第3話 銀行口座を作ろうとしたが

 逃げる、と、言ったところで、先立つものがなければ話にならない。


 追放された「アイシャ」と同じく悲惨な末路が待っているだけだろう。


 それに物語で、ある程度予備知識があるとはいえ、メイはこの世界を知らない。


 ここを出て一般人にまぎれて生きていくには、メイ自身何ができるだろうか?


 元いた世界の学歴や学校教育の内容が役に立つとは思えない。

 それにこの世界は、元の世界に比べるとかなりの男尊女卑で、女性の働き口がどれほどあるのか、今のところメイにはその知識もない。


 だから、アイシャがこの国で最も条件のいい男との結婚を目指したのもわからないではない。それが破滅フラグであることをメイは前もって知っているので、手を出さないだけである。


 物語の重要イベントにあたるデビュタントボールと列聖識別式まで、あと何日か把握する必要があった。


 メイドに聞いてみるとデビュタントボールまであと十日。

 識別式はそこから約二週間後であった。


 アイシャが追放されたのはさらにいろいろあってそれから数か月後だが、メイ自身は神殿と裏取引をすることなく「聖女」の称号などうっちゃり捨てて、物語の展開とは関係のない世界で穏やかに暮らしたい。


 それをするための下準備は一か月もないといえる。


 無駄にしている時間はなさそうである。


 銀行口座も作らなきゃね。


 できるのかな?


 この世界に何のよりどころもなく、いきなり現れた異世界の人間に。


 靴の注文を終えると、メイは皇宮から支給された「支援金」を管理しているルゼリア家の家令の部屋を訪れた。そして「支援金」の一部を「アイシャ」である自分の銀行口座に貯めておくことは可能かどうかを尋ねた。


「銀行口座、御冗談を!」


 家令のド・フォールは鼻で笑った。


 口座を作りたいと言ったことを冗談扱いされ、バカにされているような態度にメイは内心カチンときたが、おさえて再度尋ねた。


「冗談で言っているのではありません。私はまだこの世界のことを全てわかっているわけではありませんので、すぐに適切な使い道を判断することができないと思います。ゆえに今全部使ってしまわず、一部を口座に貯めておこうと考えただけです」


「わかってない、さようでございますか。では、僭越ながらお答えしますが、この国では女性が銀行と取引することはできません」


 なんですと!


 メイは愕然とした。


 そういえば、物語の中でエルシアンは女性の爵位継承を認めていなかった。


 ゆえに奇跡の出現をなしたアイシャに、適当に爵位と領地を与えて生活を保障することもできず、保護者となる夫を探すのに苦慮したくだりがあった。

 本人が結婚したいかどうかにかかわらず、とりあえず生きていくためには、男の身元引受人、つまり夫がいなきゃ始まらない。


 魔法もあるこのファンタジー世界、社会体制については前近代的で、非人道性さえメイは感じた。


 銀行口座もだめとはね……。


 と、なるとタンス預金か、はたまた宝石など携帯性に優れた値打ちのあるブツをまとめて逃走するしかないかも。



 メイは続けて次の質問をド・フォールにぶつけた。


「女が口座を作れないのは理解しました。では次に、私が滞在している部屋にある私の私物、つまりドレスやアクセサリーなどの所有権はどうなりますか。調度品なども私の私物とみなしてよろしいのでしょうか」


「所有権?」


「所有権も知らないのですか。特定の物品を自由に使用、収益、処分する権利のことですよ」


 先ほどバカにされた仕返しではないが、メイは鼻で笑った感じで説明した。


 もしかしたら「所有権」という概念すらこの世界にはまだ存在してないのかもしれないが……。


「あー、アイシャ様が時々使われる元の世界の言葉は、わかりにくいことが多いですな。そうですね、部屋の調度品などはルゼリア家のものとみなされます。アイシャ様が私的にご使用されておられる衣服や装飾品などは、アイシャ様のものとみなして差し支えないでしょう」


 それならそれでやりようがあるかも!


「よくわかりました。教えて下さってありがとう。あなたの説明によると、大きさの合わなくなった靴や衣服は、私が売却してそのお金を受け取っていいということですね。悪いことではないでしょう。得たお金で別の私物を購入すれば支援金を無駄使いせずにすむ結果となるのですから」


 それだけ言うとド・フォール子爵に一礼し、メイは部屋を出た。


 メイが自室に戻ると時間は午後三時を過ぎていた。


 とりあえずメイは部屋の中のアイシャの私物を確認することにした。


 換金できそうなものと言えばまずアクセサリー、服の数も多すぎるからいくつかお金に換えられないかな、と、思案した。

 いらない服や装飾品を買い取ってくれる店がこの世界に存在するかどうか、メイは部屋にいたメイドたちに尋ねた。


「服は古着屋がありますね。シャルルリエ通りの帽子店から曲がった通りに、帝都一の古着屋があります。」


 ハンナが答えた。

 ゆるく波打った亜麻色の髪を後ろで一つにまとめている少女である。


「装飾品は貴族様の場合、購入した店で引き取ってもらって、新しいものを購入されるときに、その分の代金を引いてもらうような形でされることが多いです。私たち平民には品物を持ち込めば値打ちを見て買い取ってくれる鑑定屋がありますが、貴族の方々がそういった店を利用されるところは見たことがありません。」


 小柄な体形で、肩までの長さの茶色の巻き毛のルイザも説明する。


 これは貴族がそういった店を全く利用しないわけではなく、貴族の対面上、あからさまにそういった店を利用しないだけであろう。新たな装飾品を手に入れるので古いものがいらなくなった、と、いう体裁無しに手持ちのものを売り払っては、台所事情が厳しいのだろうと周りに思われてしまうのを、貴族自身が嫌がるからだ。


 とりあえず、身に着けそうにない衣服を何着か古着屋にもっていくかな。


 メイはメイドたちをいったん部屋から下がらせた。


 そして再びクローゼットルームに足を運ぼうとして猫足のサイドチェストを横切るときに、その上に「情報ギルド」と書かれた封筒が置かれているのに気づいた。


 封筒を開けてみると、雫状の小さな半透明の緑の石が入っていた。

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