第三章:少女がそれを埋める理由
「いじめ、ですか」
「そ。よくある話でしょ?」
少女は、なんでもないような声色を繕ってそう言った。
「きっかけも単純だったよ。去年の夏頃かな? クラス内でいじめみたいなことやってる女子グループがいてさ。流石に目に余るな~と思って、軽く注意したんだよね。『いじめみたいでダサいからやめたら?』って」
私は、相槌を打つことなく両手で持つスーツケースへ視線を落とした。
「そしたら! もうわかるでしょ? ターゲット変更だよ。言い方が気に入らないとか、態度がナメててムカつくみたいなどうでもいい理由で女子グループがこぞってアタシに嫌がらせし始めるわけ! ウケる! 群れてなきゃ安心できない生き物ってやることが幼稚なんだよね! 『みんな』と同じじゃなきゃ安心できなくて、声がデカいだけのリーダーの真似ばっかりしてさあ! 連中が見てるのはトイレで水被ってずぶ濡れになってるアタシじゃなくて、仲間が笑ってるかどうか! そんで、自分が仲間と同じ風に笑えてるかどうかなんだよ! アタシはあくまで話題のタネ! 全員が『わたしたち、一緒だね!』って確認するためだけのただのお人形!」
少女はあくまで明るい声色を装っているようだったが、その心中に渦巻く憎悪と悲しみにはかける言葉もない。
「いじめられてた元々の標的も、自分が輪から抜けられたことを確認した途端つい昨日までいじめ受けてたはずのグループに媚打って連中と同じになろうと頑張ってんの! 全員同類! 全員同罪! 全員死ねばいいんだよ!」
吐き捨てたあと、少女は数度、深呼吸した。
「ごめん、ちょっと感情的になっちゃったね。大声出してごめんね、オニーサン」
少女はそう締めくくったあと、無言で、山道を歩いていた。
一方の私は、両手に持つスーツケースが急にその重さを増したように感じていた。
両手で、スーツケースを抱えるように持ち直す。重い。息が上がる。そういえば私は水も飲まずここ数時間ずっと歩き通しではなかっただろうか? 疲労を自覚した途端、これまで蓋をしてきた感覚が一気に蘇る。額からは汗が吹き出し、しかし自力では拭うこともできない。四月初旬の山中は、深夜から朝方にかけてということもあり冷気が刺すように肌に触れている。なのに、身体の内側は熱くて、でも心のうちは冷え切って、伝う汗が熱さからなのか寒さからなのかもうわからない。そして両手に抱えるスーツケースには、
――死体が、入っている。
おそらく少女と同年代、先月高校を卒業したばかりの、少女をいじめていたグループに所属していたうちの女子生徒、もしくは、元々いじめの標的だった生徒。そのどちらかがこの中に入っているのなら、このサイズにも、この重さにも説明がつく。説明が、できてしまう。
少女の身長は155cm~160cmといったところだ。もし、この中の死体が少女と同じような体格であれば――折り畳めば、入る。女子高校生の体重も、流石に平均値は知らないが、おそらく50kgに満たない程度だろう――。
ここまで連想した私は急激な吐き気に襲われ、足をもつれさせながら立ち止まり、スーツケースを半ば落とす形でその場にうずくまった。
「ッ……ぅ……」
ほとんどカラだろう胃の中身が逆流しそうになり、俯けばしかし目の前に見えるのは当然先程まで抱えていたスーツケースで、その中には今ここで私の先を行く少女が殺した少女と同年代のいじめに加担した女子高校生の死体が折り畳まれた状態でこの中に詰められて――……
思わず、右手で口元を押さえたところで冷たい液体が私の頭に降ってきた。
「しっかりして、オニーサン」
少女の毅然とした声が、頭上から降ってくる。
「動機を聞いたのはオニーサンだよ。覚悟もなく『アタシ』に踏み入ったの? 返事して。場合によっては怒るよ」
私は、必死になって吐き気を飲み込み、地面に落ちたスーツケースに手をつく形で体勢を立て直す。
「しつれい、しました。大丈夫です」
「うん。まあ、落ち着いたんならいいよ。許すよ。アタシもちょっと配慮に欠けた言い方したかもしんないし」
少女を見上げると、先程飲んでいた水筒を、飲み口を開けた状態で逆さにして持っていた。少女が用意していた飲料水だったのだろう。しかし、助かった。あと少し少女の行動が遅ければ、私は嘔吐していたかもしれない。少女の言うことはもっともだ。私は、覚悟もなく少女の内面に土足で踏み入ったのだから。
『こんなこと』をしているのだ。そこに相応の動機があるのは、当然だ。
「……水、すみません。無くなってしまいましたね」
「いいよ、こんなの。あと埋めるだけだし」
そう言ったあと、少女はしばらく周囲を見回していた。私は無力感に苛まれながら、しかし、乾いた唇に触れる久方ぶりの水分に小さく舌を舐めずった。
「うーん、もうちょいだけ歩ける? ここから少し進んだところに埋めよう。なかなか、いい景色が見えるよん」
少女の声に顔を上げ、一度スーツケースから手を離して立ち上がる。
冷たく澄んだ空気は朝の気配を孕み、空を端から透明に溶かしていく。そんな中で、山道の先に少し開けた空間があるのが見える。空間の中央では桜が枝先を白く染め、微かな星明りを反射してはぼんやりと、乱立する木々の中に広場のように浮かび上がって見えた。
少女はあそこに死体を埋めたいのだろう。
素直に美しい場所だと感じた。その美しい場所を穢すように、土を掘り返しスーツケースに入った死体を埋めることも、何故か、このときばかりは許されるような気がした。赦されるような気がした。しかしそんな気分になったのはこの一瞬だけで、そういえば自分と少女は今からあの場所に死体を埋めるのだと思うと急に恐ろしくなった。身体の芯から冷えていくような、底の知れない、恐ろしさ。思わず両腕をかき抱いて身震いする。自分は今から、今からあの場所に死体を――嗚呼!
