第54話 やっぱり頼れる旦那様です!

「どうした? 早くその玩具のような火球を消せ。それとも、この父と魔法の威力を競おうとでも言うのか。それでも構わん、骨の一本も残らぬよう、焼き尽くしてくれよう」


 父王の言葉は、ハッタリではないだろう。リュシエンヌにはわかる、彼女が操る手のひらサイズの火球を百個撃ったとて、父の強力な火球に飲み込まれてしまうだけであることが。彼女の優位は魔力の量と数だけ、真正面からぶつかり合ったら、どう見ても勝ち目はない。


「返事がないようだな。どうやら我が娘は死にたいようだ。楽に死なせてやるのが、親の情けと思うが良い」


 王の火球が、その輝きを増す。だがリュシエンヌは、焦ってはいなかった。この瞬間、彼女は自分の身についてなど気にしていなかったのだ。ただひたすら、どうやったらマクシミリアンに勝利を与えることができるか、それだけを考え抜いていたのだ。そしてその口角が、わずかに上がる。


「ここで笑えるとは……儂はお前をもっと評価すべきだったようだ。残念だが、我が傘下に加わらぬなら仕方ない、死ね」

「ええ、死にますわ。父上と一緒に、ね」

「何だと?」


 次の瞬間、彼女を取り巻いていた数百の火球がさあっと前方に散らばった。そして父王は、一瞬にして自分が、数えきれぬ小さな火球に包囲されていることを知って狼狽する。


「リュ、リュシエンヌ、お前は……」

「ええ。私の火球は父上の魔法に打ち勝つことはできません。ですが、相討ちを覚悟すれば、父上を焼き尽くすことはいと容易いこと。国王が斃れれば、ローゼルトは兵を引くしかなくなるでしょうね」


 父王は忙しく頭を働かせ……娘の主張が正しいと認めざるを得なかった。リュシエンヌの火球一個一個は致命傷を与えうるものではない。だが百を超える火球にまとわりつかれれば、生命を保つことは困難だ。そして魔法の炎は、術者を殺したとて消えるものではないのだ。


 そんな冷徹な台詞を吐くリュシエンヌは、たった今生命のやり取りをしているとは思えぬほど、超然としていた。それ自身が炎のような真紅の髪がふわりとふくらみ、茶褐色の瞳は揺らぎもせず真っすぐ前を見据える。


 しかしその瞳は、眼の前にいる父王の姿を映していないのだ。彼女が視ていたのは……対峙する軍を率いているはずの、愛しい人。今からその男のために自身の生命を捨てようとしているのだが、彼女に悲壮感は全くない。


「私は……マックス様のお役に、立てましたよね。さようなら、そして、ありがとう」


 その言葉と共に、リュシエンヌが右の掌を、父に向けてかざした刹那。何かに驚く人馬の声に、金属同士が打ち合わされる鋭い音が響いた。そして、彼女が一番聞きたかった人の声が、耳に飛び込む。


「リュシー!」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 彼女の眼に映ったのは、軽装騎馬の一隊。十五騎ちょっとが密集して側面から不意を突いて突破してきたようだが、おそらくかなりの者が討ち取られたのであろう。残る者もみなどこかに、傷を負っている。


 そしてその先頭で馬を駆る若者こそ、リュシエンヌの愛しい人。


「つかまれ、リュシー!」

「はいっ!」


 馬上から差し伸べられた手を夢中で取れば、どこにこんな力がと思うほどあっさり彼女の身体が宙に浮き、次の瞬間には鞍の上に座らされていた。


「よしっ、続け!」「おおっ!」


 婚約者を抱いたマクシミリアンに、部下たちが続く。


「マックス様、こんなところまで……」

「ああ、君を奪うためなら魔界でも天界でも行くさ。だが、今は格好いいことをささやく余裕がないんだ。悪いがリュシー、君の力で追撃をできるだけ防いでくれないか。これ以上、部下を死なせたくない」

「あっ、はいっ!」


 リュシエンヌが馬上で身体をひねり後方を見ると、重装騎馬と弓騎兵が合わせて二百騎ほど、追ってきている。圧倒的劣勢の状況であるはずだが、不思議に彼女は恐怖を感じていなかった。そう、こんな頼れる男に守られている自分が、死ぬはずはないのだ。


「まずは弓を撃たせないことよね!」


 そうつぶやいたリュシエンヌが、その眉をきゅっと寄せると、彼女を取り巻いていた火球が、一斉に弓騎兵へ向かって飛ぶ。弓騎兵は慌てて身構えるが、炎が襲ったのは兵士ではなかった。そう、彼らが全速力で駆る馬の眼に向かって、正確に火球が飛び込んだのだ。


 それから五つを数える間に、弓騎兵はすべて無力化されていた。ある馬は棹立ち、ある馬はもがきながら倒れる。そして馬から振り落とされた弓兵は、良くて骨折、悪ければ頭蓋を割り、あるいは後続の馬蹄に掛けられて……いずれにしろ戦闘不能にさせられたのだ。


「よしっ、これで矢が飛んでくることはないわ、次は重装騎兵ね!」


 重装騎兵の騎馬は馬鎧をつけ、さらに暴れないよう目隠しをされているから、さっきの戦法は使えない。リュシエンヌは馬上でしばし考えた後、その眼をしばたたいた。


「そうだ、こうすればいいはずだわ!」


 この言葉とともに、一騎の重装兵を二つの火球が襲う。兵がまとうのはプレートアーマー、全身が金属板で覆われ、防御力は抜群だ。それを信じて魔法を避けず突進する兵士の兜のわずかな隙間……そう、前方視界を保つため眼の部分にわずかに切ってあるスリットから、魔法の炎がぬるりと入り込んだのだ。


「うぐわぁぁっ!」


 何で堪ろう、視界を失った兵が、馬から転げ落ちる。落馬した重装兵の末路は哀れである……多くは自らの重量が凶器となって重傷を負い、運よく軽傷であっても、もう自力では起き上がることも難しいのだ。


「いいわねっ! どんどんいくわよ!」


 自分の魔法で屈強な騎士たちが次々倒れていく。リュシエンヌは驚きつつも、もっとマクシミリアンの役に立ちたいと、やたらと張り切るのであった。

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