第53話 引っかきまわします!
今までと一段トーンが違う士官の号令と、兵士たちの雄叫び。囚われているリュシエンヌの耳にも、それは届いていた。
彼女は、胸の内でつぶやく。いよいよ決戦らしい、ならばマックス様が、そこまで来ているはずだ。彼が自由に腕を振るえるように、必ず自力で脱出しなければ。そのために、今まで考えてきたのだ。
「炎よ、出でよ」
小さく詠唱すれば、手のひらサイズの火球が一個、眼の前に現れる。リュシエンヌは火球に背を向け、その炎で自らの後ろ手を拘束する縄をあぶり始めた。
「うっ、熱っ!」
もちろん背後であるから、そう上手に位置が合わせられるわけもない。何度も手に小さい火傷を負いつつも、ようやっと彼女を縛っていた麻縄を焼き切り、両腕の自由を取り戻す。
荷室の扉を調べたが、予想通り外からかんぬきが掛けられている。彼女の魔法で内側から扉を焼き切るには相当時間がかかりそうだ。リュシエンヌは熟慮の上、待つことに決めた。きっと両軍が激突する直前には、あの粗暴な兄王子の誰かが、自分の魔力を求めてこの扉を開けてくるであろうと。
外の気配に耳を澄ませていると、その時は間もなく訪れた。かなり遠くから第三王子ベルナールの大声が近づいてくる。リュシエンヌは詠唱を何度も重ね掛けして、愚かな兄王子が扉を開けるのに備えた。
ガチャガチャとかんぬきを外す音が聞こえ、扉が乱暴に開く。現れた王子の顔は、ひどく間抜けなものに見えた。人はありえないものを見るとこんな顔になるのかと、こんな緊迫した時なのに可笑しく感じてしまうリュシエンヌである。
王子の驚きは、無理もないことだ。扉をあけた瞬間に彼が見たものは、侮り蔑んでいた妹王女の周囲を取り巻く、多くの火球。
火球一つ一つは火属性魔法に長けたローゼルト王族の彼から見たら鼻を鳴らす程度の小さいものだが、驚くべきはその数だ。ベルナール自身が同時に操れる火球はせいぜい三つ、父王ですら五つもコントロールできるかどうか。だがこの無能な妹の周囲には、明らかに数十個の炎が、まるで彼女を守護するかのように舞い飛んでいるのだ。
「リュシエンヌっ! お前、魔法が使えたのかっ! 俺たちをだま……」
ベルナールは、最後まで言い終えることはできなかった。四つの火球が彼の顔に向け殺到し、一つはとっさに振り払ったが残りが眼を直撃したからだ。魔法の炎は手で覆ったくらいでは簡単に消えず、じりじりと彼の眼球を焼いていく。
「うあぁっ、眼が、眼が……リュシエンヌ、やめろ、何とかしろ!」
「そうですね、痛いでしょう、苦しいでしょう、お兄様。ですが……私が痛いと言ったり苦しいと言った時に、お兄様は、やめて下さいましたっけ? では失礼」
あっけらかんといった調子で言い放ったリュシエンヌは、自身を取り巻く火球とともに、悠然と馬車から降りた。ベルナールの護衛騎士が慌てて彼女を捕らえんと追いすがってくるが……彼の運命も、王子と同じものとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「うわああっ! 裏切りが出た!」
「あれは化け物だ! 敵わねえっ!」
そんな声がローゼルト軍の中を駆け巡る。綺麗な魚鱗の陣形をとって進んでいた兵士たちの統制が乱れ、将軍はやむを得ずいったん全軍を停止させた。
「申し訳ございません陛下、不測の事態にて……」
「戦に不測など当たり前であろう! 兵士たちが騒いでいる裏切りとは、一体何のことだ、説明せよ!」
将軍が冷や汗を流しつつ国王への言い訳を口にしようとしたその時、伝令兵が本陣に飛び込んできた。
「緊急事態です! 第三王子ベルナール殿下、ご負傷!」
「負傷だと? 奴はまだ前線に出ておらぬはずだ」
「はい、補給部隊にて、魔法攻撃を受けて両眼を焼かれ、戦闘不能に陥った模様です!」
「後方部隊の中で魔法攻撃を受けたと? 裏切りとはそれのことか……一体何が起こったのだ? ベルナールは愚かなれど火魔法の腕は確か、それを倒すなど余程の手練れだ。火属性魔法をそのレベルで使う者は、他国にはいないはずだが……」
「はっ、それも判明しております。下手人はリュシエンヌ王女殿下であります!」
「リュシエンヌ……だと?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
リュシエンヌは、前線に向けじりじりと進んでいた。
彼女が持つ軍装は、騎士から奪った盾だけ。しかし数十個だった彼女を取り巻く火球がいまや数百個になっているのを見れば、もはや捕らえようと近づいてくる者はいない。虐げられていたとはいえ王女なのだ、王族に対し弓を射る勇気ある者も居らず……彼女が前進するのを、阻める者はいなかった。
「そこまでだ」
その彼女の前に立ちはだかったのは、やはり、父王だった。
「お前が魔法を使えるようになっていたとはな。魔法が使えるならば、お前の常識外れた魔力量はローゼルトにとって貴重な戦力だ。親を騙したこと、兄王子を傷つけたことの罪は極めて重いが、一回は許してやろう。さあ、その炎を消し、父に降るがよい。もうアルスフェルトになど行くこともない、ローゼルトに一生、居させてやろう」
そう口にしつつ、父王は自らの頭上に、巨大な火球を浮かべる。それは力の差を示す威圧であり、脅迫でもある。リュシエンヌの背中に、冷たい汗が流れた。
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