第50話 ころっと騙されました
今日も今日とて、王妃とアンネリーゼに招かれ、お茶会のリュシエンヌである。いつもアンネリーゼが手ずから作るお菓子を楽しみに通っているが、今日のそれはベリー入りのクッキーだ。作り手の優しさが染みてくるような柔らかい甘さが、少し渋めの紅茶にぴったりだ。
「リーゼ、薬師さんの診たてはどうだったの?」
「はい、王妃様のおっしゃる通りでした」
アンネリーゼの姿はとても病気だとは見えなかったのだがと、驚くリュシエンヌである。思わず心配そうな視線を向けてしまったことに気付いた王妃が、慌ててフォローを入れる。
「ああ大丈夫よ、リュシー。どっちかといえば、お祝いすべきことだから」
「え……あっ、もしかして……」
「はい、今さらですが……やっと、できました」
「まあっ、おめでとうございます!」
頬を桜色に染めつつ、軽く右手をお腹に当ててほんわかと微笑むアンネリーゼに、リュシエンヌは心からの祝福を贈る。
アンネリーゼが「今さら」と口にするのも無理はない。エアハルトの妃となって八年間、ついぞ懐妊の気配すらなかったのだから。エアハルトは現王太子であるが、世継ぎが生まれないことに対する不安の声があちこちから上がり、彼女としては何かと肩身が狭い思いをしてきたのである。
「本当によかったわあ。リュシーがアルスフェルトに来てくれたお陰よね」
「ええ、感謝しておりますわ、ありがとうリュシー様」
「あ、あの……何のことでしょう?」
九つも年下の義妹に対して相変わらず丁寧なアンネリーゼであるが、リュシエンヌにしてみれば何を感謝されているのか、さっぱりわからない。
「あら、お妃教育はばっちりのリュシーも、子作りについては勉強が足りないようね」
直接的な表現に頬を染めるリュシエンヌに優しい視線を送りながら、王妃が説明する。
生命を司る魔力を持つ者は、子供ができにくいことは、古来より知られていることなのだと。アンネリーゼの属性は土であるが、植物の生命力に特化した魔法である。間違いなく子宝には恵まれないだろうと目されていたにもかかわらず、幼馴染を溺愛するエアハルトは、それを承知で彼女を娶ったのである。そして実際のところ、八年間親密な夫婦生活を送ったにもかかわらず懐妊することはなかった。
そこで王妃は考えたのだ。アンネリーゼの補佐にリュシエンヌを付け、思いっきり大魔法を使わせたらどうかと。アンネリーゼ固有の魔力は早々に枯渇するが、リュシエンヌの魔力補給は無限に近い……結果として、アンネリーゼの身体にはリュシエンヌの紅色魔力が満たされる。この状況でエアハルトと愛を交わせば、チャンスがあるのではないかと。そしてその賭けは、見事に当たった。
「あ、では……合宿所に王太子殿下が訪ねて来られた夜に……」
「そう、一発で命中! ってことね!」
アンネリーゼはぼんと耳まで紅く染めて恥じらいつつも、嬉しさを隠しきれていない。その姿を見て、一回り年上とは思えない本当に可愛らしいお方、王太子殿下がぞっこんなのもうなずけるわと、感心するリュシエンヌである。彼女もマクシミリアンを十分愛しているが、この十年余りの苦労の影響で、その愛情には多少の打算が含まれてしまっているのだ。アンネリーゼ様はこれだけ純粋な方なのだから、きっと家族からも王太子殿下からも、愛を注がれてきたのでしょうと、少しだけ羨ましい思いも抱くのである。
そんなほんわかしたお茶会の雰囲気は、一人の侍女が飛び込んできたことで破られた。
「リュシエンヌ様! すぐおいで下さい! マクシミリアン殿下が事故に遭われました!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
とる物もとりあえず、リュシエンヌが失礼を詫びつつバタバタとその場を去った後、王妃はしばらく、首をかしげていた。
「今の侍女……見たことないわね」
「マクシミリアン様が付けた三人の侍女は存じていますが、彼女は記憶にありません……ローゼルトから連れてきた持ち込み侍女ではないでしょうか?」
「いずれにせよ、マックスが本当に事故に遭ったのなら大変。陛下とエアハルトにもすぐ連絡しなくては」
だがそれから三時間後、マクシミリアンが王都北の演習場で何事もなく指揮を執っている連絡が届き、青ざめることになる王妃であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
リュシエンヌを乗せた馬車は、王都を出てひたすら走る。すでに一面に麦畑の広がる農村地域を出て、無人の山岳地帯に差し掛かっている。早くマクシミリアンの元に行きたい彼女の心は逸るが、目的地に近づく気配はない。ふと違和感を覚えたリュシエンヌが、馬車の外にいる侍女ジョゼに声を掛ける。そう、彼女に急を告げたのは、ここのところ「いない子」扱いされていた、待ちこみ侍女のジョゼであったのだ。ジョゼは馬車のキャビンには同乗せず、護衛騎士と騎馬の二人乗りで移動している。
「ねえジョゼさん、この馬車は、南に向かっていないかしら? マックス様がいらっしゃる演習地は、王都の北にあるはずなのだけれど?」
「今頃気付いたの? バカな女ね……もう遅いわ」
ジョゼの不遜な言葉にただならぬものを感じてもう一人の侍女を見れば、すでにキャビンの座席に横たわって意識を失っている。そして自身にも耐えがたい眠気が襲ってくることに慌てて開けようとした扉は、外から施錠されていた。
「しばらくお休みなさいな、できそこないの王女様!」
嘲るようなジョゼの声がしばらくは聞こえていたけれど……やがてリュシエンヌの意識も闇に飲み込まれた。
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