聖と魔のクロニクル
玄未マオ
第1章 神聖帝国エルシアン帝都
第1話 転生状況 柚谷芽衣の場合
どこかを漂っている感覚の後、病院の固いベットとは違う、包み込むような柔らかなマットレスの上で彼女は目が覚めた。
身体を横向きに寝返らせるとまず目に入ったのは、小さなテーブルの上の水差しとコップ。
病人用のプラスチックの簡素な水差しではなく、クリスタルカットグラスでできた上質なものであった。
身体を簡単に起こせることに彼女は驚いた。
そしてベットから跳ね起きる。
身体が軽い!
部屋を見渡し、全身を映せる鏡の前に立つ。
間違いなく自分、
ここは?死者の国?
死んだ後のご褒美にこんな高級ホテルの一室のようなところに滞在させてくれているのか?
死者の国のわりには、自分の腕も頬もつねることができるほどに実体感があるのだけど?
コンコン、と、ドアをノックする音が聞こえ、どうぞ、と、メイは応えた。
数人の女性が、失礼します、と、頭を下げ入ってきた。
紺地の衣装に白のエプロンを身にまとった女性たち。
本物のメイドさんだあ!
巷で聞くメイド喫茶なるもので働いている「メイドさん」に比べると、飾りのない簡素ないでたちではあったが、うやうやしく頭を下げる彼女たちは「メイドさん」以外の何物でもなかった。
「朝食の準備ができております。お部屋に運んでもよろしいでしょうか? アイシャ様」
えっ?今何と言いました?
誰?
アイシャ様?
「あの、今なんと言われました?」
「はっ? あの朝食を…? 」
「いえそうじゃなく、私の名前です」
「アイシャ様……」
誰ですか、それ?
なんか、この辺から怪しくなってきた。
ホテルで他人の部屋に間違って入って寝こけていたバカな客のような、いや、まともなホテルなら鍵があるから、他人の部屋に入るなんて不可能だが……。
「あの、わたしは誰でしょう?」
メイドたちが顔を見合わせ困惑する。
「あの、アイシャ様、お気を確かに」
「どうされました、また精神が不安定な状態になられたのですか?」
「三か月ほど前に皇宮の湖に顕現なされたことは覚えてらっしゃいますか?」
「聖女として神殿が正式に認定されるまで、ここルゼリア家にてお世話することにあいなったことを理解してらっしゃいますか?」
皇宮の湖?
重要なキーワードを聞いた気がする。
メイはハイスピードで記憶のページをめくっていった。
数人のメイドとアイシャと呼ばれたメイの間にしばらくの間沈黙が流れた。
そしてメイは気づいた、以前読んだ物語の世界の中であると。
気が付くのに時間がかかったのは、皇宮の湖にいきなり姿を現した現代女性が聖女扱いされる物語がいくつかあったからだ。
そしてアイシャというとそのなかでも最もバッドエンド、処刑されなかっただけでもありがたく思えと言わんばかりに、最後には身一つで追放されて惨めな境遇に落ちる話ではないか。
ちょっと待って!
それならそれで、外見に「転生補正」がかかっても良さそうなものではないか!
物語の人物に転生したときは普通そうなるものだろう。
たしかアイシャとは、日本名、
日本人離れした長身のスタイルが売りの才色兼備なアイドル。恋愛スキャンダルが原因でネットが炎上し、その後、異世界にわたってきた設定だったっけ?
でも鏡に映った姿は柚谷芽衣その人であった。
ついでに言うと、物語の中の人物に憑依したならしたで、その人の今までの記憶がちゃんと検索できるような「記憶補正」みたいなものもかからないか?
いくら考えても、メイドたちが「アイシャ様」と呼んでいる人物の、湖に顕現してからこれまでの行動とか、あるいは、彼女の生前の記憶とか、メイの頭の中には浮かんでこなかった。
けっきょく私はなにゆえにここで「アイシャ様」などと呼ばれているのだろう?
完全に別人のアイシャをどうしてメイドの彼女たちは錯覚しているのか?
とりあえず落ち着こう。
ホテルのスイートルームのような一室。
食事用のテーブルに応接用のテーブルとソファ、衣装クローゼットとなっている一室もあり、トイレや浴室もある。
朝食をメイドたちが用意している間にメイはクローゼットルームに入った。
尋常ではない数のドレスにうろたえた。
これだけあると逆にどれを着ればいいのかわからなくなる。
そもそもサイズが合うのだろうか?
衣類は種類別に分けてかけられていた。
今メイが身につけているものと同じような薄衣のワンピースは寝衣であろう。
その隣のグループに、寝衣よりは厚手だが脱ぎ気がしやすそうなひざ下からくるぶし丈くらいのワンピースドレスがある。
さらにその向こうには裾のふくらんだドレス。
向こうにかかっているものほど華やかな飾りで彩られていて豪華だ。
メイとしては、動きやすく脱ぎ気のしやすいワンピースドレスでいいのだが、果たしてそれで問題がないだろうか?
紅藤色の布地にこげ茶の縁取りが胸元と袖についたエンパイアスタイルのドレスを手に取った。
サイズが合うかどうか確信が持てなかったのでゆったりしたデザインのものを選んだだけだが、着用してみると意外と身体にぴったりと合った。
裾は長すぎて引きずりそうなものがいくつかあるが、横幅は問題なく着用できそうだ。
しかし、やはりこれは自分とは別の人間のために用意されたクローゼットだ、と、メイが確信したのは靴を見たからだ。
数多く並べられた靴のサイズが全てメイには大きすぎたのだ。
ベットの下にあったルームシューズですら少しぶかぶかである。この部屋の主が長身のアイシャなら、靴のサイズがメイより大きいのもうなづける。
しかし履く靴がなければ、部屋から一歩も外を出られないではないか。
右も左もわからぬまま置かれた世界でのメイの最初のミッションは、自分に合うサイズの靴を手に入れることになりそうだ。
そしてこれは意外と簡単にコンプリート出来そうだった。
靴を新たに手に入れたい、と、メイドに頼むと、彼女が朝食を食べている間にシャルルリエ通りの高級靴店に連絡してくれて、今日中に屋敷に伺うという返事が来たのだった。
☆―☆―☆―☆-☆-☆
【作者あとがき】
読みに来ていただきありがとうございます。
よろしければ、☆ぽちっとしていただけると嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます