誰が為の埋葬儀礼

上山流季

第一章:その少女は死体を運ぶ

 四月初旬某日、私は仕事終わりに電車で一時間半かけ県境に近いある山へと来ていた。残業が長引いたため時刻はすでに日付を越え、午前一時を指している。最寄り駅からバス停まで歩いたが、当然、この時間に運行しているバスは一本もない。自動販売機の放つ白い光を受けながら、私はスーツのネクタイを緩め、一度呼吸を整えてから、山道へ辿り着くため地道に歩いていくことにした。


 四月。つまり新年度である。新しい生活様式の始まり。新しい出会いの始まり。新しい何かを予感させる、人によっては楽しみでもあり恐ろしくもある時期。

 私は今の職場に勤めて三年目になる。部署は昨年と変わらず、どちらかというと変化のない、ともすれば退屈な日々を過ごしている。否、退屈と表現したが決して仕事が無いわけではない。むしろ人手に対して仕事が多すぎるまであるだろう。先月は同期がまた一人職場を辞めていった。おかげで新年度早々日付変更近くまで残業をすることになった。少ない人数で仕事を埋め合わせれば、そしてその環境で回ってしまえば、いくら仕事の多さを嘆いても追加で人員が来ないことは理解している。それでも残業するのは、もう私の感覚が麻痺してしまっているからかもしれなかった。

 仕事というのは、無理をしなければ回らないもの、終わらないものなのだ、と。

 そして仕事が終わらない限り、家に帰ることはできない。家に帰れば手早くシャワーを済ませ、簡単に食事をして、眠れない夜は酒か薬に頼って眠る。朝は早めに起床し、くたびれたスーツに着替え、本来の出社時間より随分と早い電車へ乗り込む。まだ早いというのに座れないほど、否、立っていても横の人間から肘打ちを喰らうほどの密度をもちろん立ちっぱなしで耐える。職場に着くと朝礼が待っている。就業時間より明らかに早い時間に開かれるそれは、部署の人間全員が参加することが当然であり、つまり暗黙の了解であり、不文律であり、もちろん私だけが例外などということはありえない。以前、朝礼に遅刻した同僚が上司から「何故まだ出社していないのか」という旨の電話を朝礼の最中にかけられていたことを思い出す。電話の内容はスピーカー機能によってその場にいた社員全員が聞くところとなり、謝罪する同僚の声を遮るように糾弾する上司の大声もまた社内に響いていた。ああ、これでは公開処刑だ。きっと私も朝礼に遅刻すればこのように晒し上げを喰らうのだ。それ以来、最低でも朝礼開始十分前には会社に到着するよう毎日の生活を切り上げるようになった。同じ朝礼の場にいた他の同僚の様子も思い出す。同情する者、憐れむ者、無表情の者、そして、嘲笑するように口角を上げる者……。

 あの場にいた私は、一体『どれ』だっただろうか?

 もう、思い出せない。思い出したくもない。


 ようやく、山道の入り口を示す看板を見つける。暗い夜道の行き止まりにあるそれをスマートフォンのライト機能で照らす。私の身長より少し低い看板には、暗い色の下地に白色の文字で『××山(登山道、順路はコチラ)』と、緩い上り坂への案内が書かれていた。周辺は大きく開けていて、どうやら駐車スペースになっているようだ。しかし看板の案内する登山道とやらはアスファルトでの舗装はされていないようで、剥き出しの土が踏み固められているだけだった。

 私は、仕事終わりそのままの状態でここまで歩いてきたことをようやく少し後悔していた。くたびれたスーツに、重い通勤鞄、そして革靴。とてもではないが、登山に適した格好とは言えまい。それでも、ここまでやってきたからにはこの道を進まなければならなかったし、戻るつもりもなかった。私は意を決して、登山道へ一歩踏み出した。


 なだらかに続く上り坂はときに曲がり、ときに折れ、ときに地面から顔を出す石によって私の歩みを邪魔しようとした。私は、スマートフォンのライト機能だけを頼りにそれらの障害物を避け、あるいは避けられずつんのめって転びそうになったりした。それでも、引き返そうとは思わなかった。一度決めたことはとことんやるような性分ではなかったが、自らの疲労や感情を押し殺し、ただ業務を遂行するだけの能力とでも言うべきものが私の中で育まれていることは確かだろう。私は少しだけ皮肉めいた笑みを浮かべた。


