ワカレ・ガン

 放課後はあっという間に訪れた。ジワジワ痛い頭痛と我慢できるくらいの吐き気、一瞬の立ち眩みに襲われながら一日を過ごした瑛太は、やがて呼び出し主にいっぱい食わせてやろうという気になった。

 具体的にどうするかと言えば、呼び出し主よりも早く体育館裏へ行き、反応を伺ってやろうというものだ。いかにも臆病な瑛太らしい手であり、その相手の風貌によっては姿をあらわさず帰ろうとさえ思っていた。

 体育館の影に隠れていた瑛太だったが、目の前に集中しすぎて背後から忍び寄る影に気がつかなかった。

「おい、何してる」

 首筋に冷たい感覚。間違いなく銃口。

「え、はっ、いや……」

 死の危険を感じている瑛太の口からは弁明の言葉がうまく出てこない。ただの男子高校生であるはずの瑛太が心の底で『殺される!』と叫んでいる。これは笑い話ではない。

「ばん!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっっん!」

 耳元で叫ばれ情けない悲鳴をあげる。膝から崩れ落ちた瑛太の前に見覚えのある少女が笑いながら現れる。

「ビビりすぎー。本物じゃないってば」

 瑛太の予想通り、声の主は日織だった。手にはあの時の拳銃が握られている。日織は呆然としている瑛太を見て、ひとしきり笑った後、手を差し伸べた。

「ごめんごめん。あんまり反応が良いから。立てる?」

 日織の問いに、ようやく我に帰った瑛太はそんなものいらないと強気な態度で日織の手を払いのける。しかし、むず痒そうな顔をしたまま、なかなか立ち上がらない。

「もしかして、腰抜かした?」

 瑛太は顔を真っ赤にしてゆっくり頷いた。



 喉元まで出かかったため息を口を細くして誤魔化す。瑛太はおぼつかない足取りで鼻歌交じりの日織の少し後ろを歩いていた。

「ね、お腹空かない?」

 楽しそうに振り返る日織はハンバーガーといえばな有名ファストフード店を指差していた。

 腹は空いているが食欲が全く湧かずそんな気分にはなれなかったが、断ったら何をされるか分からないという恐怖から行くほかなかった。

「それだけ? 金欠? 奢るよ!」

 ドリンクだけ頼もうとしていた瑛太の注文を日織が強引にセットに変更してしまう。ここまでくると瑛太には怒る気力も度胸もなくされるがままだ。

「はぁ、美味しい〜」

 幸せそうに頬張る日織を見て、仕方なく手の中のハンバーガーを控えめに齧る。少量だが妙に渇いていた口の中がジャンクな濃さで満たされる。次はもっと大きく、中身を大きく食らう。美味い、心の中で一言呟くともう一度シェイクを吸い込む。甘さとしょっぱさを交互に味わい、またホッと一息。

