BLOOD/LAW

佐々木 律

序章 はじまり

第1話

 世界はかつて、広かったという。

 広大な海、先の見えない土地、輝く地平線。

 それらすべてがここにはない。

 「鎖国国家」―――いつしか世界中の国や都市は鎖国を強いられ、地面から空までをも分厚い壁で覆われている。

 何世紀もの間続いてきたこの世界を、一人の少年が終わらせようとしていた。


 鎖国国家の内の一つ、エレノス帝国。通称「支配の国」と呼ばれており、王族を始めとして貴族が続き、平民が多く生活している大きな国である。


 大きな特徴として、発展を続けている科学の存在があった。まるでそれは魔法のように美しく、人々の生活を豊かにし続けている。

 その中でも王族の次に位の高いブラッドロウ公爵家では、朝からメイド長の悲痛な叫びが響き渡っていた。


「カルマ様―!カルマ坊ちゃまー!…全く、今日はどちらまでいかれたのかしら…」


 真っ白い髪を丸めて結った中太りの中年女性マロイは、広々とした公爵家の廊下で深いため息をついた。


「どうした、マロイ」


 長く輝く銀髪に黄色い瞳。凄まじい美しさに誰もが見とれるような男が現れる。


「公爵様、おはようございます」


 公爵と呼ばれたその若い男は、柔らかな笑みを浮かべた。


「カルマと聞こえたが…また今朝も部屋にいなかったのか」


「朝食のご用意ができましたのでお声がけしましたら、すでにベッドはもぬけの殻でして…」


「はははっ!さすがは私の弟だ」


 マロイの心配を他所に、男の笑い声が響く。


「大丈夫だ。屋敷のどこかにはいるさ」


「ですがルカ様…」


「そう心配するな。いつものことだろう」


 ルカ・ルス・ブラッドロウ。それが男の名だった。23という若さながらブラッドロウ家当主の座についており、勉学もさることながら剣術も優れていることで、王宮からも一目置かれている。


「何してんだ、二人して廊下に立って」


「起きたか、マクア」


 短い銀髪に青い瞳はよく目立つ。マクア・ルス・ブラッドロウはルカの2歳下の弟で、帝国軍の第二部隊・通称「鴉部隊」の部隊長に任命されるほど、剣術の腕は帝国でもトップに食い込む。


「カルマが部屋にいないらしくてな」


「屋根の上にでもいるんじゃねえのか」


 筋肉質でスタイルの良い体で軽々と窓枠に乗ったマクアは、その勢いのまま壁を登っていく。


「カルマ!飯だ!」


「飯っ!」


 マクアの叫びに反応し、視界の端で勢いよく起き上がる人物が映った。


「…あれ、ここどこだ」


「ルカの部屋の上だ、馬鹿」


「いてぇっ!」


 マクアが青年の頭を鈍い音と共に叩く。


「気づいたら寝てたみたいだ…」


 頭をさすりながら欠伸をしたこの青年こそ、皆が探し回っていたカルマ・ルス・ブラッドロウだった。ルカと同じ髪と瞳の色が美しい青年である。


「お前この間18になったってのに、まだベッドで素直に寝ねえのか」


 呆れる兄マクアと共に、カルマは窓から部屋の中に入る。


「おはよう、カルマ。風邪引いてないか?」


「ルカ、おはよう。全然元気だぞ」


「元気かどうかではありませんよ、坊ちゃま」


 怒りのあまりもはや笑顔しか浮かべなくなったマロイから、カルマは顔を背ける。


「いや、最初はベッドの上にいたんだ、マロイ。ちょっと外の空気吸ったら戻ろうと思ってて…」


「成人をお迎えになったばかりの公爵家の男性が、壁をよじ登って屋根の上で朝を迎えることなんてありますか!朝食のお声がけに伺ってお姿が見当たらない私どもの身にもなってください!毎日毎日心臓が止まりそうで…」


「わかった、悪かった!気を付けるよ、明日から」


 幼少期から世話になっているマロイには、誰も頭が上がらない。説教を聞かされながら、笑うルカ、呆れるマクアと共にダイニングの席につく。


「カルマ。昨日はどんな本を見つけたんだ?」


 品の良いシルバーの音が鳴る部屋の中で、ルカは興味津々な顔でカルマに問いかけた。


「星座の本を読んだんだ。もしかしたら見えるかもしれないと思って、屋根に上ってみた」


「星座の本か!王宮図書館か?」


「そう!絵画でしか残ってないけど、すごい綺麗だったんだ。星座っていうのはたくさん名前があって…」


 幼少期から読書を趣味とし、知識を得ることに生き甲斐を感じていたカルマは、公爵家に保管されている歴史書を初めとした書物すべてが頭に入っていた。

 成人を迎えてすぐ、王宮が管理をしている図書館への出入りを許可され、毎日のように通っている。


「残念だったな、見れなくて」


 朗らかな空気の中、マクアだけが冷静だった。


「この国…いや、どの国や都市でも、星は見れない。賢いお前なら分かるだろ、カルマ」


「わかってる、けど…」


「ルカもルカだ。夢を与えすぎるな。カルマももう一人の大人なんだぞ」


 数秒間の沈黙。それはまさにエレノスの現実を表しているかのようだった。


「…私たちは本当に、真逆の性格をしているな。それぞれが頂点だ」


 一瞬だけ寂しそうに笑ってから、ルカはカルマの顔をもう一度見た。


「確かにマクアの言うとおりだ。この世界は鎖国が義務付けられている。地面から空まで壁で覆われているし、時間によって朝昼夜が移り変わる。科学で作られた太陽と月しかない空に、星なんて浮かぶはずもない」


 それでも、とルカは続ける。


「記録があるということは、鎖国が行われる前の世界があったということだ。私たちは法律によりエレノスから出ることができない。法に従い殺されることは知っているだろうが、希望の一つや二つ持っていても罰は当たらないさ。夢は見るものだぞ、マクア」


「そうだそうだ!」


「もう一発殴ってやろうか」


「ごめんなさい」


 彼ら兄弟だけが座る椅子。部屋の中にはいつも笑顔があった。違和感すら覚えるほどに。


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