老人はかく語りき

しとしとと雨が降る。ぱらぱらぱら、と心地よい音楽を奏でながら葉っぱにあたった雨粒が、クリスタルのしずくとなって地に落ちる。雨粒を飲み込んだ土は、黒くなってしっとりする。

R4-Bはテーブルに頬杖をつきながら、ふわ、とあくびをする。雨の音を聞くと、なぜかR4-Bはあくびが止まらなくなる。ここで眠ってなるものかと、R4-Bは前々から聞きたかった質問をロートヴァルに投げかける。

「ねぇ、ロートヴァルはさ、失った記憶を取り戻したいって思う?」

唐突な質問に、ソファのふかふか具合に感心していたロートヴァルは、少しの間きょとんとする。そしてしばらく考えたのち、不思議なことを言う。

「取り戻したい気持ちはある。だが、変なことだが…取り戻すのは良くない気がする」

「え!どうして?どういうこと?」

予想外のこたえに、R4-Bは目を丸くする。ロートヴァルは苦虫を噛み潰したような顔で続ける。

「なんというか、記憶を取り戻すのは不吉なことのような気がするんだ。どういうことなのかは俺にもわからん」

「じゃあ、取り戻したくない?」

「…」

しばらくふたりは黙る。リビングはしんとして、雨の音だけが部屋に響く。チェシャは、ふわふわのじゅうたんの上にちょこんと座りこんで、R4-Bとロートヴァルを交互に見つめる。そして二、三分ほど経ったころ、ようやくロートヴァルがうつむきながら口を開く。

「それでも俺は、取り戻したい」

それは低く、重く、決意に満ちていた。

「自分が何者なのか、何があったのか、知りたくてたまらない。たとえそれで不幸になったとしても、だ」

ロートヴァルはR4-Bを見る。

「このままでは、俺は何者にもなれない。こんな体たらくでは。まるで、体のほとんどを失った生き物みたいだ。俺は、自分を知りたい」

真っ直ぐな目。覚悟。

R4-Bは内心、ほっとしていた。R4-Bがこの質問を投げかけたのには、あるねらいがあった。ロートヴァルが記憶を取り戻せば、行くべき場所、帰るべき場所が見つかるはず。そうすればもう、R4-Bは自分の正体がばれることにおびえながら、ロートヴァルとともに毎日をすごす必要は無くなる。ロートヴァルと一緒にいたい。しかし、それは許されない。誠実なロートヴァルに、嘘つきの友だちはふさわしくない。縁を切らなければ。R4-Bはせめて、自分のことを天使だと思ったまま、ロートヴァルに去ってほしかった。ごめんなさい、ごめんなさい。泣きそうになる。だめ、泣いちゃだめ。ようやっとの思いで笑顔をつくると、R4-Bはなるべく明るく聞こえるように言う。

「ロートヴァル、ロートヴァルの気持ちはわかったよ。僕も賛成!それでね、提案なんだけれど、ここから森の道を少し東に行くと、占い師のおじいちゃんがいるんだ。そのおじいちゃんに占ってもらってさ、まずどうすればいいのか聞いてみない?おじいちゃん、目が見えないけれど、占いの腕はホンモノだからさ」

ロートヴァルは少し呆然とする。

「占い?お前、占いを信じるのか?」

怪訝そうに続ける。

「そのご老人には失礼だが…大丈夫なのか?」

R4-Bはくすくす笑う。

「心配しなくても大丈夫だよ!おじいちゃんは霊力がすごく強いことで、ここらへんではけっこう有名でね、昔は神殿で働いていたんだって。それにね、占いの結果を鵜呑みにしたくなければそれでいいんだよ。あくまで僕らは、アドバイスをもらうだけ。そのあとどうするかは、僕たち自身で決めるんだ」

「なるほどな」

ロートヴァルはあごに手を当てる。しばしあごひげをさすったのち、うむ、とうなずく。

「よし、お前の提案を飲もう」

「決まりだね!そうこなくっちゃ!」

R4-Bは大きな椅子からひょい、とおりる。

「さっそく支度しよう。おじいちゃんのところへは、歩いてもほんの十五分程度だよ」

「便利だな」

「えへへ、僕の家があるこの森はね、意外と気に入っている人が多くてね。街の喧騒から逃れたい人たちが、ちょこちょこっと住んでいるんだ。だから少し歩けば、何軒か家がすぐに見つかるんだよ。これから行くおじいちゃんちもその一つ」

