第56話 私も戦えます!

 まるで火竜が吐き出すように巨大な火球が、空からアルスフェルト軍を襲う。やはり緒戦は、魔法の撃ち合いで始まった。


 氷壁で防御しようと手をかざしかけたマクシミリアンを制して、ビアンカが前面に出る。


「殿下のお力は、攻撃にこそ。水よ……炎を打ち消せっ!」


 伸ばした両手から静かに広がるのは、複雑に折り重なった水の膜。それはゆっくりと上空に広がり、襲い来たる火球を柔らかく包み込んだ。激しく蒸気を発して最初の水膜は消え去るけれど、五枚、十枚と水のカーテンに触れるたびに火球は痩せこけてゆき、やがて飲み込まれる。敵からも味方からも、驚嘆の声があふれる。


 だがあれは、父王の発したものではないだろう。兄姉たちは全て一流の火魔法使い、あの程度の火球なら息をするように操れるはずだ……但し、魔力の続く限りであるが。魔力消耗戦になるかもしれない、そう思いながらリュシエンヌは、ビアンカを背中から抱き締めて、魔力を渡していく。


「殿下! 敵中央から騎兵が突出してきます、数およそ一万!」

「よし、ビアンカ殿に魔法防御は任せよう。騎兵なら……リュシー、撃てるだけの数を、全部ぶつけるんだ」

「え……私が攻撃を……わかりましたっ!」


 戸惑いつつも基本能天気なくらい前向きな彼女である。素直に眼を閉じ何かを口の中で唱えれば、彼女の周りに小さな火球が数十個。見る間にそれは数百個になったが、まだ増え続ける。


「え、ちょっとリュシー、いくつ出せば気が済むのよ!」


 ブリュンヒルトの慌てた声が耳に響くが、リュシエンヌはもはや魔法に集中していた。


(大丈夫、練習では千個くらいまでならコントロールできたもの。だけどマックス様は「撃てるだけの数」っておっしゃったわ。だったら、もう少し行けるわ、そう、もう少し……)


 火球は、まだ増え続ける。やがて五千にも届こうかという小さな炎が、彼女の頭上を埋め尽くす。


「まあ、このくらいでいっか」


 リュシエンヌが小さくつぶやいた時、その炎が一斉に、突撃してくる騎兵隊に向かってふわふわとゆっくり、だが確実に漂いつつ、近づいて行った。


 それは視覚的には美しいものであったが、近づかれる側からは、まるで物の怪か、戦場で散った兵士の魂が襲ってくるようにしか見えない、不気味極まりないものであった。全速で疾駆してきた戦闘部隊の騎士たちは、本能的な恐怖にかられ、馬の手綱を強く引いた。だが、それが誤りの元であった。


 確かに先頭を走る騎兵は何とか、馬を制して止まることができた。しかし眼の前にいる味方の背をひたすら最高速で追尾してきた後続の騎兵は、そんな急制動に対応できるわけもない。彼らは味方の騎馬に追突し、己は勢いあまって馬から投げ出される。馬が横倒しになったところにさらに次の騎兵が乗り上げ、さらなる落馬が起こる悪循環。かくしてリュシエンヌの火球が敵に至る前に、尖兵一万のうち半数が、戦闘からいきなり脱落したのである。


 そして、残りの半数には、リュシエンヌのせこい火の玉が襲い掛かる。一個一個はせこいが、それが馬にまとわりつけば、その熱さと違和感に馬は我を忘れ、乗り手のコントロールなど受け付けなくなる。あちこちで馬が棹立ち、あるいは味方に向けて逆走を始め……さして間を置かず軍としての秩序は、崩壊した。


「期待以上だ、リュシー。よし、騎兵二万、奴らを完膚なきまでに叩きつぶして来い。敵を徹底的に蹂躙しろ!」

「うおおおおおおっ!」


 王族女性たちの華麗な魔法競演を眼の前に見せつけられ、最高レベルに高まっていたアルスフェルト騎兵隊の士気を、マクシミリアンが一気に解放した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇


 敵の先鋒一万騎は、ほぼ全滅。一方アルスフェルトの損失は、十数騎にすぎぬ……まずは、胸をなでおろすリュシエンヌである。


「よくやった、リュシー。君の魔法がここまで成長しているとは」

「でも私の炎には、敵兵を殺傷する力はありませんので」


 確かに、彼女の火魔法で焼け死んだ敵兵はいない。だが、どう見ても壊滅した一万のうち、八割やそこらは彼女の戦果と言ってよいのだがと、マクシミリアンはこの謙虚な婚約者の肩を、軽く抱く。


「でも……まだ敵から、父が出てきていません。最強の火魔法使いは、父ですから」


 火魔法使い……それは平時には役に立たないが、戦争においては最優の属性である。火魔法最強と言うことは、純粋な戦闘能力では最強の魔法使いと言うことなのだ。

 

 六年前の王都防衛戦における勝利でも、父王は本気を出していなかったと言われている。父が得意なのは強大な火力が頭上から降り注ぐ魔法、さすがに自国民があまた住んでいる王都で、派手に撃つわけにはいかなかったということであろう。


 だが、ここは敵国、見わたす限りの平原には、兵士しかいない。恐らく父王は、その実力をいかんなく発揮するだろう。


「報告! 敵の国王が、出てきます!」


 リュシエンヌの背筋に、寒気が走った。


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