第58話 勝ちます!
「意外と粘るな……」
まだ戦場の空は紅く染まり、火球も絶えず降り注いでいる。しかし本来不利なはずの防衛側であるマクシミリアンの発言には、余裕が感じられる。それはもちろん、親子亀のようにしっかり背中にしがみついているリュシエンヌから、無限に近い魔力供給を受け続けているがゆえだ。
「ですが……魔力の揺らぎが、大きくなって参りました、長くは持たないかと」
「アンネリーゼ妃がそうおっしゃるなら、私は次の準備をしよう」
アンネリーゼの言葉通り、それから三十も数えぬうちに空の色がまだらに変わり、やがて青空に戻った。もちろん火球の攻撃も止んでいる。ようやく膨大なローゼルト王の魔力が、底をついたのだ。
「よし……氷槍よ、降れ」
背中にリュシエンヌを貼り付けたまま一歩踏み出したマクシミリアンの詠唱に応え、数千の氷槍がローゼルト軍の中央部隊に集中して降り注ぎ、重厚な布陣のど真ん中に、巨大な亀裂を入れた。
「皆の者、見たか! 勝機は我らに在り、重装騎兵を先頭に、突っ込んで敵を分断せよ!」
「おおっ!」
「やっぱりうちの大将はすげえ。マクシミリアン様と在れば、負けるはずがないな!」
「リュシエンヌ様だって大したものだぜ。よし、紅聖女様のために、手柄を立てるぞ!」
「任せとけ! 行くぞ!」
魔法戦の勝利で士気が最高潮に達した兵士たちがマクシミリアンの檄に応え、口々に王族を賞賛しつつ、怒涛の勢いで突撃していく。それを止める力は、もはやローゼルト軍にはなかった。
まるでチーズケーキのようにローゼルト軍はずるずると切り分けられ、左右に分断された。そしてアルスフェルト軍は孤立した右翼軍を圧倒的兵力で包囲して集中攻撃を加えはじめる。
友軍の危機を見て救援に駆け付けようとした左翼軍にも、過酷な運命が待っていた。
「うん? なんで雨が降るんだ?」
上空には青空が広がっているというのに、兵士たちの全身を、降り注ぐ露が濡らす。怪訝な兵士たちの表情は、間もなく凍り付くことになった。
兵士たちを不意に寒気が包んだかと思うと、つま先や指先から徐々にその手足が、文字通り凍結し始めたのだ。ある者は苦痛の叫びをあげ、ある者は武器を取り落とす。握った剣は手に固着し、無理に取ろうとすれば皮膚も一緒に剥がれる。瞬く間に左翼は、阿鼻叫喚の状況に陥った。
もちろん、これもアルスフェルトの策である。ビアンカを始めとする水魔法使いたちが上空から水を降らせ、兵の衣服や装備が十分濡れたところで、マクシミリアンが凍結の魔法を使ったのである。ホーエンフェルス領の本拠地攻略でも使った凍結技だが、今回は凍らせる範囲がケタ違いに広い。リュシエンヌと契りを結び、同性であるかの如く魔力を無制限にやり取りできるようになったことで、初めて可能となったのだ。
「うわあぁっ!」「助けてくれ!」「こんなところで死にたくねえ!」
平原一面にこだましたローゼルト兵の悲鳴は、長くは続かなかった。百を数えぬうちに、一帯には絶対的な静寂が訪れた。それは、生命の気配が一切消えた、冷酷非情な静けさであった。
程なくして、右翼軍の決着もつこうとしていた。数の優位に物を言わせ攻め続けるアルスフェルト軍に対し、傷付きながらも頑強に抵抗を続けていた軍の士気は、ローゼルトに戻る街道に魔法の土壁が造られたことで崩壊した。戦場において、逃げ道が失われるということが最大の恐怖であることを、マクシミリアンは熟知していたのだ。
数で劣る上に、勇気まで失われた敵兵を突き崩すのは、アルスフェルトの精鋭にとっていと易いことであった。平原に彼らの勝鬨が響き渡るまでに、そう時間はかからなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「リュシエンヌ王女、よくやってくれた」
「本当ね、今回の戦勝はリュシーのお陰よ、まさに勝利の女神だったわね」
「ありがとうございます……ですが私は魔力を差し上げただけ、敵を打ち払ったのは王族の皆様が振るった大魔法です」
国王夫妻に賞賛され頬を染めつつ、リュシエンヌは淑女の礼と、謙虚な言葉で応える。実際には数千の兵を、数だけは規格外の火球で葬っているのだが、あれはカウント外ではないかと彼女は思うのだ。第一、直接敵を焼き尽くすような魔法が自分に使えたとしても、それを生身の人間に撃てるかと言われたら、自信がないのである。当たったとて敵が即死しない小さい火球であったからこそ、遠慮なくぶっぱなせたという側面があるのだから。
「あんな大規模の魔法、ドキドキでしたけど、リュシー様の魔力でうまくいきました!」
「久しぶりのリュシーからもらう魔力は、まあまあ気持ちよかったから良しとしますわ」
「ここで敵を食い止めたことで、救われた民は多いですわ。リュシー様のお陰です」
王子妃たちの言葉は嬉しいリュシエンヌだが、やはり眼の前の大量殺戮に自分が少なからず関わったという負の思いが、どうしても振り払えない。ローゼルトの首脳陣は殺されてしかるべきことをやらかしてきたと思うが、連れられてきた兵の多くは、国に帰れば善良な民なのではないかと、つい考えてしまうのだ。そんな想いに眉尻を下げてしまうリュシエンヌの肩を、マクシミリアンが抱く。
「リュシーは、優しいな。確かに私たちは、多くの生命を奪った。だけど同時に、失われるはずだったアルスフェルト兵の生命を、それ以上に救ったんだ」
静かにつぶやいて、彼はリュシエンヌを連れて指揮台に昇る。眼下には、ほぼ四万の兵が、開戦時から千騎程度しか減らず集結していた。
「おおっ! 指揮官マクシミリアン様!」「あの方こそ氷の英雄だ!」
「この戦勝は紅聖女様のお陰だぜ、アルスフェルトに降り立った天使様だ!」
「そうだ! 神がリュシエンヌ様を遣わされたのだ!」
彼らは、己の指揮官とその最強サポーターの姿を見て熱狂し、口々に賞賛の声を上げる。
「あの兵たちも、普段は鍬や槌を振るう無辜の民……愛する者を守るために従軍しているだけさ。リュシーがいなかったら、彼らの半数も、今日の戦いを生き残れなかったろう。リュシーは彼らの未来を、救ったんだ。胸を張っていい」
「は……はいっ!」
茶褐色の瞳から涙があふれる。それを拭うこともなく、リュシエンヌは歓呼の声を上げる兵士たちに、いつまでも手を振り続けていた。
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