Rot und Schwarz

火事の事件のあと。翌朝。いつものように朝日が昇り、風格ある美しい街並みを明るく照らす。ショーウィンドウに飾られたあのダイヤモンドの指輪も、眠りから覚めて再びまばゆく輝きだす。ロートヴァルが首をさすりながら、ゆっくりとベッドから起きる。となりのベッドに寝ていたR4-Bも、ロートヴァルに気がつき、のそりと起き上がる。

「おはよぉ〜…」

「おはよう」

ふたりは挨拶を交わすと、ベッドからおりて順番に顔を洗う。まずはR4-B。次にロートヴァル。冷たく透きとおった水で顔を洗うと、ふたりの頭はすっきりする。霧が晴れ、ものごとをしっかり考えることができるようになる。R4-Bがまずたずねる。

「打撲したところ、痛くない?大丈夫?」

ロートヴァルが微笑みながら、R4-Bにこたえる。

「心配をかけて、本当にすまないな。打ったところもなにもかも、大丈夫だ。問題ない。少しアザが残っているが、俺はいつも通りだ」

R4-Bは安心して、ほっ、と息を吐く。胸をなでおろす。良かった、本当に!R4-Bはくっと顔を上げると、にこにことした表情で言う。

「朝ご飯を食べなきゃね!それに、いつまでもここに居座るわけにもいかないし」

ロートヴァルが思い出したように、あたりを見回す。

「そういえば、ここはどこなんだ?見たことのない変なビンがたくさん並んでいるが…」

「ここはこの街のお医者さんのお家だよ。病院の建物は別にあるんだけれど、火事の関係でこの家に一晩泊まらせてもらうことになったんだ。ここはお医者さんの部屋なんだって」

「そうか、それは申し訳ないことをした。そのオイシャサンのベッドを、俺はずっと占領していたわけだ」

「ロートヴァルは気を失ってしまったんだからしょうがないよ。悪いことをしたわけじゃない。ありがとうって言えばいいんだよ」

「そうか…ではそのオイシャサンのもとへ行って、それを言うとしよう」

R4-Bはにこっと笑うと、ロートヴァルの手をぎゅっと握り、部屋を出る。そして曲がりくねった廊下を進み、ロートヴァルをリビングへと連れて行く。


「おや、起きたようだね。体は大丈夫かい?」

医者が白いひげを揺らす。ロートヴァルは真摯な態度でかえす。

「はい、おかげさまで」

「ふむ、打撲の痕も小さくなっている。頭は痛くないかね?視界が揺れたりは?」

「頭が痛むことはありません。視界も揺れません。何もかも、いつも通りです」

「ほほ、それはなにより」

医者はひげをなでながら微笑む。ロートヴァルはにこにこする医者の目を見て言う。

「おかげで助かりました。感謝します。ベッドを占領してしまい、申し訳ない」

「ほほ、良いんだよ。私は医者だからね、怪我人や病人を助けるのが使命なのだよ」

使命…R4-Bはその言葉の響きの美しさに震える。なんてかっこいいんだろう!

医者はふたりをテーブルにつかせると、キッチンから二枚のお皿を持ってくる。それらの上には、焼いたたまごとパンがのせられている。バターのかぐわしい香り。

「いや、朝食までごちそうになっては…」

ロートヴァルが戸惑う。しかし医者はにこにことした表情を崩さない。

「いいから、いいから。怪我人に栄養ある食事を出すのも、私の仕事だよ」

そう諭されると、ロートヴァルは大人しく椅子に座りなおす。R4-Bは、朝食が待ちきれないと言わんばかりに、床につかない両足をゆらゆらと揺らす。朝食の皿が目の前に置かれると、ふたりは食前の挨拶をして、食べ始める。しばらく、フォークが皿にあたる音と噛む音、飲みこむ音だけが部屋に響く。塩とコショウで味つけされた、とろとろの温かいたまご。ふんわりとした綿のように白いパン。R4-Bは泣いたこと、夢が永遠に叶わなくなってしまったことを、このときだけは忘れて食事を楽しむ。

ふたりが食べ終わると、医者は皿をさげる。

「美味しかったです!ありがとう!」

R4-Bは大きな声で感謝の意を述べる。ロートヴァルも続く。

「ありがとうございました」

その声はいつものように低い。しかしそこには安心と感謝、そして申し訳なさがにじんでいる。

食事をたいらげたかつての怪我人と、その小さな連れを見て、医者は満足げに笑う。

ふたりは立ちあがると、部屋に戻る。荷物をまとめると、医者にあらためて礼を言い、医者の家の玄関のドアをくぐる。

「じゃあね、気をつけるんだよ」


風はすずしく、空は青い。パライバ・トルマリンの空の下で、ふたりは旅を再開する。火事の騒ぎで行きそびれた、平原の街の中央の、あのとんがり屋根の神殿へと向かう。コツコツと軽快で心地よい靴音をたてながら、R4-Bは石畳を進む。そして、ふたりはたどりつく。神殿の開かれた扉の前で、ひとつ深呼吸をすると、静かにふたりは中へと入る。

そこに、色鮮やかなステンドグラスは無い。あるのは、美しい金属製の彫刻。燃え盛る炎の中に立つ、髪の長い女性の像。ふたりはしばらく、黙ってそれを見つめる。

炎。ロートヴァルは思う。この彫刻がある街で、この自分が火事を目のあたりにするとは、何という巡り合わせか。彼は、炎を見ておかしくなった自分のことを、そして暗闇の中で見た夢のことを思い出す。炎。その言葉は鍵となり、ロートヴァルの中の、ずっと奥底にある重い扉を開く。そこから、炎は溢れ出す。その真紅の炎はロートヴァルの心を焼く。胸が痛い。そして思い出す。そうだ、燃やしたのだ、燃やしてしまったのだ…

ロートヴァルは声を出さず、沈黙を守る。横目でR4-Bを見る。R4-Bはなめらかで立派な彫刻に見とれている。ロートヴァルの頭の中の、燃え盛る記憶には気づいていない。ロートヴァルは静かに目を閉じる。黒い暗闇。しかしそこに、炎はうつる。ロートヴァルにしか見えない炎。どこを向いても、それは必ず視界に入りこんでくる。そしてそれは、凍りついた記憶をあっという間に溶かしていく。

炎。

焼け焦げていく命たち。

泣き叫ぶ声。

…そして、怒り。

すべては、赤い色をしている。

そして、すべてはやがて、黒い無へと帰る。


推測は確信へと変わる。

自分は何者であるか?…もうわかっている。しかし認めるわけにはいかない。もし認めてしまったら、もうロートヴァルはR4-Bと、この明るく可愛らしい子と旅をすることができなくなる。見てはいけない亀裂。

沈黙。胸の中の金庫。しまわれる秘密。

ロートヴァルは神殿で祈る。どうか間違いであってくれ、と。私がかつて世界を破滅させ、焼き尽くした者であるなど。

私が、ゼロであるはずがない。

こたえは当然、返ってこない。

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