第14話 指先の刻印
「本日は当機関をご利用いただきありがとうございます。わたくしはサモンズと申します。口座を開設したいということで間違いはございませんか?」
中年の男が恭しく言った。
「はい、こちらでは女性でも口座開設が可能と伺いましたが……」
メイが口を開いた。
「おっしゃる通りでございます。各国に支店を有する当機関では、様々な国の事情に対応するため、この帝都では不可能とされる、女性が口座を有することも可能となっております」
説明しながら係の男は客を値踏みした。
黒髪の東方の民に似た容姿の少女。
いや、少女のように見えるが東方の民は帝国の民より若く見えることがある。彼女も帝都における成人年齢十八才は超えている可能性がある。
察するに東方の国にかかわりのある商人の若い奥方か娘と言ったところであろう。それが現地の護衛を雇って当機関まで足を運んだというところか。
メイとロージェの見た目からサモンズは勝手に想像した。
「口座の開設に必要なものはお名前と大金貨一枚、それでお客様名義の口座が開設できます。当機関は主だった都市に支店がありますのでどこからでも入出金が可能です」
よかった! 開設に大金貨十枚(メイのいた世界において百万円相当)くらい必要と言われたらどうしようと……。
メイはひそかに安どした。
つけくわえると出身国や住所など求められたらどうしようかとも、ひそかにメイは心配していた。名前だけで良いなんて、こちらの世界では身分確認がずいぶんゆるいようだ。
「ではこちらの書類に目を通していただきお名前を記入していただけますか?」
サモンズは一枚の書類をメイに渡した。
いわゆる契約書類というやつであろう。
こういうのは元の世界でも目を通すのはめんどうだった。
だがとりあえずざっと一通り目を通した。そして、その後メイは自分が文字を読めても書けないことに気が付いた。
内容はすらすら頭に入ってくるのだが、名前を書けと言われても自分の名前に対応するこの国の文字が分からない。
「すいません……、読めるのですが、この国の文字が書けなくて……」
メイはおずおずと言った。
「それならば代筆でもかまいませんよ」
何でもない事のようにサモンズが言った。
外国から来た顧客の中には、読めても書けないという人間は時々いるので、サモンズにとってはメイが特別珍しい客というわけではなかった。
「じゃあ、僕が書きますよ、アイシャでいいんですか?」
ロージェが助け舟を出してきた。
「いや、あの……、『メイ・ユタニ』で……」
「メイ……、ユタニ……?」
「あの……、それでお願いします」
「ふむ……」
疑問を感じたがロージェは言われた通り記入した。
書かれた文字を見てメイは聞いた。
「それで『メイ・ユタニ』となるんですか?」
「ええ、まあ……」
「ありがとう」
突然言われた『メイ・ユタニ』の名の意味がロージェにはわからなかったが、相手が言ってこない不明点はあまり追及しないことも、何度かの護衛経験で心がけていることだった。
ロージェが記した書類を受け取ると、サモンズは次にこう告げた。
「続いてご署名の方をお願いいたします。これはお客様のお国の文字でもかまいません。その署名が口座の入出金や、そのほか当機関との諸々の契約においてカギとなってくるものです。ゆえにこちらの方は必ず自筆でお願いしております」
お国の文字でもいいということは漢字でもかまわないのだろうか?
この世界ではメイたちが使っていた文字が存在していない可能性もある。そうなると「漢字」は彼らにとって見たことのない風変わりな文字になるが、それを記して差し支えないのだろうか?
『柚谷芽衣』
だめもとで自分の本名を漢字で記入してみた。
「あの、これでもよろしいですか……?」
メイは記入した紙を差し出しながらおずおずと言った。
「はい、かまいませんよ」
サモンズは答えた。そして、
「では、続いてこの署名を刻印いたしますので、右でも左でもどちらでもかまいません。手のひらを上にして出していただけますか?」
と、メイに要求した。
「手のひらを上に?」
「はい、一般的には人差し指か中指の先に刻印されることが多いです。どちらにいたしましょう?」
「……?」
メイが腑に落ちない顔をした。
「魔法で契約者本人を見分けるための印をつけるんです。僕もここに口座を持っているので、左の中指に刻印がついていますよ」
横からロージェが説明をしてくれた。
「お連れ様のおっしゃるとおりでございます。日常生活に支障はございません。契約者様のお手には皆、当機関の印が刻されております」
サモンズが同調した。
「じゃあ、私も中指で」
何をされるのかわからなかったが、ままよ、という気持ちでメイは左手を差し出した。
「かしこまりました」
サモンズがそういうと、先ほど書いた『柚谷芽衣』の文字が紙から宙に浮き上がり、それが二つにコピーされ、一つはサモンズが持ってきていた何らかの結晶に吸い込まれ、もう一つはメイの左の中指の先に張り付き、そのまま消えていった。
「刻印は無事終了しました。今後、入出金やそのほか契約を行う際、中指を出していただければ、契約者様の確認ができるようになります。ごく弱い魔法なので手袋をしていただければ、魔法が無効化される神殿や皇宮でも普通に出入りすることは可能です」
サモンズが説明した。
「あの、通帳は……?」
メイが尋ねた。
「通帳とは?」
サモンズが首をかしげて聞いた。
「なんですか、それは?」
ロージェも腑に落ちぬ顔で聞いた。
「あの……、残高や入出金の履歴を記している……」
メイが説明しようとした。
この世界では預金通帳なるものも存在しないのか?
「それでしたら、どこか壁にでも刻印した指をかざして『残高』とおっしゃっていただけますか?」
サモンズが説明した通り、メイは『残高』と言ってみた。
すると壁面に先ほど預けた金額の数字が照らし出された。
「入出金も同じように『履歴』と言えば浮かび上がります。文字が読み取りやすい無地の壁面なら、どこでも構いません。残高も履歴もすぐ確認できますので」
こちらの世界の銀行口座は「通帳」なるものも存在せず、身体につけた刻印の中にすべて情報を収めるらしい。体の一部を認証に使う技術はメイが元いた世界でもすでに開発されていたが、こちらの世界の魔法はその次元をはるかに超えている。
メイは自分の指先をしげしげと眺めた。
すでに刻印の光はメイの指先から消えてしまっている。
「他に御用の向きはございませんでしょうか?」
サモンズが引き続き尋ねた。
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