メビウス

お財布、家の鍵、黒羽根、水筒、着替え、神さまへのお供えもの、いちばん大好きな冒険物語の本、チェシャのおやつ、そしてキャンディ…

「そんなに持っていくのか?重くなるぞ」

かばんにパンパンに荷物をつめるR4-Bを見て、ロートヴァルが呆れる。

「いいの、全部必要なんだから」

占い師の老人の家から帰宅してすぐ、R4-Bは旅に出る支度を始めた。神殿は世界中にある。その中でも、この世界を創りたもうた最高神・メビウスの神殿、つまりR4-Bたちが目指す神殿は、特に数が多い。準備は大切だ。R4-Bは袋の中のキャンディを真剣に、丁寧に数える。しかし張り切るR4-Bとは反対に、ロートヴァルはすっきりしない顔を彼に向ける。

「なぁ、ところで俺たちはどこへ向かえばいいんだ?神話も宗教も知らないのだが」

「あ、そっか」

つい、ロートヴァルの記憶喪失のことを忘れてしまう。自分たちがよく知っている当たり前のことを、ロートヴァルも当然、知っているものと思ってしまう。

「ごめんごめん、説明するね」

R4-Bはいったん支度の手を止めると、向かいの椅子を指さす。

「そこに座って。ちょっと長くなるから」

「わかった」

ロートヴァルはそっと座るが、椅子はぎしり、と音をたてる。R4-Bは、ロートヴァルが座って話を聞く態勢に入ったのを確認すると、つらつらと語りだす。


まず、この世界の神話は大きく三つに分けられることは知っている?え、知らない?じゃあ、そこから始めよう。よく聞いていてね。

一つ目は、創生の神話。

二つ目は、炎の神話。

三つ目は、再生の神話。

これらは神話でもあり、同時にこの世界の歴史でもある。どこまで真実なのか、正確なことはわかっていないけれど。でも多くの人たちが信じているよ。一つずつ説明していくね。


まずは一つ目の神話・創生の神話から。その昔、まだこの宇宙が生まれるずっと前、そこには光と闇がごちゃまぜになった「混沌」があったんだ。そこに当然、生命はいなかった。でも、ひょんなことからひとりの神さまが生まれたんだ。たしか、混沌の中の光の部分が集まって生まれたって聞いたよ。その神さまの名前は「メビウス」。のちの時代の人たちがつけた名前だよ。これは永遠や無限、他には輪廻なんかをあらわすんだって。そして、そのメビウス様はすごく寂しかった。なぜなら、世界に自分ひとりしかいなかったから。あとは暗闇があるだけ。そこで、メビウス様は自分と同じような「生きたもの」を創ることにした。涙からはお魚が、髪の毛からは植物と鳥が、そしてお肉からは動物と人間が生まれた。しかし神さまはそこではたと気がついた。生き物たちが暮らすべき環境が無いことに。お魚はお水がないと生きていけない。植物もね。鳥は木の実がないといけないし、動物は草かお肉がないとだめだ。人間も同じ。神さまは大急ぎで宇宙と、そして地球を創った。ここでようやく、時間と空間がきちんと存在するようになったんだ。そして、そのできたてほやほやの世界に生き物たちをみんな送り込んで、メビウス様はひとり、精一杯生きていく生き物たちを見守った。え?どうして一緒に行かなかったのかって?それはね、メビウス様は力が強すぎて、その生き物たちと一緒の空間には暮らせなかったんだ。だから、泣く泣く外から見守ることにした。でもずっとそんなんじゃ、やっぱり寂しい。そこで、メビウス様は自分の中から溢れ出る力に耐性を持つ生き物を創ることにした。つまり、天使を創ったんだ。立派な翼で無限の空間を飛び回る天使たちを見て、メビウス様は喜んだ。それからというもの、メビウス様は宇宙を見守りながら、天使たちとともに平和に穏やかに暮らしたんだよ。…どう?これがまず第一の、創生の神話ね。ちなみにこれ、いちばん心の和む優しい神話として知られているよ。


