翡翠と人形

新たな仲間がひとり増えた。

黒い森の外。星降る夜。温かな宿屋の部屋で、R4-Bは満面の笑みを浮かべている。新たに旅仲間に加わった無表情の人形に、彼は楽しそうに話しかける。

「お名前、もう一回聞かせて!」

「ガーディアン=ジェイドと申します」

「ジェイドって、どういう意味?」

「翡翠、という意味です」

「へぇ、すてきな名前だね!」

「…」

「森の神殿で、何をしていたの?メビウス様を待っていたの?」

「その名を口にするのは恐れ多い」

「“我らが母”って、だぁれ?」

「…」

「ずっとひとりだったの?」

「おい、アル、そこらへんにしておけ」

興奮気味に人形を質問攻めにするR4-Bを、ロートヴァルがなだめる。R4-Bは頬をぷう、とふくらませながらも、いったんは引き下がる。しかしすぐに、我慢ならない、といった様子で、今度はロートヴァルに話しかける。

「このお人形さん、あそこで何をしていたのかな?」

「守っていたんだろ、神殿を」

「でも、今までの神殿では、お人形さんなんて見かけなかったよね?」

「そうだな、海や平原の地方では見かけなかったな」

「なんでなんで、森の神殿にはお人形さんがいたんだろ?どうしてあんなにほったらかしにされていたんだろ?」

「…さぁな」

その気のない返事に、R4-Bはベッドでじたばたと暴れる。舞い散るほこりに眉をひそめるロートヴァルが、再び彼をなだめる。

「暴れないでくれ。ほこりがたつ」

R4-Bは動きを止めると、天井をぼんやりと見つめる。

「あ〜あ、わからないことだらけだね…」

「…」

ロートヴァルは沈黙する。その様子を見て、R4-Bは考える。ここのところ、ロートヴァルが沈黙する回数が増している気がする。ロートヴァルは黙りこくると、石像になってしまったかのように動かなくなる。おそらく、考えにふけっているのだろう。でも、何を考えているの?R4-Bにはわからない。僕に話してくれたっていいのに!R4-Bは不満げにロートヴァルを見るが、彼はその視線に気づかない。R4-Bはむう、としかめっ面をすると、ゆらゆらと足を揺らす。そしてはたと思いつくと、ロートヴァルに向かって明るく言う。

「そうだ!一回さ、平原の街に戻らない?」

急な話に、ロートヴァルは少し面食らう。

「戻る?なぜだ?」

R4-Bはわくわくした顔で説明する。

「ジェイドさんを治してもらうの!たしか平原の街には、お人形屋さんがあったと思うんだ。そこに行って、お金がかかると思うけど、ジェイドさんをぴかぴかに治してもらおうよ!」

「なるほど」

ロートヴァルはあごひげをさする。

「金はあるのか?」

「ある!」

「動く人形を、どうやって街の中に連れて行くんだ?」

「それはその、宿屋さんに入ったときみたいにフードを目深にかぶって、なんとかして…」

「人形屋にはなんて説明するんだ?」

「そ、それは…え、と…」

考えなしに突っ走りがちなR4-Bを見て、ロートヴァルはため息をつく。そして彼は右手で頭をがしがしとかく。

「仕方ない。ジェイドには普通の球体関節人形のふりをしてもらおう。俺が運んでやる」

R4-Bは目を丸くする。

「え!大丈夫なの?重いよ?街も遠いよ?」

「力には自信がある。まかせろ」

ロートヴァルは立ちあがると、ジェイドのもとへ行き、今R4-Bと話したことを簡単に説明する。

「…そういうわけだ。悪いが、明日は一切動かず、俺に運ばれてくれ」

ジェイドはひざまずき、頭を垂れる。

「承知いたしました。恐れ多うございます」

それを見て、ロートヴァルは顔をしかめる。

「やめろ。俺はそんなたいそうなものじゃない」

「いえ、あなた様は…」

「やめろ!」

かばんの中のチェシャがびくりと目を覚ます。ロートヴァルはすぐに、大声を出してしまったことを後悔する。かばんを抱えながら、R4-Bが不思議そうにふたりを見る。

「とにかく、俺はそんなふうにひざまずかれるほど立派なものじゃない。二度とするな」

「…承知いたしました」

「ロートヴァル、どうしたの?」

「なんでもない。もう寝るぞ」

ロートヴァルは強引に話を終わらせると、さっさとベッドに入って寝てしまう。R4-Bも、首をひねりつつも言われたとおりにベッドに入る。ジェイドは、その場に立ち尽くしている。R4-Bはそれに気づくと、直立不動のゴーレムに言う。

「ジェイドさんは寝ないの?」

「わたくしに敬称と睡眠は必要ありません」

「え、そうなの?じゃあ…えっと、ジェイド。こっちに来て」

R4-Bは手招きする。ジェイドは足音をたてずに、静かにR4-Bのベッドへ近寄る。

「ベッドのはしっこに座って。ずっと神殿で立って、僕らを待っていたんでしょ?ジェイドも休まなきゃ」

「恐縮です」

「もう!堅苦しいなぁ」

宿屋の窓の、温かなオレンジ色の明かりがひとつ、消える。ふたりは静かに眠りにつく。

純白のミルクのしずくが散らされたタンザナイトの夜に、ゴーレムはひとり、守るべき者たちの顔を眺める。ひとり、ふたり、一匹…


「ううむ、これは…なんと美しい人形だ」

人形屋は感嘆の唸り声をもらす。

作業台に寝かされた一糸まとわぬジェイドは、ぴくりとも動かない。陶器のような、ゆで卵のようなすべすべの白い肌、クジャクの飾り羽の色のさらさらの髪、そして無惨に傷ついた、美しかったであろう顔。

