ステージ1-1

 僕はある日、夢を見た。

 幻想というにはあまりにも現実的で、現実というにはあまりにも幻想的な、白昼夢を見た。


 最初は夢らしく、浮遊感だった。

 一切の物理的な力から解放されたようだ、と表現すれば適切だろうか。僕の視点は、物理的な身体から切り離されたように浮き上がっていった。

 幽体離脱、というやつだろうか。


 周りの速度が、いつの間にか遅くなった。自分一人だけが周りから隔離されたような、そんな感覚だった。


 そして最後には、視界は闇に覆われた。どこまでも何も見えない、暗闇。


『——聞こえるか、ケレシスよ』


 声が聞こえる。男のようにも、女のようにも聞こえる声だった。


 ただ、それが尋常ではない存在であることはわかった。——なぜかはわからない。ただ僕は、そうであるということを極めて本能的に悟った。

 創造主——という言葉が脳裏をよぎる。その表現が、なぜかしっくりときた。


『正解だ、少年よ。ただせっかくならば、こう呼んでほしかったものだな——『主神』と』


 声がどこから聞こえるかがよくわからない。前から聞こえるようにも、後ろから聞こえるようにも、遠くから聞こえるようにも、近くから聞こえるようにも思える。


『お前をこうして呼んだのは、他でもない。一つ、頼まれごとをしてほしいのだ』


 それは、つまり——天啓ということだろうか?

 だがそれはどうにも——信じ難い。一体どうして、こんなただの少年なんかにわざわざ声をかけたのだろうか。

 そもそも僕なんかに、何ができるというのだろう?


 とはいえ、こんな機会は二度とないだろう。できることならば、やってみたい。


『お前には、世界平和への貢献をしてほしいのだ』


 世界平和——素晴らしい響きだ。そうあるべき、ということに一切の異論はない。ただ実際問題として、僕に何ができるというのだろうか?


『人類と魔族——『勇者』と『魔王』の対立を知っているな。貴様には『勇者』の手助けをしてもらいたいのだ。彼女は現在、一人で活動している。右手に金属製のリングをつけた、珍しい赤髪の少女だ。見ればすぐにそうだと気づくだろう』


 ……『勇者』の手伝い? 僕にそんなことが務まるだろうか。


『そのための力は、我が授けよう。一つは、『聖鎖』トリニチューン。『聖導具』の一つで、強力な武器になる。もう一つは、『運命』を巻き戻す力だ』


 運命を、巻き戻す? それは、どういう——


『時が来れば、きっとその意味がわかる』


 そうらしい。僕には全くわからなかった。


『これはきっと、綴られることのない伝説、残されることのない神話だ。だが——否、だからこそ、この言葉をお前に託そう』


 ——見ることのできない螺子にこそ、強く繋ぎ止めることができるのだ。


『行け、螺子よ。お前の活躍を期待しているぞ』


 そう言って、その存在は、消滅した。それに合わせて、あたりの闇がだんだんと晴れていった。



 ————————



 気がつけばそこは、開拓者ギルドの入り口だった。カウンター席に座る赤い髪の少女が、こちらを見ている。


 ——彼女だ。


 普段はこのようなことは言わないのだが、この感覚を言い表すにはこの言葉しかないだろう。それは「運命的な出会いであった」と。

 それほどによく、出来過ぎていた。


 僕に興味を失ったのか、すぐに彼女は手元の食器に視線を落とした。僕は彼女の隣の席に座る。

 彼女は怪訝そうに、僕のことを見る。


「君、『勇者』なんだって?」「正解——でも、どこでその話を聞いたの?」


 警戒心を決してとかず、けれども柔和な態度で、彼女はそういった。


 さて、なんと答えたものだろうか。


 僕は彼女の顔を見る。

 この辺りでは珍しい赤い髪を、ショートカットにしている少女だ。宝石のような蒼の瞳は、どこか勝ち気に大きく開かれている。服は赤を基調に、青色があしらわれている。そして右手には、金属製のリング。

 17歳ぐらいだろうか。かなりの美形だ。


「どうしたの、そんなにじろじろ見て。こっちが恥ずかしいんだけど?」


 そう言って赤髪の少女ははにかんだ。


「君、名前は? ——僕はケレシス」「私はリーナ。リーナ・キリステス」


 突然名前を確認したからか、彼女は不思議そうにしながらもそう言った。


「——それで、まだ答えを聞いてないよ。私が『勇者』だっていう情報、手に入れたの?」


 彼女はその目で、僕を射抜くように見る。


 さて、どう言えばいいだろうか。天啓を受けた……なんてことは言っても、信じてもらえるかどうか。


「……そうだ。右と左、どっちからがいいか選ばせてあげようか?」「何がですか!?」


 思い立ったようにそう言って、彼女は笑う——ただし目だけは笑っていなかった。こいつが本当に『勇者』なのか少し疑わしくなってきた。


「……わかった。言うよ。リーナが欲しい回答はしてあげられないだろうけど」「それはこっちで判断するからもーまんたいー」


 その判断はどういう形で知らされるのだろうか……、と僕は内心で恐怖しながらも、意を決して口を開く。


「……ある人に頼まれたんだ。『勇者』を手伝ってやってほしいって」


『勇者』という言葉に、再び彼女は反応を示した。


「その、ある人って?」「さぁね、人と表現したけど本当にそうであるかすらわからない。一つ言えるのは、そいつが『主神』を名乗っていたということかな」


 ふーん、とリーナは渋々ながらも納得した様子を見せると、僕から手を離した。


「なぁリーナ、僕の仲間になってくれないか。『魔王』を倒すことを、手伝わせてほしい」


 リーナはその言葉に大声で笑い出した。


「なぁにそれ、口説いてるの?」「かもね」


 そう言って僕は曖昧に笑い返す。その回答が気に入ったのか、リーナもかすかに笑った。そして顎に手を添えると、僕を値踏みするように、


「ふーん、そう、あんたが……ねぇ。うん、下の上……いや、上の下ってところかな?」「あんまりそういうことは口に出すんじゃないぞ。僕だったら泣いてた」


 じゃあ泣いてるんじゃない、とリーナはもっともなことを言った。


「ふむ、理想的な返し」「評論家ぶらないで?」


 なんて言って、僕たちは笑い合う。なかなかに、愉快なやつだ。

 リーナが手を差し出す。どういうことかとリーナを見ると、


「あんたが私の仲間になることを認めてあげる」


 リーナの手を握る。柔肌が握り返してくるのがわかった。


「よろしく、だな。リーナ。世界を救うぞ」


 リーナはその言葉に少し驚いたような様子を見せて、そして応じた。


「こちらこそ、よろしくケレシス。足手纏いなら迷わず置いて行くから、そのつもりで」


 その時のリーナの表情は、僅かに微笑んでいたように思う。それが彼女が初めて見せる、自然な笑いだった。


 リーナは食器をまとめ、席を立つ。そして好戦的な視線をこちらに向けると、


「じゃあ早速、あたりの魔物でも倒しに行ってみる?」


 悪くない、と僕も席を立った。

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