チェシャの待つ家へ
太陽が頂点から少し傾いたところに下がり、光が優しい蜜色になる。R4-Bはようやく目をさますと、想像していたよりもずっと長く眠ってしまっていたことに驚く。彼は首を動かして、ロートヴァルが腰を落としていた木の根元を見る。そこには果たして、眠る前と同じように大男が座っていた。ロートヴァルは目を閉じてはいなかったが、何か考え込んでいるようであった。
「調子はどう?ロートヴァル」
ロートヴァルはR4-Bの声に気づくと、ゆっくりと顔を上げる。
「まあまあだ。お前はどうだ?」
「順調。疲れや痛みはほとんどとれたよ」
R4-Bはにっこりと笑って言う。
「それは良かった。あの薬が効いたようで何よりだ」
記憶にない薬草と薬の作り方が正しかったことが証明されて、ロートヴァルは安心する。
「うん、本当に。ありがとう」
「礼はいい」
「そういうわけにはいかないよ」
ぶっきらぼうな大男に、にこにこと笑って彼は礼を告げる。そしてふと真面目な顔になると、彼はロートヴァルにたずねる。
「体はまだ重い?」
大男は肩を落として言う。
「ああ、残念なことにな。だが、お前を拾ったときよりはだいぶましになった」
「それは良いことだね。僕もロートヴァルも、完全回復したわけではないけれど、少しずつ元気になっているよ」
R4-Bは笑顔で元気に言う。体の火傷の傷はまだ痛むときがある。立つこともできない。しかし確実に回復している。それはまぎれもない事実であった。そして彼は眠る前に疑問に思っていたことを吐き出した。
「ロートヴァル、ロートヴァルはこれからどうするの?」
彼の言葉にロートヴァルはきょとんとし、それから何かをやらかしてしまったように顔に手をあてた。
「お前が動けるようになって、お前がお前の家に帰れるようになるまでついていてやろうと思っていたが、それから先のことは…何も考えてない」
R4-Bはさらにたずねる。
「行くところは?帰るところはある?」
「…いや、何も」
ロートヴァルは暗い顔をして言う。R4-Bは、記憶を失うことと、行くところも、帰るところさえもない気持ちについて考える。帰るところがないなんて、どんなに寂しいだろう!記憶を取り戻すまで、いつまでも宙ぶらりんな気持ちで彼はいなければならないのか。R4-Bはロートヴァルがかわいそうでならなかった。考えるよりも先に、声が出る。
「ねぇ、僕のお家に来ない?」
「…は?」
大男は心底驚いたような顔をする。R4-Bも自分の言ったことに少しだけ、ほんの少しだけ目を見開く。しかしすぐに自分の言葉を受けとめると、さらに続ける。
「行くところも、帰るところもないんでしょう?困っているんじゃないのかい?僕のお家においでよ。雨風もしのげるし、温かい食事もあるよ」
ロートヴァルは困ったような顔をする。
「しかし…しかし、昨日初めて出会った少年の家に、でかいおっさんがお邪魔するのは…悪いんじゃないか?」
「そんなことないよ。おいで!チェシャも一緒にいるし」
最後の言葉を聞いて、大男はきょとんとする。
「ちぇしゃ?」
R4-Bは目を丸くする。自分が自分について、ロートヴァルにまだ何も説明していないことに気がつく。
「あっ、まだ僕自身についてほとんど説明していなかったね。僕は天使だけれど、別の世界で暮らすことはやめて、人間たちの世界に降りてきて暮らしているんだ。ふくろうのチェシャと一緒にね。人間の世界はとても面白くて、惹かれるんだ。たくさんの言葉であふれていて、たくさんの冒険物語の本がある。僕は本を読むのが大好きで、本屋さんや図書館にちょくちょくお邪魔するの。とても楽しいから、今度ロートヴァルも一緒においでよ」
僕は天使だけれど、という言葉に、R4-Bはちくりと心が痛む。しかしなんとか笑顔をとり繕い、話を続ける。
