽根を一枚手に取る。
「こんな世界、馬鹿げてる」
ゆらりと立ち上がり、カルマは決意に満ちた表情で兵士たちを睨みつける。
「ブラッドロウ!!」
思い切り叫んだカルマに気づき、兵士や貴族たちは驚いた顔で振り返った。
「俺と、契約しろ!!!」
羽根を口の中に放り込み、カルマは大して噛まずにそれを飲み込んだ。
そして一瞬の間を挟み、カルマの心臓が大きく跳ね上がる。
同時にカルマの影が大きく広がり、一帯を闇で包み込んだ。
「な、何だこれは!」
「うわぁぁぁああああ」
兵士たちの悲鳴が聞こえる。俯いたままのカルマは、それらを一瞥もしない。
「カルマ」
脳内に響く低い声。足元が歪み、カルマの体は闇に引きずり込まれていく。
「ロティ!」
先ほどまでと変わらない姿で飛んでいるロティに、カルマはほんの少しの笑みをこぼした。
「契約が何か、分かっているのか」
これまで通りの冷静なロティ。カルマもまた、冷静さを取り戻しつつあった。
「すごい力が手に入るんだろ」
「…まさかとは思うが、それだけで我と契約を?」
「何と契約できるのか知らなかったし、詳細とかもよく分からない」
けれど、とカルマはにやりと笑いながら続ける。
「ロティなら契約できるって、なんとなく思ったんだ」
「全くもってしょうもない理由だな」
そう言いつつも、カルマの決意を無碍にする気はないようだ。
「契約とは簡単なものではないし、誰でもできるわけではない。それ相応の目的と覚悟がなければならない。今は時間が無いが故に詳細を省くが、カルマ。お前の目的は何だ。それによって対価が変わってくる」
「俺の目的は…」
血ににじむ右手のひらを見て、もう一度強く握りなおす。
「世界中の国を開国して、新しく世界を作り直すことだ」
「ほう」
なんとなく、ロティが笑ったような気がした。
「それは全てを敵に回すことになるぞ。人間はもちろん、外の世界の住人、八戒、神までも」
「分かってる。だからお前と契約したんだ」
今の自分が無力であることは、カルマ自身が最も分かっていた。それでも、目の前で引き起こされた地獄を見て、怒りを覚えずにはいられなかった。
「支配と反逆は紙一重…人間でも分かるんだ、八戒様なら分かって当然だ。いや、分かっててこんな国作ってるんだろ。そんな屑に支配されたまま、何も知らずに死んでくなんてごめんだ」
全ての感情を憤怒に変換し、カルマは曲げない意思をまっすぐロティに向ける。
「神と八戒に喧嘩売ってやる。こんな世界くそくらえだ!」
ロティの目には、正義感に燃えるカルマは映っていなかった。正義感ももちろんあるだろうが、むしろ、知への欲求と世界への不満が混ざっているように見える。
「…面白い。その喧嘩に乗ってやろう」
翼を大きく広げたロティの姿は、カルマの全身を覆えるほどに大きくなっていた。
「対価を差し出せ、カルマ。我は死の鳥だ。世界を変えるという目的に相応しく、最も死に近いものを対価として望む。目的を達成したその時、対価を貰うこととしよう」
それに対し、カルマの答えは決まり切っていた。
「俺の心臓を対価にする。それで十分だろ」
「契約成立だ」
その言葉と共に、ロティは翼を羽ばたかせ、カルマを包み込んだ。
「望め、カルマ。我の闇の力をお前に授けよう」
自分ではない〈何か〉が全身を駆け巡っていく感覚に、カルマは意識を保つので精いっぱいだった。何かが脳内に流れ込んでくるが、それが〈何か〉も分からない。
ただ一つ分かっているのは、自分がこの力の主であるということだった。
「第一契約!」
カルマの叫びと共に闇が晴れ、先ほどの広場が姿を現す。兵士たちはその場で頭を抱え込み、貴族も周囲を怯えながら見渡している。
「貴様、何をした!」
「な、何だ、あれは」
誰もがカルマの姿を見て息を飲んだ。
右腕部分が歪んだ漆黒の刃になっており、異様な黒いオーラをまとったカルマは、人間とは言い難かった。
「こ、殺せ!」
「お、お待ちください侯爵。あれはおそらく、ブラッドロウ家の…」
「ええい知るか!貴様らはワシの護衛だろう!とっととあの化け物を殺さんか!」
自分のみを案じている貴族と、自身の立場を考慮している兵士がくだらない言い争いをしている。
「あ、あれ?」
その中で一人の兵士が目線を戻すと、広場は〈空っぽ〉になっていた。
「この手か。この子供たちを放り投げたのは」
「い、いつの間に…!」
抵抗する暇も与えず、カルマは兵士の腕を切り落とした。それに対する悲鳴など聞かず、気を失ったままの子供の頬に触れる。
「すぐ、助けるから」
そう小さく呟き、カルマは先ほどの兵士の胸を貫いた。
「あと、六人か」
侯爵を合わせた人数を数え、カルマは絶え間なく刃を振るっていく。無論兵士は侯爵を守るために剣を振るうが、カルマの人並み外れた動きに誰もついてこれず、哀れにも倒されていった。
「き、きさ、貴様ぁ!」
「ボーンソワ侯爵。子供たちを踏み歩くのは、気分が良かったか?」
「こ、こいつらは奴隷だ!人間としての価値などない!」
これが支配か、とカルマは呆れ切っていた。貴族である自分も平民からは疎まれていたのかと思うと、胸も痛んでくる。
子供たちがその身に受けた痛みを味わわせるべきだろうかと、考えていた時だった。
「失礼」
誰かの手が侯爵の首に当たり、先ほどまで騒いでいた男が途端に静かになる。
「ルカ…?」
目の前で汗をかいている男は、確かに自分の兄だった。使用人たちが連絡をしたのだろうが、ここまで早く出会うことになるとは。
「すまない、カルマ」
「なに、が…」
ルカはカルマの首にも手を当て、気を失った弟を抱きかかえた。
「ブラッドロウ。私は貴様を死んでも恨み続けるぞ」
名を呼ばれ、ロティはカルマの影から姿を現す。
「勝手にしろ。我が望んだのではない」
「そんな戯言はどうでもいい。貴様が何のための存在か失念したのか!」
怒りに任せるがまま、ルカはブラッドロウの首を締め上げる。それに対し、鴉の瞳は闇に包まれたままだ。
「お前こそ忘れたのか。昔から何度も言っているはずだ、〈我ではない〉と。我を殺せばカルマも死ぬ。それが契約だ」
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