「ほう、確かにここは居心地がいいからな」

「でしょ〜!」

自分の住んでいる土地を気に入ってもらえるのは、なかなか嬉しいことだ。R4-Bは頬を赤らめて喜ぶ。

ぱたぱたとせわしなく動いて支度を整えると、雨の音で今にも眠りそうなチェシャに呼びかける。

「チェシャ、おいで!行くよ!」

ロートヴァルが立ち止まる。

「ん、そいつ連れて行くのか?」

「この間、ひとりにしちゃったからね。今度はちゃんと一緒にいるんだ」

「仲が良いんだな、お前たち」

「もちろん!」

チェシャがバサッと羽を広げて、じゅうたんの上をすべる。そしてR4-Bの肩にふわりととまると、なでろと言わんばかりに顔を近づける。

「よしよし、良い子だねぇ」

R4-Bはチェシャの、あのじゅうたんよりもずっとふわふわの頭をそっとなでる。しばらくそうしたのち、かばんを肩にかける。かばんには、お財布と、家の鍵と、もしものときのために自分の翼から抜いておいた黒羽根が三枚と、チェシャのおやつと、キャンディがたっぷり入った袋。

「ロートヴァル、まさかそのかっこうで出かけるつもり?」

R4-Bが、支度はもうできた、という様子で玄関の前に突っ立っているロートヴァルに苦笑しながらたずねる。

「え、何かおかしいか?」

「前から疑問だったんだけれど、どうして上半身ハダカなの?下半身はいいんだけどさ」

「裸というか、怪我したお前にかけていた、あのぼろ布を着てはいたんだが…」

「服は?」

ロートヴァルは、きまり悪そうにする。

「大きさの合う服が、どうしても見つからなかった…」

「あぁ…」

言われてみれば、ロートヴァルは身長2メートルはありそうな大男だ。一般的な人間用の服たちの中を探しても、確かにサイズの合う服はなかなか見つからないだろう。

「それじゃあ、僕のお父さんのマントを貸してあげるよ。外は涼しいし、人のお家に行くわけだから、せめて何か一枚羽織ったほうがいいと思うんだ」

「そ、そうだな。じゃあ、あの布を…」

「あれはダメ。ぼろぼろで汚れているじゃん!マントを貸してあげるって言ったでしょ?あっちのほうがきれいだからさ、ほら、取ってきてあげる」

「あ、ああ、すまない」

とてとてとて、とチェシャを肩にのせたままR4-Bは小走りする。そしてすぐに黒い、温かそうな美しいマントを持ってくると、ロートヴァルにぐいとさしだす。

「お父さんも身長、わりと大きかったらしいんだ。ロートヴァルほどじゃないけれどね。これ、マントだし、サイズが多少小さくても見た目は変にならないと思う」

ロートヴァルは、そのマントを両手でうやうやしく受け取る。

「感謝する」

「どういたしまして!」

ロートヴァルは、そのマントをばさりと羽織る。R4-Bの父親については何も聞かない。詮索してこないロートヴァルに、R4-Bは感謝した。誰にでも家庭の事情というものはある。

「それじゃ、出発!」

元気よく宣言すると、ふたりと一羽は玄関の分厚いドアをくぐる。


「おやおやおや、珍しいお客さんが来たものじゃのう」

しわくちゃで、真っ白なひげを長く伸ばした老人が、開口一番にしわがれた声で言う。老人の家はぐねぐね曲がった木材でできているようで、壁や床のあちこちがでこぼこしている。ハーブか何かの匂いがする。棚には水晶玉や、見たことのないつるつるの綺麗な石ころや、鈍く光を反射している大きなつぼや、金色の不思議な棒などのへんてこな物品が並んでいる。部屋は太いろうそくに灯された火で照らされており、R4-Bのリビングより薄暗い。

「おじいちゃん、目が見えないのに、どうして珍しいお客さんだってわかるの?」

R4-Bのもっともな疑問に、老人はふぉふぉ、と楽しげに笑う。

「それはのう、可愛い子よ、音と空気の変わりようでわかるんじゃ。ひとことで言えば“気配”というやつじゃの。わしは目が見えないからのう、他の感覚を研ぎ澄ましておるのじゃよ」

老人はにこにこ笑顔で優しく説明する。そして顔を、R4-Bの後ろのロートヴァルに向ける。すると、見えないはずの目が開かれ、新緑の色の瞳があらわになる。

「おお、これはこれは…」

老人は息を呑む。

「なんと美しい…」

「ご老人、目が見えていなかったのでは?」

「もちろん、見えておらんよ。少なくともお前さんの肉体という仮面はの。今わしがみえているのは、そう、闇の中に光り輝くひとりの美しい女性の影じゃ。しるえっと、というやつかの。長い髪と、あれは…ツノかの?なんと神々しい…」

「じいさん、頭は大丈夫か?」

「ちょっと!失礼だよ、ロートヴァル!」

途端に口が悪くなったロートヴァルを、R4-Bは慌てて止める。しかし老人は、ロートヴァルの言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、気にとめている様子はない。

