涙とともに去りぬ

絶望は突然やってきた。

炎。ロートヴァルが倒れる。その光景はR4-Bの目に、やけにゆっくりとうつる。

「ロートヴァル!」

自分の声が、どこか遠くから聞こえる。ロートヴァルの体がゆっくりと傾き、彼はそれを支えられない。どうしようもできない。ついに、ロートヴァルの体は地べたにどさりと打ちつけられる。R4-Bは呆然とする。ほんの数秒の間、時が止まったかのように彼は動かない。焦燥と絶望。どうして、どうして。その時、見知らぬ背の高い男がひとり、駆け寄ってくる。

「おい、大丈夫か!彼、どうしたんだ!?」

R4-Bははっとし、己の役目を思い出す。

「た、助けてください!ロートヴァルが…ロートヴァルがいきなり倒れちゃったんです!煙を吸ったのかも…」

男は怪訝そうな顔をする。

「煙?たしかに風向きは危ういが、煙はまだここまでそんなに届いていないぞ」

しかし男はすぐに態度を切り替える。

「まぁいい。ここは危ない。すぐに彼を安全な場所へ避難させなければ。彼は俺が担ごう。坊やもこっちへ!」

「はい!」

男はよいしょ、と口に出しながらロートヴァルをどうにか担ぐ。おいで、と手で示す彼に、R4-Bは小走りでついていく。煙のように濁った不安で、胸をぎゅっと締めつけるような心配で、涙が溢れそうだった。しかしそれらをぐっとおさえる。だめ、だめ。見知らぬ親切な男とともに、R4-Bは駆けていく。


男はよっこいしょ、と口に出しながらロートヴァルを肩から下ろし、ベッドに寝かす。そしてくるりと向きを変えると、ひざを曲げて、R4-Bに目線を合わせる。R4-Bもしっかりと男の目を見る。

「もう大丈夫だ。ところで坊や、倒れる直前に彼が何か叫んでいたって言っていたね。もしかすると彼、火事に何かトラウマがあるのかもしれない」

「…可能性はあります。でもロートヴァルからそんな話、聞いたことなくて…」

「彼自身も予想していなかったのかもな。まさか倒れるなんて。ともかく、医者が来るから少し待ってておくれ」

「はい」

「じゃ、俺はこれで」

男は部屋のドアのドアノブに手をかけ、出ていこうとする。R4-Bははっとして、すぐに声をかける。

「あの!」

「ん、なんだい?」

男がふり返る。R4-Bは大きな声で言う。

「ありがとうございました!」

男はふっと笑う。そしてウィンクすると、ドアを開けて、姿を消す。

十分ほどすると、医者がやってくる。医者はロートヴァルをまじまじと見て、次には色々なところを調べあげる。瞳孔、口の中、頭、脈、鼓動、打撲傷…

「うむ、少し打撲の痕があるくらいだね。特にこれといって異常はない。少なくとも今私にできる診察のかぎりでは」

医者は白いひげをふるわせて言う。そしてR4-Bを見る。

「坊や、安心しておくれ。大丈夫だよ、彼は死んだりなどしない。こうして安静にしていれば、いずれ目を覚ますからね。だからそんな悲しい顔をしないでおくれ。彼が目を覚ましたとき、君がそんな顔をしていたら、彼、きっと困ってしまうよ」

「は、はい…」

R4-Bは震える声で返事をする。しかしひざはがくがくとして言うことを聞かず、今にも涙は流れそうになる。そんなR4-Bの様子を見て、医者は優しく穏やかな声で言う。

「でもね、もし本当につらいなら…泣くといい。涙はね、流すためにあるんだよ。心を洗うために」

「…」

R4-Bは返事ができない。

「ひとりになりたいかな?私はおいとまするとしよう。坊やも楽にして。ここは安全だし、彼も大丈夫だから」

そう言うと、医者は静かにドアの向こうへ消える。静寂だけが残る。


医者が去ってから半時ほどたつ。ロートヴァルは目を覚まさない。まだ、まだ。R4-Bはしだいに、どす黒い不安にたえられなくなっていく。もしお医者さんの言うことが間違っていたら?もし本当にこのまま、ロートヴァルが目を覚まさなかったら?目の奥がじわりと熱くなる。泣きたくない。R4-Bは必死におさえる。しかし、同時に思う。こんなにもつらいのに、こんなにも心配なのに、泣いちゃいけないの?ロートヴァルのことが大好きなのに、泣いちゃいけないの?自分の心にふたをして、し続けて、本当に幸せになれるの?僕は今、正しいことをしているの?心の奥底から、疑問はどんどん湧き出てくる。どうしてそんなに大人になりたいの?大人になったとして、僕は堂々としていられるの?ロートヴァルに嘘をつき続けて、僕はもう立派に悪魔なんじゃないの?

…R4-Bは決断する。とたんに心の中の疑問たちは姿を消す。薄汚れた悩みも、どす黒い不安も、何もかもが消えて、いなくなる。まるで冬の冷たい湖面のように、心の中が静かになる。美しい凪。

「…もう、やめよう」

R4-Bは眠り続けるロートヴァルを見て、そっと言う。目の奥がどんどん熱くなっていく。

「僕は、僕の心にしたがうよ」

涙が溢れる。涙が静かに頬をつたう。それはダイヤモンドの結晶となって落ち、服に、床に染みこむ。止められないし、止めるつもりもない。涙はやがて滝のように流れ、R4-Bは声をおさえられなくなる。怖いよ、寂しいよ。いつもみたいにそばにいてよ。R4-Bは声をあげて泣き続ける。涙を我慢していた今までの人生の分まで、彼は泣き続ける。


夢は、針で穴を開けられた風船のように、あっという間にしぼんでゆく。やがて小さな虹色の宝石になると、最期の煌めきを見せて、粉々に砕ける。星の砂となって、それは彼方へと去っていく。

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