第55話 帰って来られました

「おい、あれは何だ?」

「ローゼルトの陣から、誰かが逃げているようだな」

「おい、先頭にいるやつのまわり、なんか妙に明るくないか?」

「あれは、火の玉だ! 火の玉が、騎士を取り囲んでいるぞ!」


 アルスフェルトの兵士たちが、敵陣で起こっている騒ぎに、不審の眼を向けている。


「おい、あの騎士、女を乗せているぜ?」

「真紅の髪を持つ女と、銀髪の男か……おい待てよ、それって……」


 とある兵士が何かに気付いた時、本陣の指揮櫓から、国王が全軍に大音声で呼び掛けた。


「皆の者、見よ! あれなる騎士は我が息子、第三王子マクシミリアンである! つがいとなるべき婚約者リュシエンヌを、敵陣から見事救い出してきたのだ!」


 兵士たちが騎士に向けた驚きの声は、国王の種明かしで歓喜のそれに変わる。


「おおおっ!」

「では、あの火球は、魔法王国ローゼルト王室の血を引くリュシエンヌ殿下の操るものなのだな!」

「あの数を見ろよ! それに……次々敵を馬から叩き落としてるぜ!」

「マクシミリアン様の魔法は天下一品と思っていたが……お妃様もすげえ……惚れそうだ」

 

 そして、国王が満を持して命令を下す。


「ゆけっ騎兵隊、そなたらの大将を救え!」

「うおおっ!」


 アルスフェルト騎兵が、一斉に駆け出した。リュシエンヌたちを追う重装騎兵はまだ数十騎残っているが、数千騎の突撃には敵すべくもなく、次々と討ち取られていく。


 こうしてリュシエンヌはようやく、彼女が帰るべきところに、戻って来られたのであった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 今にも正面からぶつかるかと思われた両軍は、不思議な休戦状態にある。大将自ら敵の本陣に寡兵で突撃すると言う破天荒なマクシミリアンの蛮勇と、リュシエンヌが生み出す無数の火球スペクタクルを眼にしたローゼルト軍が、まだ茫然としていたからだ。


 一方のアルスフェルト軍の士気は、大いに上がっている。氷の魔法による無慈悲な殺戮が売りであったはずの大将が、得意の魔法に頼ることなくその身体的武勇のみで愛する婚約者を奪い返したのだ。実のところ彼が魔法に頼らなかったのは、先に圧勝したコンスタンツ戦で、すっからかんになるまで魔力を使ってしまったからなのだが、兵士たちは王子の騎士道を無邪気に讃え、自らも戦意を燃やしているのだ。


「たった今開戦すればおそらく勝てるだろうが、兵力は向こうのほうが多い。なるべくなら戦死者を少なくしたい、ここは魔法で勝負しよう」

「ええ。はい皆さん、魔力チャージは出来ましたよねっ!」


 すでに女性の魔法使いたちには、リュシエンヌががばりとワイルドに抱きついて、その無限の紅い魔力を目一杯与えている。男性魔法使いに魔力を渡すことに関してはマクシミリアンが頑強に拒んだために、一旦マクシミリアンに魔力譲渡をした後、男同士で魔力を融通するようなひどく面倒な手間が必要になったが、何とか主力魔法使い数十人に彼女の魔力を行き渡らせることができている。


 それだけ魔力を使っても当の本人は「うん、これだけ魔力が抜けると、少しさっぱりするわね!」程度の呑気な反応である。


「リュシーが戻って来てくれて助かったわ。コンスタンツ軍撃退に全力で魔法を使ったから、魔力が残っている術者がいなかったのよね。正直、魔法戦になったらきつかったわ」

「王妃様にも、ご心配をお掛けしました……」

「ふふっ、リュシーがいなくなった時のマックスの様子ったら、見せてあげたかったわ。まるで怒り狂った狼みたいで、だれも近づけなかったのよ。挙句の果てはたった三十騎で飛び出していってしまうし……」

「三十騎……」


 そうだったのかと、リュシエンヌは思わず眼を伏せる。マクシミリアンが彼女に手を伸ばしてくれた時、残っていたのは十六騎。帰途でさらに三騎が討ち取られ、帰ってこられたのは十三騎……十七人もの騎士が、自分一人を救うために生命を落としたのだと、今更ながらに思い知らされる。


「ねえリュシー、自分なんかのために……とか、思っていないよな?」

「マックス様……」

「死んだ奴らも含めて、あの時敵陣に突っ込んだ三十騎は、みんな自分から志願したんだ。むしろ行きたいやつが多すぎて、年齢制限をしたくらいさ。彼らはリュシーがこの国のためにしてくれたことを知っていて、そんなリュシーを愛してくれているんだ。君が自分を卑下することは、斃れた者の志を貶めることになる、だから君は、堂々と胸を張っているんだ」

「は……はいっ」


 慌てて背筋を延ばし、じわっと溢れかけた涙をこらえる。そして彼とともに、一段高い指揮櫓に登って見下ろせば、そこには四万の兵が、一心にマクシミリアンとリュシエンヌを凝視している。彼らの眼に強い憧憬、いやもはや崇拝のような感情があふれていることを感じて、思わず照れながらも、嬉しさを噛みしめるリュシエンヌ。マクシミリアンがそんな彼女の背中を押す、何かしゃべれということらしい、仕方ないわと覚悟を決める。


「皆さん、不覚にも敵に捕らわれた私を救って頂いて、ありがとうございます。ここで対峙する敵は私の母国ですが、今は恥ずべき侵略者、打ち払うべき略奪者です。皆さんご自身の大事な人を守るため、そしてアルスフェルトに生きる無辜の民を守るため、どうか力をお貸しくださいっ!」


 痩せ気味の身体に似合わぬ見事な声量である。リュシエンヌがそのぷっくりとした唇を閉じた瞬間、兵士たちの間から、津波のようなどよめきが湧き上がった。


「あんなお嬢ちゃんが戦うんだ、俺たちも負けてられねえ!」

「おうっ!」「やるぞ!」

「萌える……」


 とにもかくにも、アルスフェルト軍の意気は、最高潮である。

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