「で、なんでこんなとこしてるんだよ、僕」

 さっきまでの大人しさはどこへやら、威勢がよくなった瑛太はひとまず疑問を口にした。

「単純すぎない? 瑛太くん。だから、さっき言ったじゃん。取引は六時からだからそれまで暇なの」

 瑛太は不満げな様子でシェイクを一吸いした。

「だから、なんで僕がその暇つぶしに付き合わないといけないんだ。僕には関係ないだろ。それになんで僕の名前を……」

 自分の名前が日織の口から出されたことで不安を覚える。記憶を探っても自己紹介をした覚えはない。選択授業で同じクラスになったこともないはずだった。

 しかし、日織は「ふーん、そういうこと言うんだ……」と独り言を口にしている。瑛太はポテトを一本口に運んだ。

「あのねぇ、もう瑛太くんは部外者じゃないんだよ。素性も調べがついてる。身長体重、誕生日、弱み強み全部。だから、下手なことすると……大変だよ?」

 一瞬怯むが、食物から力を得た瑛太は今までとは違い負けじと言い返す。

「へ、へぇ。でも口だけならなんとでも言えるからなぁ……第一、偽物なんだろ? あの銃。なら何も怖くないさ」

「じゃあこの情報もデタラメかな。瑛太くんは近くのエッチな雑誌が置いてあるコンビニに入り浸ってて、さらに瑛太くんの好みは……」

「違う! 僕の好みはリボンの似合う子でもないし! ショートヘアーでもない!」

 店内に大声が響いた。店員さんが何かあったのかと声をかけてくるが、日織が「すみません」と笑顔で対応すると、二人して残っていたメニューを口の中に詰め込み、店を飛び出した。

「びっくりしたー!」

 心底楽しそうな日織とは反対に瑛太の足取りは重かった。一日に二度も大恥を晒した。瑛太のちっぽけなプライドはズタズタだった。

「瑛太くん、カラオケ行こうよ」


「は?」


 瑛太は間抜けな顔で聞き返した。



 ☆



 空を飛ぶニ羽のカラスが夕焼け空を横切っていく。子供たちがちらほらと帰り始める頃、二人は河川敷の土手で座り込んでいた。

「あの、来ないけど……取引人」

 日織の話では組織の重要な取引がこの時間にあるらしかった。しかし、待てども待てども取引人は現れる気配がない。

「来ないねぇ……」

 当人の日織はボーッと空を眺めているだけで焦った様子がなく、隣の瑛太の方が焦り始めていた。

 瑛太はこの暇な時間を有効利用しようと、沈みゆく夕日を見ながら日織について考える。

 銃は偽物だと言った。自分は演劇部だと言ったが嘘だった。銃は嘘だと言ったが組織の取引があると言っている。考えれば考えるほど分からない。

 冷静に考えれば普通の女子高生が拳銃なんて持っているはずはないのだが。

「帰ろっか」

 立ち上がってお尻を払う日織を瑛太は驚いた表情見上げる。

「え? 取引は!」

 まだ頭の中を整理できていない瑛太を置いて、日織は歩き出す。そして、そのまま振り返ることなく答えた。

「今日は中止みたいね〜」

 中止という言葉に瑛太は大きなショックを受ける。それじゃあ一体なんのためにハンバーガーを食べ、カラオケに行ったのかわからない。これじゃあまるでただの――

 遠ざかっていく日織の背中に瑛太は立ち尽くすしかなかった。



 それから瑛太と日織の不思議な関係が始まった。

 日織は瑛太を何度も呼び出し、連絡先も交換させた。放課後だけでなく、休みの日にも会うようになり、取引や組織の仕事などを理由に瑛太を色々なところへ連れ出した。

 水族館やテーマパーク、流行りのスイーツがある店や海、花火大会にも行った。

 組織の人間らしい人はほとんど見かけなかったので、やはり日常に完璧に溶け込んでいるのだろうかと勝手に思い込んでいた瑛太だが、一人だけだけいかにもな人間がいた。その人間は一九〇センチはある巨漢でスキンヘッドにサングラスをかけている、まるで海坊主のような輩だった。