「さて、お前さん方、占ってもらいに来たのじゃろう?さっそく始めようではないか」

「お願いします!」

背筋をぴんと伸ばし、礼儀正しく言う。

「ふぉふぉ、そんなにかたくならなくても良い。…さてと。まずは何を占ってほしいのか、話を聞こうかの」

R4-Bは、ロートヴァルとの出会いから順に最近の出来事を丁寧に話し、ロートヴァルが記憶をすっかり無くしてしまったこと、どうにかして記憶を取り戻したいと決意したことをこと詳しく説明した。そして、そのためにはいったい何から始めるべきなのかわからずにいる、とも。

「ふむ…あらましはわかったぞい。つまり、失われた記憶を取り戻す良い方法がないか、占ってほしいということじゃね?」

「はい、その通りです」

老人は長いひげを右手でなでる。

「ふむ。では美しいお人よ、手を」

「じじい、ひっぱたくぞ」

「ロートヴァル!」

R4-Bに諭されて、ロートヴァルはようやくしふしぶと自身の右手をさしだす。老人はその右手にそっと両手を添え、そして握る。老人は静かに目を閉じる。部屋がしんとする。誰も口を開かない。ハーブの香りが濃くなる。この占いで、果たしてどのような結果が出るのか、R4-Bは固唾を呑んで見守る。しばらくの間、三人はそのまま石像のように動かなかった。五分ほどたっただろうか、ようやく老人はロートヴァルの手をそっと離す。その表情からは何も読み取れない。

「ど、どうでしたか?何かわかりましたか?」

待ちきれない様子で、R4-Bは身を乗り出してたずねる。老人は、また先ほどのように柔らかい笑みを浮かべる。

「ふぉふぉ、わしにはちゃあんとみえたぞい。少し長くなるがの」

「構いません!聞かせてください」

老人は、目の前の机に置かれている、湯気のたつカップからお茶をひとくちすすり、静かに語りだす。


わしがこの方の手を握ってまず始めに感じたのは、強い、それは強い「力」じゃ。肉体の話ではないぞよ。魂の話じゃ。高貴な色に光り輝く魂からは、神々しい光がこんこんと溢れ出てきていよる。言葉を絶する美しさじゃよ、想像してみい、まるで小さな太陽じゃ!こんなものがみえたのは、わしは長く生きてきたがの、今日が初めてじゃ。そしてそこから見えたものは…歴史じゃよ。激しい戦争の光景がみえた。お前さん、戦争を経験したことは?ふむ、身に覚えがないとな。それもそうじゃの。記憶が無いのだからの。さて、その戦争の光景から感じたのは、ひとさじの憎しみと…胸を引き裂くような悲しみじゃ。これらはおそらく、いや間違いなく、お前さんの過去にまつわるものじゃ。記憶を取り戻すことに不吉な何かを感じた、と言っていたね。おそらくこの戦争の記憶のことじゃないかの。さて、続きじゃ。どうしたら記憶を取り戻せるか、だったの。ずばり、「神殿をまわる」のじゃよ。この世界を創造した神さまのお話は知っておるじゃろう。命を愛した神さまじゃ。その神にゆかりのある地を、特に神殿を訪れるのじゃ。そうすればおそらく、自然と思い出すじゃろう。大切な記憶も、忘れたかった記憶も。


ふう、と一息つくと、老人は再び目を開ける。透きとおった、新緑の色の瞳。

「わしが教えられるのはここまでじゃ。あとは、お前さん方しだいじゃよ」

R4-Bは軽くぴょんぴょんして大はしゃぎする。肩のチェシャがゆらゆら揺れる。

「すごい!こんなに詳しくわかるだなんて」

しかし、すぐに落ちつきを取り戻して首をひねる。

「あれ、でもどうしてその神さまの神殿なの?神さまは他にもいるし、神殿だってたくさんあるのに」

そこでR4-Bはぽんと手を叩く。

「そうかなるほど!主神だものね、一番力が強くて気高い神さまにおすがりするんだね」

「神頼みか…」

はしゃぐR4-Bとは対象的に、ロートヴァルはがっかりしたような表情をする。しぶしぶ、といった様子で言葉を続ける。

「しかしまぁ、他にどうしようもない」

R4-Bはとびきりの笑顔で老人の方を向く。

「おじいちゃん、ありがとう!」

老人も綿のように柔らかな笑顔を返す。

「ふぉふぉ、礼にはおよばんよ、可愛い子」

「そうはいかないよ、はい、占いの料金。あ、今度美味しい果物持ってくるね!」

「ふぉふぉ、お金はいらんのにのう。しかし果物は楽しみだの、ふぉっふぉっふぉっ」

あからさまに苦い表情をしているロートヴァルを連れて、R4-Bはにこやかな老人の家をあとにする。


ふたりが去ったあと、老人は薄暗い部屋の中で、静かにひとりつぶやく。

「神さまに会えるとはの。僥倖、僥倖」

そして机の上の、まだ温かいお茶の入ったカップを両手で包んで持ち上げる。

「ふぉふぉ、可愛い子よ、気をつけなされ」

雨はいまだにしとしと降っている。

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