第二章:私と少女の共犯取引

「死体……ですか」

 私の言葉に、少女は「そう、死体」と念を押すように言った。

「こんな時間にこんなところにいる時点で、まともな目的じゃないでしょ、フツー」

 しばらく、絶句していた。たしかに、こんな時間――しかもこんな山の中で、自分以外の人間に出会うとは思わなかった。それは、少女の言う通りまともではないからだ。

 裏を返せば、まともな人間なら来ないであろう時間と場所だからこそ少女は今日この場所を選んだのだろう。

 死体を埋めるのに目撃者はいらない。

 しかしそんな少女にも誤算があった。準備万端な彼女にも、予測していなかったことが起きた。

 私という第三者の登場だ。

 あるいは、少女が重いと形容する死体入りスーツケースを、悪路の中、ここまで運ぶ苦労や疲労も計算外だったのかもしれない。なればこそ、彼女は山道で出会っただけの不審な男に『死体を埋めるのを手伝って欲しい』と言ったのかもしれない。疲労は人間の判断力を鈍らせる。果たして少女は、今この場ですぐさま通報される可能性に思い当たっているだろうか?

 それとも――私が通報しない可能性に賭けているのか。

 私が黙っていると、少女は「で? オニーサンはなんでこんなところに?」と言った。

「さっきも言ったけど、こんな時間にこんなところにいる時点で『まともじゃない』から。アタシも大概だけど、オニーサンも例外じゃないよ」

 少女は、椅子にしている死体入りスーツケースを片手で軽く叩いた。

「ね、取引しようよ。お互い、今日ここに来たことや、今日ここで見たことを他言しない。その約束を違えないために、今から共犯関係になろう。この死体を、一緒に埋めるの」

「……私へのメリットがない、と感じます」

「それはオニーサンが目的を開示してないからでしょ? アタシは開示した。アタシの目的はこの死体を埋めること……話すデメリットを押して話したんだから、アタシの方がメリットが多くて当然でしょ?」

 少女は、にんまりと笑って私を見上げる。その視線は『目的を開示し合えば相互補助ができる』と物語っている。つまり、少女は私に『手伝ってやるから目的を話してみろ』と言っているのだ。さもなければ、少女にばかり益のあるこの取引を飲めと、言っているのだ。

 私は逡巡した。どちらを選んでも私にとっては好ましくない。どちらの負債がよりマシかを選ぶ、そんな気分だ。

 もちろん、警察に通報することもできる。少女は死体という証拠をまだ持っているのだ。まだ、椅子にしているのだ。通報すればすぐにでも警察官が駆け付け、少女を保護ないし逮捕してくれるだろう。

 しかし、それは『私の目的の未達成』をも意味していた。

 少女が言った通り、この時間にこんな場所にいることはまともではない。

 警察に通報することは、少女にとってはもちろん、私にとっても、非常に都合が悪かった。

「……質問を、いいですか」

 少女は、交渉を続けようとする私の言葉に「いいよ」と返事した。

 自分でも動揺がわかる。私は、言葉に詰まりそうになりながら少女に聞いた。

「人を殺すのは、よくないこと、ですよね。それは、理解していますか?」

 少女はしばらく答えなかったが「まあね」と返した。

「たしかに、人を殺すのはよくないこと、悪いことだね。でも、この死体を埋めるにはそれなりに理由があるわけ」

「理由……?」

「アタシは、この死体を埋めることで吹っ切れたいわけよ。死体を埋めるまで、アタシはぐずぐずと落ち込むことになる。だから、これは必要なことなの」

 死体を埋めることが、必要……。

 少女の姿勢は、少なくとも殺人を正当化したり、開き直ったりする類いのものではないと私は判断した。

 言うなれば、ケジメをつけるための行い。たとえそれが殺人の隠匿であろうと、少女視点では『死体を埋めなければ進めない』状況なのだ。

 進みたい場所に進めない苦しさには、どこか、閉塞した職場を想起させられた。

「取引に応じます」

 私は自然とそう口にしていた。

 もし、少女が人を殺すことを無理に正当化するような人間だったなら、きっと私は言葉もなく警察に通報していただろう。

 しかし、そうではない。そうではなさそうであるというのが私の印象だ。たとえ、後に退けない状況に追い込まれているとしても、少女はまだ、進むことを諦めていない。どんなに後ろ向きでも、少女は、これからを諦めていない。