次に、炎の神話。ここから、少しつらい話が始まっていく。メビウス様はすべての生き物を生み出した、まさに創生の神。でも一つだけ、生み出した覚えのない「何か」がそこにいたんだ。そいつは宇宙をむしばみ、あろうことか、メビウス様のいるところにまで這い寄ってきたんだ。そのどす黒いやつの名は「死」あるいは「破滅」。混沌の中の闇の部分が集まって、メビウス様も知らないところで生まれていたんだ。このときから生き物たちは、いつか必ず死ぬ存在となってしまった。ん?メビウス様は何もしなかったのか?もちろん、そんなわけない。必死に自身の光で照らしてその闇を追いはらおうとした。でも結局、どうすることもできなかったんだ。光が届く範囲には限界があったからね。メビウス様は自分の光で自分を照らすことで身を守れたけれど、人間や天使を含む他の生き物たちは皆、その光を持っていない。だから身を守れなかったんだ。生命はいつか死ぬ。ついに、この常識が生まれてしまった。ちなみに、そのどす黒いやつも、後世の人々によって「死」や「破滅」以外の名前がつけられたよ。すべてを無に帰す存在、死そのもの。その名は「ゼロ」。そう、数字のあのゼロだよ。ゼロは、メビウス様とは違う種類の光を出すことができた。おかしいね、闇から生まれた存在なのに。でもその光は不吉だった。それは「死の炎」と呼ばれた。その炎を見た生き物は、近いうちに必ず死んでしまうって伝えられているよ。さて、ここで大事件が発生する。ゼロの存在に怒った天使たちがいたんだ。その天使たちはあろうことか、メビウス様のことまで責め始めた。世界を創造した神さまのくせに、なぜゼロを打ち倒すことができないのか、と。…ひどい話だよね。メビウス様は頑張ったのに。そして、じれったさにたえられなくなった天使たちの怒りが頂点に達したとき、反乱は起きた。怒ってメビウス様を責め立てた天使たちは、全体的には少数だったんだけれど、それでもかなりの数がいて、しかも彼らは武器を持って立ち上がってしまったんだ。邪な神を滅ぼせ、とね。「邪な神」には、メビウス様も含まれていた。メビウス様は当然、怒った。そしてなんと、ゼロを憐れんだんだ。ゼロも自分も、望んで生まれてきたわけではない。あるとき突然、ふと目を覚ましただけなんだ。だから良いものも悪いものも、ここで生きて、ここで暮らす権利があるはずだ。なのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないの?でも、反旗を翻した天使たちは狡猾で、数が多かった。メビウス様はゼロと力を合わせて戦ったけれど、悲しみのあまり戦意を喪失してしまった。優しい神様だからね、自分が生み出した生き物を自分で殺すなんて、できなかったんだ。そしてメビウス様は、天使たちにひどい怪我を負わされた。これに激しく怒ったゼロは、メビウス様の宇宙も、地球がある宇宙も、天使たちごと、世界という世界すべてを炎で真っ黒に焼き尽くした。生き物たちは死に絶えた。…と思われていた。でもいくらか生き残りがいた。その人たち、あるいはその動物たちが頑張ったから、今この世界はあるんだね。その後、メビウス様とゼロはどうしたのかって?メビウス様は…世界のどこかで眠りについたよ。傷を癒やすためにね。ゼロも怪我をしていた。しかもゼロはメビウス様をかばったうえに、メビウス様を安全な場所まで運んだから、へとへとに疲れきってしまった。そして、ゼロは姿を消した。死そのものが死ぬなんてこと、あるのかな?もしそれがありえないことだとしたら、ゼロもまた、どこかで眠っているのかもね。これが炎の神話。


さて、そろそろ飽きてきちゃったかな?あと少しだよ!さっき、ゼロの炎から生き残った人たちがいるって話したよね?この再生の神話では、その人たちが活躍するよ。生き残った人々は、世界のあちこちにメビウス様を祀る神殿を建てた。神殿っていうのは、眠りについたメビウス様が、いつか目を覚ましますようにって、お祈りするための場所。ゼロの神殿は、残念ながら存在しない。あの大事件の発生の原因は、結局のところゼロの存在だったわけだからね。そういうわけで、世界は少しずつ復興し、再び生き物たちで溢れかえるようになったんだ。生まれて、生きて、亡くなって、そしたら別の子がまた生まれて、生きて…生き物たちは今日もくり返している。生き残りの人々と動物たちが、いつか目を覚ますであろうメビウス様を喜ばせるために頑張ってくれたんだね。そして今、僕たちが生きるこの時代がある。再生の神話は、短いけれどざっとこんな感じだよ。色々なエピソードがあるけれど、今ここではそこまで重要じゃないから省くね。


