第48話 魔法が、使えます!
「ついに殿下が、想いを遂げられたのですね!」
翌朝、侍女頭のフリーダが、満面の笑みを向けてくる。もちろん寝室の乱れっぷりを見られれば一発でバレてしまうだろうが、まだリュシエンヌは起きたばかりだ。なぜわかったのだろうと、いぶかしむ彼女である。
「だって、お先に出勤された殿下の魔力が、真紅に染まっていましたもの!」
そうであった。異性に魔力を渡す行為は通常ならひどい違和感や苦痛をもたらすが、契りを結んだ相手とならば、際限なく魔力をやりとりできるのだ。そんな二人が一晩触れ合っていれば王子のまとう魔力も、保有量が数十倍であるリュシエンヌ色に染まってしまうのは、当然のこと。そしてフリーダは魔力が見える体質である……もはや隠すこともままならず、耳まで紅くして恥じらうだけのリュシエンヌである。
「よろしいのですよ、みんなこうなることを、望んでいましたもの。まあお子様をつくるのは、結婚式の後にした方がよろしいかと……」
「ひいいっ!」
そんなことをほのめかされてリュシエンヌの背筋が凍る。昨日は「マクシミリアンに独占されたい」というだけの想いで、大胆なおねだりを敢行してしまったが、その結果として子供ができてしまうことには、迂闊なことに思い至らなかった彼女である。
「恐らくは、大丈夫でございましょう。高位魔法使いの男性は、概ねそうならないような魔法をお持ちですから」
震えあがる主人をなだめるフリーダである。彼女の語るところによれば、魔法学院に通う男性は、その道の講習受講が必須であるのだそうだ。強い力を持つ者が、やたらとその辺で種まきをしてはいけないということなのであろう。
「そ、そうなのね。びっくりしたけど……私、幸せです」
茶褐色の大きな瞳が、まっすぐ前を向いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その晩、夕食後の語らいの中で、不意にマクシミリアンが切り出した。
「火の初歩魔法といえば、どんなものかな?」
「ローゼルトでは、蝋燭に火をつける練習から始めますね。私は出来ませんでしたが」
「蝋燭か……」
それを聞いた彼は、蝋燭が三本付いた燭台を壁際から持って来ると、リュシエンヌの前に置いた。
「さあ、火をつけてごらん、もちろん魔法でだよ」
「そんな……私は魔法が使えないので……」
「やるんだ」
有無を言わさぬマクシミリアンの調子に押され、リュシエンヌは短い呪文を詠唱し、人差し指を蝋燭の一本の脇にかざす。彼女は魔法の発動法をもちろん知っている。だがローゼルトでは何度試みても、魔法が発動するまでに耐え難い苦痛が襲い、精神集中が維持できなかったのだ。
だが、今夜は違った。ふわりと暖かい魔力が体外に流れるのを感じたその時、眼前の蝋燭に、優しい炎が灯っていた。
「……っ、うそ、嘘でしょ……」
「嘘じゃない、幻でもない。それはリュシーが灯したものだ」
「私に、魔法が使えるなんて……」
呆然としているリュシエンヌに、マクシミリアンがゆっくりと説明する。
魔法は、己の体内で練られた魔力を、体外に放出することで顕現する。リュシエンヌの魔力は素晴らしいものだが、魔力を体外に出す部分のどこかが詰まって狭くなっていたのだろうと。だから魔法を使おうとすると、耐え難い苦痛が襲うのだと。
「それがどうして、急に大丈夫になったのでしょうか……」
「急にではないよ。この国に来てから、徐々に出口を広げていったんだ」
その瞬間リュシエンヌは悟った。マクシミリアンが「痛くないギリギリ」の線で魔力を引っこ抜き、ばんたび彼女にあらぬ悲鳴を上げさせていたのは、魔力を勢いよく流すことで詰まりを取ろうとする行為だったのだと。
同性であれば身体を触れ合えば自然に魔力が渡せるけれど、契りを結んでいない異性の場合は、一旦魔力を外に出した後、相手が受け入れるという流れになる。だから男性が魔力を奪う行為は、リュシエンヌにとって体外への魔力出口を広げる……つまり魔法を使う訓練になっていたというわけなのだ。もちろん、ゲルハルトがやったように乱暴に抜けば、やはり耐え難い苦痛となるのだが。
「だが、ゲルハルトにあれだけ魔力を抜かれても意識を保てるようになった君を見て、もう魔法も使えるんじゃないかって思ったんだ。そしてそろそろ、君を抱いてもいいかなって」
「あ……」
そう、婚約者である以上、いつそういう関係になってもおかしくない状況で、これだけ溺愛しながらもマクシミリアンが彼女に手を出さなかった理由……それはまさに、リュシエンヌの最大のコンプレックスである「魔法が使えない」というハードルを、飛び超えさせるためだったのだ。一旦男女のあれこれを為してしまえば、同性とやり取りするかのように抵抗なく魔力をやりとりできるが、それでは彼女の魔法訓練にはならないのだから。
「私にも、魔法が使えるように、して下さったのですね……」
「うん、私は魔法が使えなくてもリュシーが大好きだ。でもリュシーがそれを望むなら、使えるまで鍛えてあげないとね」
少し目尻の下がった茶褐色の大きな眼から、透明な雫がこぼれ落ちる。そして燃えるように紅い髪が、マクシミリアンの胸に飛び込む。
「マックス様、大好き、大好きです……」
長らく我慢を重ねた末、その我慢の理由がなくなった男が、そんな可愛い誘惑に逆らえるわけがない。娘らしい血色を取り戻し、ぷっくり膨らんだ唇に、マクシミリアンは己のそれを重ねるのだった。その後は、ご想像の通りである。
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