海辺の街
ウェイトレスができたてのシーフード・パスタを持ってきてくれる。アサリ、イカ、エビ、そしてもちもちのスパゲティ。それらを器用にフォークに巻き付けて、R4-Bは美味しそうに食べる。ロートヴァルは、魚を丸ごと煮込んだアクアパッツァ。ぎこちない動きでナイフとフォークを動かす。
「…難しいな」
何度もフォークを刺すせいで、魚の身はぐちぐちゃになる。トマトが逃げる。骨を取り外さずに口に入れたせいで、口の中がちくちくする。ロートヴァルは顔をしかめる。
「うまいが、疲れる」
R4-Bはたえきれなくなって笑いだす。ロートヴァルはきまり悪そうに視線をそらす。
「仕方ないだろう。ないふもふぉーくも記憶する限り、使ったことがないんだ」
「ふふ、ごめんごめん。落ち着いて食べれば大丈夫だよ、ロートヴァル。まずフォークでお魚の身を刺して固定するんだ。そのあと、ナイフで一口大に切るんだよ」
「…こうか?」
ロートヴァルはフォークを魚のど真ん中にぶすりと刺す。R4-Bが大笑いする。
「ロートヴァル、どうやって切るつもりなの?ロートヴァルのひとくちってどれほど大きいの!」
R4-Bは涙をぬぐう。ロートヴァルはむすっとして、不機嫌な顔になる。
「もう少しすみっこに刺した方が切りやすいよ。あとスプーンを使うのもいいかも」
R4-Bからアドバイスを受けつつ、ロートヴァルは何とか食べ終える。R4-Bがシーフード・パスタを食べ終わった時刻から、二十分も過ぎていた。
「次は手づかみで食べられる料理の店にしてくれ」
ロートヴァルがげっそりとして言う。
「ロートヴァル、練習しないとうまく扱えるようにならないよ」
「疲れるんだ」
「大丈夫、次はもっとうまくいくよ」
宿屋に行くまでに、まだ時間はたっぷりある。ふたりは街を散策することにする。神殿にたどりつく前に通った、あの大通りをもう一度歩く。人が多い。両側に店や屋台がところ狭しと並んでいる。肉屋、魚屋、八百屋、果物屋、雑貨屋、古本屋…あらゆる種類の店がある。軽い足どりのR4-Bが楽しそうに声をあげる。
「ねぇ見て!あの桃、美味しそう」
「お魚のうろこ、きらきらしているね」
「あのティーポット、いいなぁ…」
目に入るものすべてを満喫するR4-Bに、ロートヴァルは表情をやわらげる。好奇心旺盛。かつての自分もそうだったのだろうか。もっと表情豊かで、明るかったのだろうか。記憶を失う前と後で、自分はいったいどれほど変わってしまったのだろう。ころころと表情を変えるR4-Bを眺めながら、ロートヴァルはひとり考える。記憶は果たして、どのくらい取り戻せるのだろうか。かつての自分は、幸せだったのだろうか。それは今、知りようもない。
たっぷり歩き、日が傾く。ふたりは宿屋へ向かう。R4-Bははしゃぎすぎたのか、疲れきった顔をしている。
「足が棒になるって、こういうことなんだね…」
「大丈夫か?」
「何とか歩けるよ。宿屋まではもつはず」
そしてふたりは、木造建築の、質素だが温かな雰囲気の宿屋にたどりつく。オレンジ色の光が、玄関のランプに灯っている。
「ごめんください!」
R4-Bは礼儀正しく挨拶する。すぐに、上品な白髪のおばあさんが顔を出す。
「あらまぁ、可愛らしいお客さんだこと」
R4-Bは少し照れる。りんごのような頬。
「部屋はありますか?一晩泊まらせてください」
おばあさんはにこやかに返す。
「しっかりしているわねぇ、坊や。部屋なら三階の302号室が空いているわ」
そう言うと、たくさんの鍵がかけられた壁から、小さな鍵を一つ外す。タグが付いている。302。
「ありがとうございます」
R4-Bはそれを受け取ると、ロートヴァルとともに階段を上がって三階へ行く。
「302…ここだ」
ロートヴァルが部屋を見つける。
「もう数字はばっちりだね」
「ああ、お前のおかげだ」
R4-Bは鍵を鍵穴にさしこみ、くるりとまわす。かちり、と音がして、ドアが開く。
部屋の中はきちんと整えられていて、清潔感がある。じゅうたんとベッドはふかふかで、テーブルはぴかぴか。その上には古いラジオ。壁には海を描いた小さな風景画が飾られている。R4-Bはさっそくベッドに身を投げ出す。
「あああ、疲れた…」
「たくさん歩いたからな、早く寝ろ」
「ロートヴァルは?」
「俺はそこまで疲れてはいない。たぶん」
「大人っていいなぁ!」
ベッドの上で足をじたばたさせる。
「僕もはやく、大人になりたい」
夕食まで少し時間がある。ふたりはそれぞれのベッドに座って、少しばかり会話する。
「ロートヴァル、神殿、どうだった?」
「それ、さっきもきいてなかったか?」
「どうだったかってたずねたけれど、ロートヴァル、記憶の話しかしなかったから、神殿の感想はまだちゃんと聞いていないよ」
「む、そうか。そうだな…思った以上に大きくて立派な建物だったな。よく造ったものだ、感心する。すてんどナントカ、と言ったか。初めて見たが、あれもなかなか良かった」
「そうだよね、きれいだったよね!」
R4-Bはそこで、ふと真面目な顔になる。
「紫色の長い髪をした女の人、だっけ?ステンドグラスの女の人も紫の髪だったよね。何か関係があるのかな?紫色の髪って、僕まだ見たこと無いや」
「珍しい色なのか?」
「ううん、そういうわけじゃないよ。でも金髪の人や黒髪の人よりは、数は少ないかも」
「ふむ」
「さっきのステンドグラスの女の人、ただの飾りじゃなくて、たぶんメビウス様を模したものだと思う」
「そうなのか?」
ロートヴァルが少し驚く。
「うん。メビウス様の外見てね、いろんな人がいろんな想像したから、地方によってばらばららしいんだけれど、僕の神話の本には紫色の髪をしていたって書かれていたよ。太古の天使たちが、そう語ったんだって」
「なるほどな」
R4-Bはこれまでのことを整理するためにメモ帳を取り出し、順を追って書いていく。
「占いのおじいちゃんは、メビウス神殿をまわれって言っていたね。そして僕たちはまず、海の地方のメビウス神殿を訪れた。そこで紫色の髪の女性を描いたステンドグラスを見た。そしてロートヴァルは、家族か親しい友だちに、紫色の髪の女の人がいたらしいということを思い出した…」
「じいさんの占いは役に立ったわけだ」
「うん!この調子で、次の神殿でも思い出せるといいね」
「そうだな」
R4-Bはメモ帳を閉じ、かばんの中にしまう。ロートヴァルの言う、紫色の髪の女の人。いったいどんな人なんだろう?R4-Bはかばんの中の暗闇を見つめる。ロートヴァルは人間でも、獣人でも、ツノ人でもない。天使でもない。そして、きっと悪魔でもない。だとしたら…神さま?でも神さまが記憶喪失になんてなるのかしら?そもそも、神さまが僕なんかの前にひょいと現れたりなんてするかしら?
日はさらに傾く。光の色が、蜜色から赤みがかった濃いオレンジ色になる。もう少しすると、太陽はサファイアの海に飲み込まれる。
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