第2話 聖なる乙女と帝国の事情

 靴店がやって来るまで、メイはメイドたちとの雑談から状況を把握しようとした。


 三名のメイドはそれぞれエミリ・ハンナ・ルイザという名前だった。


 国の名前や現在の状況、果ては洋服などの買い物の仕方まで、

「知らないんですか?」 

 と、言われるようなことを、

「ごめんなさい。次元を超えた衝撃で、精神がまた不安定になって、記憶もあいまいで」

 と、しおらしく演技して聞き出した。


 

 とりあえず知っていることを整理してみよう。


 それはメイが元いた世界で読んだ物語から得た知識。


 メイがいるところは「神聖帝国エルシアンの帝都」の「ルゼリア公爵邸」の一室。

 ルゼリア公爵とはエルシアンにある大貴族の筆頭三大公爵家の一つ。

 現在二十四歳の若き当主は皇太子の一の腹心である。


 ある日、皇宮の湧水池に黒い髪と瞳の娘が出現した。


 この奇跡に、神が聖女を贈りたもうたと話題になり、皇室は彼女を保護する。


 めでたい話のように聞こえるが事態はそう単純ではない。


 エルシアン帝都には、西側に湧水池セナ湖を有する広大な敷地に建てられた皇宮、そして東側には巨大なオベリスクを有する神殿。

 勇壮かつ華麗な二つの施設から道が放射状に広がっている。


 二つの中心を持ち楕円状に広がる都市、それがエルシアンの帝都であった。


 その街の姿を象徴するように、エルシアンには二つの権力の中心があった。


 世俗的な形で人々を支配する皇室と精神的な形で人々のよりどころとなる神殿。

 世俗的な支配者と言えど精神的な要素を無視することはできず、精神的支柱と言えどまったく世俗にまみれず暮らすことはできない。この二つの権力は時代によって優位性に変化があり、互いにけん制し合うのが常であった。


 三百年ほど前、規格外の「聖なる力」を有した「聖人」が現れ、エルシアン王国は彼の導きのもと大陸を蹂躙し、その三分の二を治め帝国を名乗るようになった。


 その帝国統一戦争が終結して百年ほどが過ぎ、現在は神殿による皇宮への影響力がどんどん少なくなっている最中だった。


 そんな中起こった「奇跡の乙女」の出現に神殿は色めき立った。


 皇宮は敷地内で現れた娘を神殿への体裁も考慮し手厚く保護した。


 そして、皇太子はまだ正妃が決められていなかったことから、その聖なる娘を正妃、つまり次代の皇后とすることを提案する一派があった。いずれ神殿の影響下に置かれるであろう娘を正妃に迎えることは政治で神殿の発言力が増すことを意味する。主張したのは神殿と組んで皇宮の力を削ぎ一般貴族の発言力を強めることをもくろむ一派であった。


 それに対し皇室に近しい立場にあり、その権力を強めようとする派は、娘を皇宮から出し三大公爵家のどこかで面倒を見る方が無難だと主張した。


 三大公爵家のうち、神殿と良好な関係にあるはずのレオノワール家は手を挙げず、中央政府に対し積極的でないフェーブル家も及び腰だった。

 結果、当主が最も皇太子に近しいルゼリア家が引き取ることとなる。

 そして当家当主が独身であったがために、彼もまた聖なる女の配偶者候補として期待された。


 帝国の最も高貴な男たちとの結婚も想定され持ち上げられている「聖女」候補。


 しかし、元は現代社会の中でもっとも世俗にまみれ華やかだけど欲深い業界で、もまれてきたただの女に過ぎない。


 聖女という言葉は、あくまで人々の気持ちをあおり立てるための俗称であり、神殿から「聖なる力」を認められた者は男女関わらず、正式には「聖人」と称される。

 その「神聖力」の有無を判定し「聖人」たる資格があるかどうかを識別する儀式を「列聖識別式」と呼んでいた。


 元芸能アイドルの平良アイシャには「神聖力」の発現は見られなかった。

 にもかかわらず、大神官との裏取引で「聖人」と認定された。


 その後、自らの立場を悪用し、ルゼリア家と皇太子の転落をもくろむ対抗勢力の陰謀に加担したとみなされたことで、アイシャは処刑は免れたものの、聖女の称号をはく奪され身一つで国外追放になるのだ。


 こう記すとハードな政治劇だが、物語の内容は恋愛ものである。

 メイが呼ばれている「アイシャ」は主人公ではなくライバルポジのキャラである。


 聖女として人々の注目を浴びつつ、権謀術数にまみれながら貴族社会を生き抜く素質が本物のアイシャ以上に乏しく、破滅フラグ満載の色恋にかまける気もないメイが「逃げよう」と、まず考えたのは無理のない事であった。



 朝食から数時間後、靴店は店ごと引っ越してきたのではというほどの品物を、店主が直々に持参してルゼリア公爵の館にやってきた。


 この時代、既製品はまだ少なく、高位の貴族ではオーダーメイドが普通であった。


 その店には「アイシャ」の靴の型もあって、それに基づき同じ大きさの見本の靴を持ってきたわけであるが、それらは全てメイには合わず無駄になった。


「おかしいですな?記録が間違っていたのかな…。申し訳ございません、もう一度足の型を取らせていただけないでしょうか?」


 店主は首を傾げつつ、謝罪しつつ言った。


 メイに合わないのはそれだけではなかった。


 靴のデザインがすべてヒールの高いきゃしゃなデザインばかりなのだ。

 スニーカーやウオーキングシューズに慣れていたメイにとってはそれで街歩きはつらい。そんなに「女性らしさ」を強調したいなら、せめてフラットなバレエシューズにでもしてよ、と、並べられた靴を見て思った。

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