 それに、少女は確かに言った。人を殺すことは悪いことだと。

 それを自覚できているなら、私から言うことは特にない。それに、できた死体をなかったことにすることは、この時点ではもうできない。

 ならば、この場でもっともマシなのは警察に通報しないこと。そのうえで少女を手伝い、死体を埋める共犯者になること。

 閉塞した現状の打破。それを少女が願うなら手伝いたい。それが私の結論であり、エゴだ。

 スーツケースの中身には悪いが。

 私の言葉を聞いた少女は、もしかしてあまり想定していなかったのか、驚いたように目を開いた。

「え、応じる? 取引に? マジ?」

「マジです」

 少女は、ポカンとした顔でしばらく私を見ていたが、やがて明るい笑顔で「やったぜ!」とガッツポーズをした。

「じゃ、運搬任せた! 実はもうちょっと先まで歩きたかったんだよね! でも、車輪っていうの? コロコロが壊れちゃって、苦労してたんだ」

 少女の座るスーツケースを見ると、本来四つ付いているはずの車輪の一つが壊れ、無くなってしまっていた。たしかにこの状態、この悪路ではスーツケースは引き摺る形になるし、なんなら持った方が早く移動できる。

少女は立ち上がると、私に向けスーツケースを明け渡した。早く荷物を持ってくれと言わんばかりの表情である。

私は、まず、片手でスーツケースを持ち上げようとした。

「………………」

 結論から言って、片手では無理だと判断した。

 スーツケースの大きさは約80cm×50cm×30cm――そしてその重さはおそらく50kg近い。

 人間一人分くらい、重い。

 私は、片手に持っていたスマホをスーツのポケットにしまい、さらにずっと手に提げていた通勤鞄を地面に置いて、両手で50kg近いスーツケースを持ち上げた。形容詞としてはようやくとかふらふらとかが適している。

「……私の鞄は、あなたが持ってくれますか?」

 なんとかそう言葉にしてみるが、少女は「いや、アタシ腕がもう限界だから」と言って私の要求を拒否した。

「大体、鞄なんか持ってて何に使うの? オニーサン、スマホはポケットだし……財布が心配? だいじょぶだいじょぶ! こんなところに置いてある鞄、誰も盗まないって! それに最近はスマート決済が流行ってんじゃん!」

 少女は、スマホを機械にかざす仕草を取りながらスマート決済時の承認音を口で唱え、再現した。

しかし残念なことにその様子をもてはやすような余裕が私にはなかった。

「早く行きましょう。どこに埋めるか、検討はついているのですか?」

 少女のノリをスルーした形になったが、少女は特に気に留めていないようで「うんにゃ」と肯定なのか否定なのかわからない返答をした。

「まだどこに埋めるかは決めてない。でもさ、なんか、景色いいとこが良くない?」

「景色?」

「そ、景色。こういうのは気分だから」

 気分――か。

 私には人を殺したこともなければ、その死体を埋めたような経験もない。しかし、案外『そういうもの』なのかもしれないと、私は妙な納得感を覚えた。

このようなこと――人間の死体を埋めるような、倫理と人道に反すること――を行うには、気分、つまり、それを行う人間のモチベーションが一番大切なのかもしれない、と。

 モチベーション――動機と言い換えてもいい。

 少女は、スーツケースを持つ私を追い越し「も少し歩こう」と先頭を歩き始めた。もちろん、その手に私の通勤鞄は握られていない。

 私は、置き去りにされる運命を決定付けられた私の通勤鞄をちらと見たあと、まあいいかという気分になりそのまま少女の後をついて歩いた。

「動機を聞いてもいいですか?」

 私は、少女に声をかけた。

 少女は前を向いたまま――この場で唯一の光源となったヘッドライトで道の先を照らしながら――「動機?」と短く聞き返した。

「ええ、動機です。あなた個人を特定するような情報――たとえば名前なんかを聞きたいわけではありません。しかし、あなたが『こんなこと』をしている理由くらいは聞いてもいいのではないでしょうか?」

「ま、それはそう。共犯だからね」

 少女は、道の先を照らしながら、つまり私を振り返らないまま、ぽつりぽつりと独白を始めた。

「先月、通ってた高校を卒業したんだけどさ」

 心なしか、少女は俯きがちに歩いているように見えた。

「卒業式が終わるその日まで、ずっといじめられてたんだよね、アタシ」

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