「おい、お前か例のやつは。軽い気持ちで手出してみろ。お前は最も苦しみながらあの世へ行くことになるぜ」

 瑛太は夢に出てくるほど怯えて震え上がったが、日織はその男の首を後ろから締めていた。


 二人がそんな関係のまま半年が経ち、肌寒くなってきた頃。

 瑛太はたまたま日織が告白されているところを目撃した。告白相手は女子からなかなか人気のあるサッカー部の先輩だった。

すぐにその場を離れようとした瑛太だったが、男が突然大きな声を上げたことで足が止まる。

「なんでなんだよ! 理由は! もういいじゃないか、いい加減付き合ってくれよ」

 日織は目の前の男が口を開くたびに自分の心が冷めていくのを感じていた。一途、という言葉があるがこの男には間違いなく“しつこい”という表現の方が正しいだろう。

「いい加減って……理由はあなたのことを好きじゃないからです。これから好きになれる気もしないのでお断りさせていただいてます」

 丁寧に頭を下げる。一ヶ月前から日織はこの男に猛アタックを受けているのだが、このように全て跳ね除けている。

「あなたも隠れてないで出てきたら?」

 日織の言葉に瑛太の心臓が飛び出す。気づかれていたのだ。なんと言い訳するべきか、頭をフル回転させるが、答えが出る前に反対側から新たな声が聞こえた。

「もういいだろ、付き合ってやれよ。こいつだってこんなに好きだって言ってるのに」

 出てきたのは告白している男の友人だった。瑛太と同じように校舎の影に隠れて様子を伺っていたのだ。

 日織は分かりやすくため息を吐いたあと、二人に向き直った。

「絶対嫌です。そこまで言うなら、まずはその軽い口を治してきてください」

 男は何か思い当たる節があるようで苦い表情をしている。が、やがてそれは怒りの表情に変わり、声を荒げた。

「こっちが下手したてに出てれば偉そうに説教しやがって……この!」

 男が日織の肩を掴んだ時、友人が止めに入るよりも先に動いた男がいた。

 校舎の影から飛び出した瑛太は男の肩に手を回して密談を始めた。

「やめといたほうがいいよ……その子、ほんとにやばい子だから。めちゃくちゃ危険なやつだよほんと……チョメチョメがさ……」

「え? 嘘、ほんとか……それ」

 少しすると瑛太と話していた男は日織の方を一度見ると「この話は無かったことに!」と走り去っていった。友人はそれを追いかけていった。

 瑛太は一仕事したと言わんばかりに額を拭う仕草をしてみせた。

「相手は拳銃持ってるんだぞ……」

 瑛太が救ったのは日織ではなく、男子生徒二人だった。もし、自分がいなければここが凄惨な事件現場になっていたかもしれないと肝を冷やした。

「日織って結構モテたんだねって――」

 振り返ると瑛太の胸に日織が飛び込んできた。あまりに勢いがよかったので瑛太は一瞬うめいた。

「ありがと」

 素直にお礼を言われると照れ臭い。胸にいる日織をどうしようか、瑛太の腕は手持ち無沙汰になっていた。

「すごい、ドキドキしてる。よっぽど勇気出してくれたんだね」

 違う! お前が胸にいるからだ! とは言うわけにもいかず「そ、そんなことないよ。全然怖くなかったし」といかにも小物なセリフを吐いてしまう。

「ん……?」

 その時、瑛太は腹に何かを突きつけられているのに気づいた。それが何か理解するのにそう時間はかからなかった。

「あ……あの……ちょっと」

 突きつけられた銃口はぐりぐりと何かを主張するように瑛太の腹部を圧迫する。

「この盗み聞きヒーロー気取りめ、余計なこと言ったな!」

「……聞こえてたのかっ!」

 日織は笑いながら全速力で逃げる瑛太を追いかける。

 かき集められた木の葉が風に舞った。


 それからまた少し経って。

 クリスマスが近くなりどことなく街中が浮き足立っているときのことだった。

「寒いねぇ、すっかり冬だよ」

 二人でいることが当たり前になってきて、瑛太ははっきりしない二人の関係に言い表せないむず痒さを感じ始めていた。

「花の十代、女子高生が何を年寄りじみたことを……。僕たちは老夫婦か何かなんですか?」

