第47話 旦那様が大好きです

 マクシミリアンの眼に驚きが浮かぶ。恥ずかしがり屋で遠慮がちで、何につけ自信なさげだったリュシエンヌが、こんな大胆なアピ―ルを、自分のためにしてくれたのだと。


 リュシエンヌにしても、この一言を口にするため、一生分の勇気を振り絞ったのだ。ようやっと自分がこの王子を本気で好きだと自覚して、離れたくないと思った結果が、あのようにストレートで露骨な表現になってしまったところは、やや残念なところであるのだが。


 彼女にとっての第一義は、自分を虐げる母国ローゼルトに戻されることなく、この国でゆるゆる生きていくことだった。そういう意味で、マクシミリアンに対する最初の感情は「国に帰されないように尽くそう」という、極めて自己保身的なものであった。


 だが、この見た目クールな王子が、長年彼女を想い、求めてくれたことを知って、その心は大きく揺さぶられた。偶然の要素が大きい出会いではあったが……その偶然は乙女脳の中ではしばしば「運命」と変換されるもの。


 そして彼は、その冷徹な見た目からは想像付かないくらい、優しかった。もちろん直接的に甘い言葉を掛けて、望めば何でも与えてくれるのだが、リュシエンヌは物的な欲望が乏しい。彼女は、そんなことに惹かれたわけではないのだ。


 マクシミリアンは、リュシエンヌが求めて得られなかった物を与えてくれたのだ。それは他者からの承認欲求と、心許せる友人だ。


 彼はリュシエンヌを、ディアナやアンネリーゼの元へ、果ては露骨に対抗意識を燃やしているであろうブリュンヒルトのところへも、進んで送り出した。どうもそう誘われるように、裏で手を回していたようでもあった。


 彼女を溺愛し、他の男や危険から遠ざけるためであれば、彼の宮に囲い込んで掌中の珠としてしまった方が良いはずだ。だがマクシミリアンは、彼女が口に出さないまでも心で求めているであろうそれを、正確に理解していた。それゆえ彼女の武器である無限の魔力量とブースト能力が生きる舞台にあえて送り出し、理解し合える同性……妹のようなディアナ、優しき姉のようなアンネリーゼ、そして同年代の親友になりうるであろう、ブリュンヒルトやビアンカと引き合わせたのである。


 リュシエンヌはその膨大で上質な魔力をもって、彼女たちに聖女、女神、精霊と称えられるような未曽有の功績を与えた。もちろん第一に称賛されるのは彼女たちであるけれど、そこに居合わせた者はリュシエンヌがいてこその奇蹟であることを理解し、惜しみない賞賛を送ったのだ。この十年以上、彼女が求めても得られなかった賞賛を。


 そしてこの王女、王子妃たちと共に働く中で、彼女らとの間に、固い友情が生まれた。あれほどまでに王妃の地位を欲していたブリュンヒルトが、リュシエンヌを守るためならそれを放擲して構わないと思い定めるくらいに。


 そう、いつの間にか彼女は欲しかったものを、いつしかこの国ですべて手に入れていたのだ。そしてそれを与えてくれたのは、疑いなくマクシミリアンなのである。リュシエンヌが親鳥の姿を刷り込まれた小鳥のように懐いてしまうのは、無理からぬことだろう。


 だが、家族に向けるようなその情愛が、いつしか唯一のつがいへの愛に変わっていたことを、彼女は自覚していなかった。あの日、ゲルハルトにさらわれ、襲われるまでは。


 この国で穏やかな生活を送るという当初の目的からすれば、ゲルハルトの側妃におさまっても、よかったはずだ。野望に燃える彼のために魔力を提供している限りは捨てられないであろうし、ブリュンヒルトやビアンカも、妹のように扱ってくれるであろう。


 だが、リュシエンヌは遅まきながら気付いてしまった。男の胸に抱かれるなら、マクシミリアン以外の相手では、いやなのだと。この冷徹な表情の持ち主が、彼女の何気ない仕草を見てふっと口元だけを緩める瞬間が、たまらなく好きなのだと。


 自覚してしまったら、もう止まらない。毎日、彼が帰ってくるのを頬を染めつつ待ち、一緒の時間は嬉しくて、いつも小鳥のようにさえずり続けるのだ。そして、言おう言おうとしてこの二週間ばかり言えなかった最後のおねだりも、先程口にしてしまった。勢いで言ってしまった後で悔いる……ろくなマナーも教わっていない、恥じらいすら知らぬ、はしたない娘だと思われたのではないかしらと。


 だが、思い切って見上げたマクシミリアンの瞳には、言い知れぬ喜びが満ちていた。


 マクシミリアンには、己の溺愛がやや一方的である自覚がある。六年前ローゼルトで出会い、生命の危機を一緒に乗り切った事件は、彼にとっては生涯を共にするつがいを定めるに十分なものであった。しかしリュシエンヌはつい先日まで、そこで出会った少年が彼であったことなど、意識していなかったのだ。そもそも二人の恋愛スタートラインは、思いっきりズレていたのである。


 だがたった今、彼が望んでやまなかった言葉を、リュシエンヌが必死の表情でつぶやいてくれたのだ。そして、頬を紅に染めながらも、強い意志を持った視線で、彼の眼を真っすぐに見つめてくれている。


「リュシー、そんなに煽ったら、私はもう止められないよ?」


 返事はない。返事の代わりに、ざっくりしたお下げに編んだ真紅の頭が、ゆっくりとうなずくのを見たら、クールが売り物である王子も、己を抑えることはできなかった。彼はリュシエンヌの肉付きの薄い上半身をぐっと抱き締め、その唇を激しく貪った。そして長い口づけの後、ゆっくり彼女を抱き上げると、そのまま寝室へ運んでいった。

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