「お顔、治せそうですか?」

R4-Bがおずおずとたずねる。人形屋はうむ、とひとりうなずくと、椅子をくるりとまわしてR4-Bに向き合う。

「大丈夫だよ、坊や。この私にまかせておきなさい。必ず綺麗に治してあげるからね」

R4-Bはぱあっ、と顔を輝かせる。

「よろしくお願いします!」

人形屋はうむ、とうなずくと、作業に取りかかるべくR4-Bとロートヴァルを外に出し、部屋のドアを閉める。隙間から見えるジェイドの身体。しかしそれはやがて完全に見えなくなる。ぱたん。

R4-Bは胸の前で両手を握りしめる。

「もとに戻りますように…」


人形屋曰く、あそこまで大きな人形を一日で治すのは難しいとのこと。

ふたりは街をぶらついて、外国製のチョコレートや丈夫な革製のかばんなどの高級な品々に目をまわしたのち、宿屋に入る。海の街や森の町よりもずっと高い宿泊料に、ふたりは高揚感と緊張感をいだく。

部屋に入ると、そこには赤いふわふわのじゅうたんと、今まで見てきた中で最も分厚くふかふかなベッド、ぴかぴかの黒いテーブルがある。天井には、控えめだがお洒落なランプ。R4-Bは目を輝かせる。

「す、すごい…王さまのお部屋みたい…」

R4-Bは早速靴を脱ぐと、ベッドに飛びこむ。ばふん、と音がなる。彼は鈴を転がしたような笑い声をたてると、ころころとベッドの上を転がる。ほこりがたつが、ロートヴァルはあえて黙っている。

「すごいすごい!気持ちいい!」

生まれて初めての高級なベッドに、R4-Bは興奮をおさえられない。しばらく転がったのち、彼は自分のベッドを窓際と決めて、静かに横になる。

「ふう…」

気持ちよさそうに息を吐く。R4-Bは横になったまま、ロートヴァルを見る。

「ジェイドを運んで、ロートヴァルも疲れたでしょ?横になりなよ、気持ちいいよ!」

ロートヴァルは微笑む。

「ああ、そうさせてもらおうか」

ふたりは横になると、しばらくの間、黙って天井を見つめる。静寂。そののち、R4-Bが静かに口を開く。

「…僕に秘密にしていることがあるでしょ?」

ロートヴァルは目を閉じる。ついに来たか。彼は炎を見つめる。いつか勘付かれるだろうとは思っていた。今がその時だ。彼は低い声でこたえる。

「ああ、あるな」

「僕に、話してくれる?」

「…それはできない」

R4-Bはごろん、と体ごとロートヴァルの方を向く。少しだけ悲しそうな、恐れているような目。

「どうして、話せないの?」

「俺に帰る場所なんて無いんだ、アル。行くところもな。俺は俺だ。ロートヴァルだ。それでいい」

「どういうことだか、全然わかんないよ」

「わからなくていいんだ、アル。俺はお前と最後まで旅をする。最後のひとつまでメビウス神殿をまわる。そして去っていく。それだけだ」

「もう、わかっているんでしょ、自分のこと。話してほしいな。ロートヴァルは何者なの?」

「…やめてくれ」

ロートヴァルは静かに言う。

…ふたりは沈黙する。重い、重い沈黙。やがてR4-Bは不満げにあちら側を向いてしまう。

ロートヴァルは再び目を閉じる。炎。私はかつて、焼いたんだよ。お前の先祖を。ロートヴァルは心の中でそっと告げる。なぜだか、目の奥が熱くなる。話せない。絶対に話してはならない。

ロートヴァルは決意する。私は、私を封印する。私は、最後のメビウス神殿を訪れたら、R4-Bのもとを去る。そして…その先は、言葉にしない。ロートヴァルは暗闇の中で深呼吸する。運命。私はいなくなる。


ジェイドが治った、と連絡があった。

ふたりは石畳を進み、さっそく人形屋へと向かう。いかにも老舗といった、古めかしい出で立ちの建物。冷たい石と、温もりのある木でできた静かな雰囲気の建物。R4-Bは緊張感と、抑えられないわくわく感を胸に、人形屋の重い扉を開ける。

「ごめんください…あっ!」

彼は驚きの声をもらす。ロートヴァルも、お、と声を出して少しだけ目を見開く。

玄関のすぐそばの大きな椅子に、孔雀緑のまつ毛に、ガラスの眼球と翡翠の瞳を持ち、すべすべの白い顔を少し右に傾けたジェイドが座っている。頬にはうっすらとチークが入れられて血色感が出ており、無表情ながらも冷たさは薄らいでいる。完璧に修復されたジェイドは微動だにしないが、まるで生きているかのようにそこにいる。

R4-Bはわぁ、と子供らしい歓声をあげる。

「す、すごい…!すごくきれい!」

彼はぴょんぴょんしながら、ぱちぱちと手を叩いてはしゃぐ。

「本当に生きているみたい!」

ロートヴァルもほう、と感嘆の息をつく。

「見事だな」

「だよね、だよね!可愛い!」

喜ぶR4-Bと感心するロートヴァルを見て、人形屋はにこにこしながら自慢げにふふん、と鼻息をたてる。

「どうだい、おふたりさん。ご満足いただけたかな?」

R4-Bが振り向き、薔薇のような頬をして、にっこりする。

「はい、もちろん!」

ロートヴァルが人形屋に、丁寧に頭を下げる。

「感謝する」

「ほっほ、いやいや。こんなに喜んでくれるとは嬉しいねぇ」

人形屋は丸メガネを指で支え、上下に肩を揺らして笑う。

ジェイドはただ、ぴくりとも動かずにR4-B、ロートヴァル、そして人形屋の三人を、翡翠の瞳で静かに見つめている。

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