本の森にて

立派な書庫。薄暗いが、ほこりもなく、綺麗に掃除されている。丈夫そうな木製の本棚に、本たちが一巻から順番に、きちんと隙間なく並べられている。本一冊一冊への深い愛情がよく感じられる場所だった。

「書物がこんなにたくさん並んでいるのを見るのは初めてだ。これ全部、お前が集めたのか?」

ロートヴァルが目を丸くして、感心したように言う。

「そう、すごいでしょ!僕の宝物だよ」

R4-Bが自慢げにこたえる。そして愛おしそうに、まるで可愛らしい子犬を見るような目で本棚いっぱいの本たちを見やる。そこには、有名な冒険物語からSF小説、ミステリー小説、動物図鑑、料理やお菓子のレシピ本まで、様々なジャンルの本が並べられていた。

R4-Bが目をきらきらさせてたずねる。

「どの本が気になる?」

しかしR4-Bの予想に反して、ロートヴァルは首をひねってむつかしい顔をしながら、こんなこたえを返してきた。

「どの本、と言われてもな…。とりあえず見渡せるかぎり、俺が読めそうな本は一冊もないようだ」

そして、驚くべきことを言う。

「ここにあるどの文字も、見たことがない」

「えっ…」

R4-Bは驚いた。読み書きができないのではなく、文字を見たことがない?そんなことってあるのかしら?確かにこの世界にはたくさんの言語があるけれど、今ここにある本のほとんどは、世界で最もたくさんの人々が使っている有名なんてところではない言語だ。その文字を、見たことがない…?しかしR4-Bは考え、これらの疑問を改めた。この考え方そのものが、傲慢なのかもしれない、と。いくら広く使われている言語といえど、世界にはまだまだ教育を受けられない人たちがたくさんいる。ロートヴァルもその一人なのかもしれない。いやもしかしたら、ロートヴァルは外国からやってきた人で、本来は全く別の言語をあやつる人なのかも。しかし奇妙だ。それならなぜ、こんなにすらすらと彼は自分と会話できているのだろうか。外国の人で、全く違う言語を使っていたのなら、バイリンガルだったとしても、少しはこの国の言葉を話すときに時間がかかったり、なまりが出たりしそうなものだが。しかし実際、ロートヴァルは、まるでネイティブスピーカーのようにこの国の言葉を話している。この国の言葉をこんなになめらかに話せるのに、言葉づかいだって綺麗なのに、この国の文字は見たことがない?いったいどうして?R4-Bはますます考えがこんがらがってしまった。

「何かこう、見覚えのある文字はない?数字とかさ。本当にどれも見たことがないの?」

ロートヴァルは眉間にしわをよせて、ぐるりと周りを見渡す。そしてうつむく。

「…無いみたいだ」

「そう…」

あまりがっかりした感情を表に出してはいけないと知りつつも、R4-Bは肩を落としてしまう。数字すらも見たことがないなんて!そして再び問う。

「文字を見たことすら無いのに、どうしてロートヴァルはこの国の言葉が、そんなにきれいに話せるのかな?」

「え?あ…」

ロートヴァルはまるで、信じられないものを見たような顔で、目を見開く。そして右手を口に当てて考え込む。

「言葉をしゃべれる。会話も問題なくできる。…なのに、なのに文字だけは見たことすら無い。どういうことだ?記憶喪失が関係しているのか?俺は、俺は本当に、何者なんだ?」

ぶつぶつと小声で言いながら、しきりに首をひねる。何だかどこかで見たことのある光景だ。

「ねぇロートヴァル、落ち着いて」

R4-Bはロートヴァルをなだめようと声をかける。ロートヴァルはいったん、ぶつぶつ言うのをやめる。しかしロートヴァルは後味の悪いホラー小説を読み終えたときのような、渋い表情のままだった。

「見たことがなくて読めないのなら、それは仕方がないよ。でもこの国でどうにか暮らしていくにはやっぱり、読み書きは覚えておいたほうがいいと思うんだ」

R4-Bは真面目な顔で話す。そして次には、まるで可愛い生徒を見る教師のような顔になる。

「でもご心配なく!僕が教えてあげるよ。読み書きも計算も、暮らしに必要な知識、僕があげられるだけの、たくさんの知識。教えてあげる!」

R4-Bは自信満々に、自分の胸をぽんと拳で叩く。ロートヴァルは眉毛を変なふうにして驚いている。しかしすぐに視線を落とす。

「だが…お前にそんな苦労をかけたくはない。俺は、自分一人のことくらいは、自分でどうにかできる。この国で暮らしていくと決めたわけでもないしな。読み書きができなくても会話ができれば…まぁ、なんとかなるだろう」

R4-Bは今度こそがっくりと肩を落とす。

「そんな…本当に大丈夫?」

「たぶんおそらく」

「なんだか、あいまいだなぁ」

R4-Bはロートヴァルが心配でならなかった。見た目も大きくて、強面で、獣人や龍人のような大きな手と鋭い爪を持っている、言葉は少し悪いが、異様で珍しい外見をしたロートヴァルが、しかし記憶を取り戻せないまま、読み書きができないまま人の世を放浪するなど、心配するなという方が無理難題だ。しかし本人が断っているのに、何度も押しつけがましく「文字を教えてあげる」と言うのも、何だか気が引ける。どうしよう…?R4-Bは困ってしまった。うぅん。しかしここはやはり、教えるべきだ。しばらくして、R4-Bはそう考え直した。ロートヴァルへ恩返しをすると決めたのだ。全身にまだ痛々しい火傷の痕は残っているが、立って歩けるほどにまで回復した。寝たきりのときはずっと、ロートヴァルが看病をしてくれていた。ロートヴァルは命の恩人なのだ。知識は持っておいて損はない。重荷にもならない。少しでもロートヴァルの役に立つなら、読み書きはやはり教えておいた方が良い。R4-Bは決心した。顔をくっと上げて、書庫の本たちを物珍しそうに眺めているロートヴァルへ、宣言した。

「やっぱり読み書き、教えるよ!知識はあればあるほどいいしね。読み書きは特に、絶対に役に立つし。ね、一緒にお勉強しよ。恩返しって意味もあるけれど、ロートヴァルがこのままどこかへ行っちゃうの、僕…すごく心配なんだ」

訴えかけるような目で、ロートヴァルの目を見つめる。その目に、R4-Bの誠意と心配をしっかりと感じたのだろう、ロートヴァルも読み書きを教わることを決心したようだった。しっかりとR4-Bに向き合うと、あらたまった真面目な口調で述べる。

「そうだな。すまないが、よろしく頼む」

R4-Bは喜びと興奮に満ちた顔で、大きく頷く。

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