 瑛太はいつものようにツッコみを入れたつもりだったのだが、なぜかそこで気持ちの悪い沈黙が生まれた。日織は恥ずかしそうに俯いているだけで何も話さない。

 瑛太はバツが悪そうに頭を掻いた。最近の二人にはこういったぎこちなさがあった。瑛太はこのぎこちなさが気持ち悪くて仕方がなかった。

 日織は相変わらず拳銃を持ち歩いているが、前ほどチラつかせるようなことはなくなり、こうやって二人でいるときもお互いに拳銃のことなど忘れてしまうのだった。



 ――じゃあ、この関係はなんなんだろう。



 瑛太の頭にはこの言葉が常に浮かんでいるのだった。

「な、なんか最近楽しいこととかあった?」

 沈黙を埋めるようにされた日織の質問に瑛太は思いついたように答える。

「そうだ、好きな人ができた。同じクラスの人」

 それは瑛太が咄嗟に思いついた嘘だった。日織がどんな反応をするのか気になったのだ。瑛太は嘘をつくのに夢中で立ち止まった日織に気づかない。

「告白されてさ、今日オッケーした。いやーモテ男は困っちゃうね……って、無視するなよ、冗談ですよ。モテてませ……あれ」

 瑛太が振り返ったとき、日織の姿はもうなかった。戸惑いつつ、姿の見えない日織に呼びかけるが返事はない。

 どこかに隠れでもしているのかと思った時、日織が立っていた場所に落ちていたそれを見つける。

 拾い上げたそれは――日織がいつも身につけていた白いリボンだった。

「冗談…………だって」

 手元に残ったのは解けたリボンと後悔だけだった。


 二人が会わなくなり、それ以前の日常が戻ってきたある日の放課後。ふと気になった瑛太は演劇部が練習している体育館に立ち寄った。

 バレないように中を覗き込むと、ステージの中心で一際熱い演伎をしている女子生徒がいた。

「……なんだよ。ちゃんと演劇部じゃないか」

 ステージの中心で躍動しているのは、紛れもない日織だった。

 あの時、日織は本当に偶然体調不良で出ていなかっただけだった。

 瑛太の他にも同じように演劇部の練習を覗いている生徒が、ステージの日織を見て何かを熱心に語っている。

「な? 可愛いだろ? 立花日織!」

「可愛いけど……笠松先輩でダメだったんだろ……? それにあいつってチョメチョメだって……」

 聞き覚えのある噂話に少し耳が痛むが、それより瑛太が気になったのは――

「あいつ、立花って言うのか」

 出会ってから半年以上も経つのに、瑛太は日織の苗字を知らなかった。思い返せば、瑛太は日織のことを何も知らない。知ろうとしなかった。気持ち悪いと思いつつも、今のおかしな関係に甘んじていたのだ。

 拳銃のことだって知ろうと思えばいつでも知れたはずなのに。

 数日後、瑛太は学校で日織と話している海坊主を見かけた。

「なっ、なんで……!」

 組織の人間が学校に来ているなんて、ただごとではない。

「先生たちは何をしているんだ! 不審人物が敷地内に侵入しているぞ!」

 慌てて誰かに助けを求めようとしたところにちょうど一人の教師が通りがかる。安心した瑛太だが、来てくれたのは女性教師であり、海坊主がその気になって暴れ出せば止められない。加えて、ここには拳銃を持った日織もいる。

 その場から動けないでいると女性教師は海坊主に向かって言った。

「あら、立花さんのお父さん!」

 瑛太はとうとう頭の中がぐちゃぐちゃに混乱してしまい、フリーズしてしまった。

「お父さん…………?」

 日織の父らしい海坊主は「日織がいつもお世話になっています」といかにも父親らしいセリフとともに頭を下げた。

「お父さん、連絡してくれたら校門まで取りに行くって言ったのに」

「校門だろうが教室だろうが大して変わらんわ。ほら、弁当」

 日織は差し出された弁当を納得のいかない様子で受け取る。海坊主はどうやら、弁当を届けに来ただけのようだった。

「お前、大丈夫か? 最近ぼーっとしてるぞ」

「やめてよ、先生の前で。お弁当、ありがと!」

 日織は弁当を掲げて、走り去っていった。気づけば、休み時間の終わりを告げる鐘が鳴っている。

「やば……」

 瑛太も同じようにその場から走り去った。

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