第2話

 食事を終えた三名は、それぞれの用事の支度を始める。軍の訓練があるマクアは、一足先に王宮へと向かっていった。


 図書館へ向かうために一度部屋に戻ったカルマは、周囲を何度も確認してからそっと窓を開けた。


 そこから名も呼ばれていないのに入ってきたのは、一羽の鴉。迷わずカルマの肩にとまり、まるで背伸びでもするかのように羽を広く伸ばした。


「おはよう、ロティ」


 〈ロティ〉それが鴉の名である。正確には、カルマが付けた名前だ。


 そしてロティはただの鴉ではなかった。


「風邪など引いていないだろうな」


「お前までルカたちと同じこと言うなよ」


 当然のように男のような低い声で言葉を発するロティと、日常的な態度を崩さないカルマ。これが、二人にとっての〈普通〉だった。


 ブラッドロウ公爵家は、家紋に鴉が描かれている。古より代々受け継がれている伝説のような言い伝えには、いつも鴉が出てきていた。

 死の象徴ともされる鴉に初代公爵が命を救われたという話も歴史書に記されており、家紋に描かれるようになったきっかけとも言われている。


 幼少期に剣術の授業から逃げたカルマが偶然出会ったのが、ロティであった。


「今日も図書館に行くのか」


「うん。あそこの本はまだ半分も読めてないんだ。まだまだ学べることが多いからね」


 目を輝かせているカルマから離れ、ロティはテーブルの端で羽を休める。


「今日はどんな話を探すつもりだ?」


「外の世界の実情についてかな。世界中に鎖国国家が点在してるのは知ってるけど、どんな国かはうちの書物には記録されてなかったから」


「それならば二階を探してみるといい。奥まったところに緑色の棚があるはずだ」


「ありがとう!本当にロティは物知りだ」


 子供のように笑ったカルマを、ロティは静かに見つめる。


「じゃあ行ってきます!」


 言葉を話す鴉など、珍しいどころの騒ぎではない。カルマがロティと話すのは部屋の中だけで、共に外出することなどあり得なかった。無論、兄にも口外していない事実である。


(いつかロティと外に出てみたい。色んなことを知ってるロティと)


 駆け足で階段を降り始めたとき、玄関の大きな両扉が外側から開かれた。

 使用人らしき人物が開けた扉の向こうから入ってきた人物に、カルマは歓喜の表情になった。


「ジール叔父様!」


 その声に帽子を取りながら微笑んだ中年の男性は、ジール・ルス・ブラッドロウ。三兄弟の父である前公爵の弟で、自ら貴族の位を抜けて平民の妻と共に郊外で暮らしている。


「久しぶりだな、カルマ。成人式以来じゃないか」


 銀色の髪に青い瞳。マクアと並べば親子だと見間違えられることも多い。


「これからどこか行くのか?」


「王宮図書館に行くんです。叔父様は何か用事が?」


「私が呼んだんだ」


 いつの間にか階段付近まで来ていたルカが、カルマの頭にそっと手を乗せる。


「今日も車は使わないのか?」


「うん。そこまで遠くないし、街を歩くのは楽しいから」


「気を付けるんだぞ」


 家族二人に見守られながら、カルマは人工的な太陽の下へと駆けていった。




「元気そうで何よりだ」


「叔父様も。急にお呼びして申し訳ない」


「甥に呼ばれたらどんな理由でも飛んでいくさ」


 紅茶を飲みながら、優雅な時間が過ごされるかと思いきや、ルカは手を上げて使用人を全員部屋の外へと出した。


「もうすぐ…母上の命日なんです」


 ジールの手が止まる。一瞬にして重くなった空気に顔を上げると、ルカは平然とした表情であった。


「そう…だな。もう18年か」


 彼らの母、ミレー・ルス・ブラッドロウは、末子のカルマを産んですぐに体調を崩し、そのまま還らぬ人となった。

 幼かった三兄弟を育てたのは、残された使用人たちと、公爵代理となっていたジールであった。


「ランセルのことはどうするつもりだ」


 その名に、ルカの表情が強張る。


「それも…諦めるしかないでしょう」


「二人にはどう説明する」


「弟たちには、正直に言います。もう二人とも良い大人ですから、〈我らが父上の墓を作る〉と伝えようと思っています」


 ランセル・ルス・ブラッドロウ―――三兄弟の父親であり、前公爵であったランセルは、18年前に忽然と姿を消した。王宮に行った日のことで、王宮から出た後にランセルの姿を見た者はいない。彼を乗せていった車も、運転手だけを乗せて屋敷に帰ってきたのだ。


「母に〈待つように〉と言われるがまま待ち続けましたが、既に誰もが父の存在を忘れています。カルマが産まれていますから両親はどこかで会っていたのでしょうが、私たち子供には顔も見せてくれませんでした。遺体も見つからず、国の外へ出た形跡も無い。無論、外へ出た瞬間殺害されますが…父は帰ってこなかった。それだけです」


 全てを諦めたような姿に、ジールは胸を痛めるしかなかった。まだ齢23の若者が、既に公爵の地位について5年を迎え、実の父親の帰還を待ちわびることをやめたのだから。


「…すまない」


 頭を深く下げることでルカを困らせるとわかっていても、ジールはそうせざるを得なかった。


「頭を上げてください。私たちは、叔父様がいなければここまで生きていられませんでした。まだまだ恩返しが足りていないくらいです」


 それに、と言ってルカは窓の外を見る。


「ブラッドロウ公爵家の威厳は守り続けるつもりです。それが父の教えでしたから」


 庭を鴉の群れが駆け抜けていく。まるでルカの決意に同意するかのように羽を揃えて。

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