第三話 その日あなたが いないと知った
ギターを買ってから私は毎日練習した。窓を閉じたりいろいろと調べて騒音にならないようには気を付けた。それでも親とはよく喧嘩になったけど、しばらくすると何も言わなくなった。
はやくあの人の歌を引いてみたい。気持ちははやるけど、まだまだ始めたばかり。私は動画サイトの初心者講座を着実に進める……というか、その指示通りにしないとちんぷんかんぷんだった。
表記がドレミファソラシドじゃないし専門用語も意外と多い。コードというのものを私は初めて知った。和音? で弦を複数抑えて弾くこと? らしい。
私はこれを繰り返して体に覚え込ませている。
「痛っ!」
指先に熱が走る。見れば弦を押さえていた指の皮膚が切れていた。口にくわえると鉄の味がした。絆創膏はどこにあったかな。普段は滅多に怪我をしないから見つけるのに時間がかかった。
手当てするとまた練習を再開する。怪我した指で弦を押さえるたびにじんじんと痛む。痛いのは嫌いだ。だけど何でだろう。生きてるって感じがする。
あの人の歌を口ずさむ。少しだけ、あの人に近づけた気がした。
* * * * * *
「あんた、その指どうしたのよ」
学校へ行くと喧嘩した友人が問いかけてくる。あれからまだ仲直りもしていないけど心配してくれているのだろうか。絆創膏を貼った指先を握って隠す。私は無視しようとしたけどしつこく聞いてくるのでぶっきらぼうに私は答えた。
「名誉の負傷よ」
「何それ? まさか例のバンドに触発されてギターでも始めたの?」
「ち、違う」
「え? マジで? あんたがギター!?」
知られたくない相手にばれてしまった。苦い顔をする私に構わず友人ははしゃいでいる。もしかして喧嘩していることを忘れているのだろうか。
「何? 軽音部にでも入るの?」
「別にそういうつもりで始めたんじゃないから」
「え? 違うならどうしてギターなんて始めたのよ」
「どうしてって……」
あの人に少しでも近づきたいから、なんて言えない。
「弾いてみたくて、そしたらもっと気持ちが分かるかなって」
口から出まかせにしてはそれっぽい言葉が出てきて、自分でも驚く。でもコレが本心なのかもしれない。
「ふーん……そんなにそのバンド好きならライブ行けば?」
「ら、ライブ?」
「そう、ライブ。そのバンドの曲、再生数かなりいってるしフェスとか出てるんじゃないの」
そうだ。会いたいならライブに行けばいいんだ。そんな簡単なことにどうして気づかなかったんだろう。でも最近までただ流されるままに生きていた私に、そんな陽キャばかりの空間に入っていけるほどの勇気はない。
つい私は弱音を漏らした。
「ライブって、私みたいなのにはハードル高くない?」
「行きたくないの?」
「そ、それは行ってみたいけど……」
「だったら行けばいいじゃん。ほら、夏フェスの出場者にそのバンドあるし」
「本当!?」
友人が見せてきたスマホの画面には確かに彼のバンド名がある。
でもそんなにすっとバンド名を調べられるなんて、もしかして喧嘩してから調べたりしてくれていたのかもしれない。
その出演欄の下には入場料などもろもろ書いてある。
「あ、でも結構お金かかる……」
ギターを買ったばかりだし、移動費を考えたらとてもじゃないけど足りない。難しい顔をしている私に友人がはぁとため息をついた。
「行ってきなよ、お金貸してあげるから」
「そ、そんな! お金借りるなんてできないよ!」
「ちゃんと返してくれるでしょ」
「それは、返すけど」
「じゃあいいじゃん。これで仲直りね」
「……ありがと」
友人が照れくさそうに顔を背ける。私は胸が高鳴っていた。会える。あの人に。出演者の欄を見て、私ははっとする。
バンドメンバーにあの人の名前がない。
おかしい。バンドメンバーは同じなのに、どうしてあの人の名前がないの?
私はスマホの画面を見せて友人に問いかけた。
「ね、ねぇ。どうしてあの人の名前がないの?」
「え? 名前が無いって、ああ。この人……あんた知らなかったの!?」
「知らなかったって何?」
友人は言いにくそうに口をつぐむ。もしかして何か怪我をしたりしたのだろうか。それで欠番になっているのかもしれない。
「もしかして病気なの!? ネットニュースとか見てなかったから私そんなの知らなくて、ど、どうしよう。手紙とか書いたら届くのかな?」
「ち、違うよ。その……」
「違うの? あ、まさか脱退? えー、そんな。あんなにいい歌作るのにもったいないなぁ」
「その、驚かないで聞いて欲しいんだけどさ」
「何よ」
「その人、死んでるんだよ。10年前に」
私の手からするりとスマホが落ち、バンと大きな音を立ててスマホが跳ねた。友人の言っている意味がわからない。動揺したままスマホを拾おうとすると、割れた画面で彼が歌っている。
おかしいとは思っていた。彼の歌が10年前のものばかりなのも、彼のバンドの最近の歌は私には刺さらなかったことも。
でも、そんな、そんなことって。
私が初めて愛した人は、すでにこの世にいなかった。
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