「お、だいじょぶ? まだ空気冷えてっかんね。タオル貸したげるよ。ちょい待ち」
少女の声に我に返れば、彼女は大きな登山用リュックを下ろし、中身を漁っている様子だ。そういえば、先程少女の機転で水を被ったことを思い出す。頭に手をやると、短い髪から水が滴って服に落ちた。
「はい、新しいタオル。休憩したら、あともうちょい! だかんね! あの広場目指して歩くよ~!」
少女が、笑顔で私に新しい、キャラクターの印刷された可愛らしいデザインのタオルを渡す。私は、軽く頭を下げてそれを受け取ると、最初に顔を、次に髪を拭いた。寒気は幾分かマシになって、底冷えするような恐ろしさは鳴りを潜める。
そうだ、私と少女は共犯なのだ。
ならば死体を埋めなければならない。そういう取引、そういう契約だ。
それだけの、関係だ。
「休憩って言っても、水、全部無くなっちゃったけどね。……あ、予備のお茶があるわ。ラッキー」
少女の声に勢いよく振り返る。見ると、少女は手に小さな、250mlの緑茶のペットボトルを持っていた。
「え、なに?」
怪訝そうな少女に向け、私は、生唾を飲み込むと言った。
「一口いただけると……大変助かるのですが……」
「………………」
少女は、私の顔をまじまじと見ながら少々顔を引きつらせた。
「ど、どうぞ……」
少女から差し出された小さなペットボトルを手にした私は、素早くキャップを取り外しそれを一気に煽った。
緑茶の、安心するいつもの香りが音を立てて私の喉を潤していく。少女からの困惑が手に取るようにわかる。しかし、今は、そういう場合ではない。構っていられない。肉体労働で乾いた私に真に必要だったのは、沁み込むほどの水分だったのだろう。私が一息ついてボトルから口を離すと、中身は、カラになっていた。
「……すみません、その……」
「あ、あー、いいよいいよ、うん、『一口』だったし……」
少女は若干引いているようだったが、咳払いすると「じゃ、目標地点も決まったことだし、行きますか!」と仕切り直すようにそう言った。
私は口元を手の甲で軽く拭いながら頷き、スーツケースに向き直る。
また、アレを抱えて、歩いて、そして埋める。
考えただけで目眩を覚えそうだったが、一口のお茶の恩ができたことは否めない。
それに――少女の動機に共感が芽生えなかったと言えばそれは嘘だ。私は目の前の少女に、その正義感と無力感に、共感し、同情し、あるいは、助けになりたいとすら思った。死体などという物騒なものが絡まなければ、私はきっと少女と一緒に嘆いただろう。あるいは、奮起しただろう。あるいは――諦めるよう、忘れるよう諭したかもしれない。
往々にして、閉鎖された組織内の対立構造というものは変えることが非常に難しい。
だから、諦めろ――と。人生の先輩として、少女に一種の引導、ある意味での救いを与えることも大人としての役割である。
しかし、それも死体が無ければの話。仮定の話だ。
実際、目の前には死体がある。スーツケースに、きっと折り畳まれるようにして入っている。
ならば、やることはひとつだけのはずだ。
私が改めてスーツケースに歩み寄るのを見た少女は、少しだけ安心したように笑うと「はいはい、ポイ捨てはよくないかんね」と言いながら私の手からカラのペットボトルとタオルを奪い取り、リュックに収納する。そうして、互いに荷物を確認し、背負ったり抱えたりしてまた、歩き出す。桜の木の広場を目指して。
「よし、じゃあ、今度はアタシの番ね」
歩きながら、前を向きながら、少女は私へ声をかけた。
「さっき、アタシはオニーサンからの動機への質問に答えた。じゃあ、逆もアリじゃんね」
逆? それは、つまり――……
「オニーサンの動機が知りたいなあ。なんで、アタシみたいなのと共犯になってくれたのかな? ていうか、そもそも何がどうなれば山でアタシと鉢合わせるわけ? ド深夜だったよ?」
軽い口調でそう話す少女は、少しだけ楽しそうでもあった。彼女はすでに自分の動機を話したあとだ。だから、きっと最初の取引のときのように優位に立てたようで気分がいいのだろう。
もしくは……後ろ暗い動機というものは、案外、話してしまえばスッキリするのかもしれなかった。
「さあさあ、なんでも秘密主義ってワケにゃいかないぜ、オニーサン?」
そうか。話せば、私もラクになれるのだろうか?
全部でなくても。一部だけでも。
少しだけでも。
「……と……思って」
「ん? なに?」
聞き取れなかったのだろう、少女は、少しだけ私へ振り返った。その瞳は期待に輝いている、ように見えた。
私は、少女のそんな瞳から少しだけ目を逸らして言った。
「人を殺そうと思って、この山に来ました」
少女は一瞬だけ目を見開いたあと、前を向き直すと「そっか」とだけ呟いた。
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