「チェシャはね、ふくろうの子なんだけれど、とても頭が良くていたずら好きなんだ。家の中は狭いから、あの子、飛ばずにとことこ歩くんだけれど、それがとっても可愛いんだ!おめめがくりくりしていてね。僕の靴下を隠したり、僕がとっておいた木の実を勝手に食べちゃったりするけれど、僕はそんないたずら好きのチェシャが大好きなんだ」
大好きなチェシャのことになると、彼は話がとまらない。
「ふくろうと一緒に暮らしているって、少し変わっているように見えるかもしれないね。ふくろうは夜行性の子が多いけれど、チェシャは僕らと同じように、朝に起きて、昼に活動して、夜になると眠るんだよ。そういう種類のふくろうなんだ。たまに一緒に空を飛んで散歩することもあるんだよ」
彼は目をきらきらさせて話し続ける。そんな彼の様子に、大男は優しく微笑む。
「チェシャっていう名前はね、どこの国の本だったかな、不思議な物語に出てくるチェシャ猫からとったんだ。その猫はいつもにやにや笑みを浮かべていて、みんなをおちょくるんだ。いたずら好きのあの子に似合っていると思ってね」
「その、ちぇしゃとやらとふたりで暮らしているのか?」
「うん、そうだよ。本を借りてきて読んだり、近くに暮らすおばあちゃんからアップルパイのおすそわけをもらったりして暮らしているよ。お金は貯金があるけれど、本当に困ったときは、僕の翼から羽根を一本抜き取って売るんだ」
それを聞くと、ロートヴァルはぎょっとしたような顔をする。
「…それって売っていいものなのか?お前の一部だろう?」
怪訝そうなロートヴァルに、R4-Bはなんてことも無いような顔で明るく答える。
「大丈夫だよ、一本売れば十分なお金が手に入るし、羽根はしばらくすればまた生えてくるからね。自分で言うのも何だけど、大きくて立派な黒羽根は欲しがる人間が多くて、けっこう良い値で売れるんだ」
「そ、そういうもんなのか…」
「うん、だから安心してロートヴァルも来るといいよ。僕は今体がこれだから、あまりもてなしてあげられないかもしれないけれど」
「…」
「ね、おいで!」
「いや、しかし…」
「もう!どうしたの?」
なかなか提案を飲み込まないロートヴァルに、R4-Bはじれったくなる。しかしロートヴァルは、そんな彼をよそに顔をしかめる。
「いや、その…不用心じゃないかと思ってな。昨日初めて出会った、得体の知れない男を家に上げるなんて、その、何かあったらどうするつもりなんだ?」
「何かあったらロートヴァルに頼るしかないね!僕は今この体たらくだから」
「いや、そういう意味ではなく…」
「そ、れ、に!」
じれったさに我慢できなくなったR4-Bは、手で地面をぱんとたたく。
「ロートヴァルが優しい人だってことはもうよくわかったんだから!こんなになった僕を丁寧に看病してくれて、疲れているのに見守ってくれて…もう十分すぎるくらいだよ。恩は返さなくちゃね」
R4-Bはロートヴァルの目を優しく、しかしまっすぐに見つめる。
「ね、だからおいでよ!僕のお家にさ」
その目と言葉に何かを感じたのだろう、ロートヴァルは口をひん曲げながらもしぶしぶR4-Bの言葉に甘えることにした。
ロートヴァルはR4-Bのそばにかがむと、太い腕で毛布代わりにかけられていたぼろぼろの布ごと、彼を抱きかかえる。
「お前の家はどこだ?連れて行ってやる」
R4-Bはぱあっと笑顔になると、喜んで家への道順を教える。幸い、墜落した場所からそう遠く離れていないこの森は、R4-Bも知っている場所だった。
「僕のお家はね、ここからずっと西!西の方にあるよ!ここよりももっと緑がたくさんあって、きれいな場所なんだ」
「む、西…か。とりあえず真っ直ぐ西へ行けばいいんだな」
「そう!目印になるようなものが近づいてきたらまた道を教えるね」
温かい体温に包まれながら、R4-Bは新たな友と一緒に家路についた。
「待っててね、チェシャ!」
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