第49話 とっても幸せです!
その日から毎日、リュシエンヌは火魔法の訓練をするようになった。
まだまだ「魔力の出口」が狭いらしい彼女は、大きな魔法を撃とうとすると苦痛で気が遠くなってしまう。
「男性に魔力を抜いていただけば、もっと出口が広がるのでしょうか?」
「君に他の男が触れると想像しただけで、私はその男を殺したくなる……婚約者を殺人犯にしたくなかったら、訓練は魔法を使うことでやってくれないかな」
そう口にした彼の冷え切った眼光は、本当に二~三人くらいなら平気で殺してしまいそうだった。震えあがったリュシエンヌは二度と同じことを口にせず、掌に乗るていどの小さな火球をせっせせっせと顕現させる訓練を、ひたすら一人で続けているというわけなのだ。
ローゼルトの王族ならたやすく撃てるであろうどでかい火球を出せるようになるには、まだまだ遠い道だ。そして、アルスフェルトにおいて彼女自身が魔法を操ることは、さほど求められていない。だが魔法が使えぬという一事だけで、暗黒の少女時代を送らねばならなかったリュシエンヌである。こうして操れるようになってみれば、ランプほどの炎であっても、たまらなく嬉しく愛しく、暖かく感じられるのだ。
「無理に大きな炎を出さなくても、小さな炎をたくさん作れば、強い魔法になり得るよ」
「そうですね! やってみますっ!」
生み出す炎がなかなか大きくできないことに悩むリュシエンヌに、マクシミリアンがアドバイスをしたことが、ひとつの転機となった。
手のひらサイズの火球であれば、顕現させるになんの苦痛もない。リュシエンヌの無限に近い魔力量は、そんな小さな火球であればいくつでも作り出すことができる。そして、彼女は魔法制御のセンスが抜群であった。
宙に浮かせた火球が二つになり、五つになり、たとえ十個になっても、彼女は意のままにそれを動かすことができるのだ。そもそもこれまではその才能を使う前段階でつまづいていたのだが、一旦魔法を発現できるようになってみれば、隠れていた素質が一気に開花する。
「本当に、リュシーは凄いな。普通の術者だったら、数個が限界なのに」
アドバイスしたマクシミリアン自身も驚いている姿を見て、やる気倍増したリュシエンヌは、来る日も来る日も火球を増やす訓練を続け……気が付いた時には、身体の周囲を百を超す火球が舞い飛んでも、平然としていられるようになっていた。
「まるで尊き炎の女神……と言いたいところだが、さすがにこれほどおかしな数の火球を見ると、もはや『魔王』とでも言うしかないか?」
「まあ、マックス様、ひどいですっ!」
いつしか二人は、こんな軽口を交わしながらも、優しい視線を絡み合わせる仲になっていた。
毎朝早くに食事を共に摂り、軍に出勤するマクシミリアンと軽い抱擁を交わす。それだけで彼の魔力は、リュシエンヌ色……紅色に染まるのだ。
彼のいない昼間はディアナやアンネリーゼの公務に付き合ったり、王妃とお茶をしたり。もちろん魔力が見える王妃には、二人が大人の階段を登ったことがひと目でバレてしまい、祝福されつつもたっぷりとイジられる羽目になったのだが。
時間が空いたら火魔法の練習をし、前日より操る火球が増えたことに喜ぶ。それに疲れたらマクシミリアンに贈るハンカチに刺繍などしてみる。刺繍は令嬢のたしなみとはいえ、ローゼルトではまったく刺す機会のなかったリュシエンヌだ。典型的インドア令嬢であったアンネリーゼから手ほどきを受け、時折自分の指を刺しつつも、一生懸命に愛する男に与える小品を刺し続けるのであった。
ブリュンヒルトやビアンカと、昼食や買い物を共にすることもある。すっかり無気力になった王子の相手を優先して、すっぱり社交から手を引いたブリュンヒルトや、そもそも平民上がりのビアンカは、はっきり言って友達が少ないぼっち体質である。リュシエンヌが遊んであげないと、露骨に寂しそうな顔をするのだ。
そして夕刻になれば、あれほど仕事人間だったはずのマクシミリアンが、まるで飼い主の元に戻る犬のように、いそいそと帰宅してくる。ちょっぴりのワインをたしなみつつ美味しい夕食を摂り、食後には少しだけ上等のお茶を飲みながら他愛のない話をして……言葉が途切れるとともに、唇が重なる。
気分が盛り上がったその後はもちろん……ということになるのだが、軍人として己を鍛え上げたマクシミリアンと違って、リュシエンヌの体力は人並み以下である。彼の愛に目一杯応えてしまうと、翌日起きられない羽目になってしまう。
ほどほどにして欲しいとお願いしているはずなのだが、熱情の篭もったマクシミリアンの眼に見つめられてしまうと、ついついほだされ、流されてしまう彼女である。そして翌朝、眠たい眼をこすりつつ彼を送り出す時間も、なかなか気に入っているのだ。
「うん。こんなに幸せで、いいのかなあ?」
しみじみとつぶやく、リュシエンヌである。
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