 その異音に気付いたのは、ちょうど丑三つ時と呼ばれる時間帯だったと思う。

 登山道の先から『ざり、ざり』と何か重い物を引き摺るような音がするのだ。

 私は不審に思い、しかしそのまま歩を進めた。先客がいるのか、それとも妖怪や物の怪の類いなのか、どちらにしろ確かめたいと思った。どのみち、そんなものが道の先にいるとして私が歩みを止める理由にはならないと思った。

 近付くにつれ、その異音と共に私の持つスマートフォン以外の光源があることに気付く。その人物の荒い呼吸音にも。

 誰かが何か重い荷物を運んでいるようだ、ということがなんとなく把握できた段階で、私はその人物にライトを当てた。

「大丈夫ですか?」

 私がそう声をかけると、先客――カラフルな登山服姿の女性は驚いた表情で後ろを、つまり私の方へと振り返った。

 瞬間、強い光が私の目を焼く。夜闇にほとんど目の慣れていた私はその眩しさに思わず片手で顔を覆った。

 その様子を認めたのか、女性は頭に手をやることで私の顔に当たっていた光の位置をズラした。よく見ればその女性――いや、少女は、頭にヘルメットと、そこに設置する形でヘッドライトを装備しており、顔を向けた方向に光が当たるようにしているらしかった。

 まだチカチカする目を彼女に向ければ、まだ十代後半の、成人しているかしていないかギリギリといった年齢だということがわかった。登山用の大きなリュックを背負い、手には登山用のグローブをはめている。それとは別に、もう一つ大きな荷物――おそらくこれが異音の正体だろう――を地に付け引き摺るように移動していたようだ。

 それは目算して約80cm×50cm×30cmのスーツケースだった。

「……アンタ、何?」

 少女が、疲れを見せる怪訝な顔で問うてくる。

 私はそれに「通りすがりのサラリーマンです」と答えたあと「あなたこそ、何をしているのですか?」と聞いてみた。

 少女は一層怪しむ目で私を見たあと、首に巻いていた可愛らしい色合いのタオルで顔の汗を拭った。ヘルメットに収まりきらなかった金髪が額や頬に張り付いている。化粧していたのかもしれなかったが、それは汗とタオルとでほとんど落ちてしまっていた。

「こんなところに通りすがる、フツー?」

愚痴っぽくそう言ったあと、少女は、引き摺っていたスーツケースを地面に倒して置き、その上に座った。

「だあッ! 疲れた! ちょっと休憩!」

 突然の闖入者にペースを乱されたのは私だけではないようで、少女は、登山用リュックから水筒を取り出して中身を飲み始めた。

 一方の私は、そういえば飲み物を買っておくことすら失念していたことに気付き、ため息をついた。たしか、来る途中のバス停に自動販売機があったはずだった。

 ここまで『とにかく来なければ』という一種の強迫観念に支配されてやってきたが、少女の姿を見ながら己の準備不足をつくづく思い知らされる。もちろんそれもむべなるかな。ここに来たのは突発的な行動であって、計画的な行動ではないからだった。

「で?」

 少女は、じろりを私を見上げた。

「なんでこんな時間にこんなところに、オジサン?」

 正直に言って、私は『オジサン』という形容詞に強いショックを受けた。後ろから頭を殴られたような気分だ。私は少しだけ言葉に迷ったあと「『お兄さん』ではいけませんか?」と交渉してみた。

 少女は「あーハイハイ、オニーサンね」と雑に取り合い片手をひらりと振った。私は咳払いして質問を返す。

「あなたこそ、こんな時間にこんなところで、何を? 見たところ、その荷物を運んでいるようですが」

「うん、見たままだけどそうだよ」

「不法投棄か何かですか?」

 少女は、少しだけ考える素振りをしたあと「オニーサンさ、今ヒマ?」と改めて声をかけてきた。

「ちょっと、これ運ぶの手伝ってくんない?」

「というと?」

「見ての通り重いし疲れてへとへとなんだわ。猫の手でも不審者の手でも借りたい気分」

 私は、たしかにこの状況だと双方が双方にとっての不審者だな、と納得しながら「何が入っているのですか?」と世間話のような軽さで聞いた。

その問いに対し、少女はこれまた羽毛のような軽さで答えた。

「死体」

 ぎょっとして、私は一歩後ずさった。

「アタシ、これから死体埋めに行くんだわ。手伝ってくんない、オニーサン?」

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