ちなみにそのあと、たくさんの人がいろんな神話や宗教をつくったから、世界にはいろんな神さまを祀る神殿があるよ。でも結局、世界に歴史として最も広まったのはこれらの神話なんだ。なぜなら天使たちが証言したからね。かつてメビウス様がいた空間は今でも荒れ果てていて、復興を諦めた天使たちの中には、地球にやってくるものもいた。そして今は天使も人間もその他の動物たちも、この世界で共存しているってわけ。…そして、悪魔も。悪魔っていうのはね、あの大事件のとき、メビウス様を裏切って傷つけた天使たちの末裔のことだよ。この世界のどこかで、自分たちの先祖の行ないを悔いて、一族を、自分自身を呪っているんだって。


「こんなところかな」

R4-Bはふう、と息をつくと、ガラスのコップの水を一口飲む。天使の反乱の大事件と、悪魔のことを話すときだけ、R4-Bは心臓がはち切れんばかりに動いて暴れているのを感じた。もつれそうな舌を何とか動かした。話は終わった。R4-Bは椅子に深く座りこんで、ロートヴァルの反応を見る。

「なんというか…思ったよりもずっと壮大だったな」

ロートヴァルはあごに手を当てる。

「それもそうか、神話なのだからな」

そしてあごから手をどけ、両手をひざの上に置くと、R4-Bを見る。

「お前のおかげでだいたい理解できた。感謝する。俺たちはその、めびうす、という神の神殿をめざすわけだな」

R4-Bはうなずく。悪魔の話は気にしていないようだ。彼は安堵する。

「それじゃあ、支度を続けよう。準備を怠ると後で大変になるからね」

R4-Bは再び、キャンディの袋を確認する。ロートヴァルが苦笑する。

「可愛いやつめ」

「もう!子ども扱いしないでよ」

「立派な子どもだろう」

R4-Bはぷうっ、と頬をふくらませる。

「そういうロートヴァルは支度できたの?」

「支度、と言ってもな。俺は恥ずかしいことに無一文で、持ち物も衣服くらいしか無い」

R4-Bは目を丸くする

「なんにもないの?」

「気がついたときにはこのダボダボのズボンとぼろ布以外、何も持っていなかった」

「そう…」

いったい何があったのかしら?R4-Bはますます気になってしまう。

「必要なものは道中で買えば良いよ。僕、ちゃんとお金を持っているから安心して。こう見えて、少しだけお金持ちなんだ。と言っても、お父さんとお母さんが残してくれたお金なんだけれどね」

「良いご両親だな」

柔らかい表情で言う。うふふ、とR4-Bは頬を赤くする。しかし次にはロートヴァルは顔を曇らせ、真面目な顔になる。

「お前のような少年に金を払ってもらうのは大人として恥ずかしいし、忍びない。すまないな。お詫びとして、俺になにかできることはないか?」

「謝っちゃダメだよ。ロートヴァルは命の恩人なんだから、このくらい当然」

「しかし、申し訳ないものは申し訳ない」

頑ななロートヴァルを見て、R4-Bはしばし考える。どんなに気にしなくていい、と言っても、ロートヴァルのことだ、絶対にいつまでも気にするだろう。R4-Bはあることを思いつくと、くっと顔を上げる。

「それじゃあ、ボディガードをお願いしようかな。街と街の間は危険な人たちや野生動物もいるし、街の中でも治安の悪いところってそこそこあるしね」

「承知」

「もう!何だか一昔前の人みたいだよ」

「そうなのか?」

ロートヴァルのきょとんとした顔に、R4-Bはくすくす笑ってしまう。頬を紅潮させて、ロートヴァルにはじけるような笑顔を向ける。

「楽しい旅にしようね!」

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