第43話 やっぱりこの方でした

 身構えていたリュシエンヌであったが、その日にはもう何も起こらなかった。


 しっかりした夕食も差し入れられた。毒や睡眠薬でも……と想像しないでもなかった彼女だが、すでに自由を奪われた身なのだ。敵の思うままにしようとしたらいつでもできる状況を考えたら、ここだけ警戒しても仕方ないと割り切って、若い食欲を満たすことにする。


 お腹がいっぱいになったら、眠くなるのは自然なこと。こんな地下室には不似合いに見える豪華な装飾が施されたダブルサイズのベッドに横になると、十を数える間もなく意識を失う彼女であった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 リュシエンヌがようやく目覚めた時には、すでに朝食らしきものが差し入れられていた。地下室にこもっていると時刻が分からないが、お腹もそこそこ減っているところも考えあわせれば、すでにかなりの時間、泥のように眠っていたのだろう。


 身づくろいのためであろう湯を満たしたたらいとタオルも置いてあり、まだ暖かい。リュシエンヌは少しだけ思案した後、まずは昨日から着たきり雀の服を脱ぎ、身体を丁寧に拭いた。朝食にも惹かれるものがあるのだが、いつ自分をさらった奴らが踏み込んでくるかわからないのだ。見られて困る行為は、さっさと済ませるべきだろうと。


 だが、それを終えて、さらにたっぷりした朝食をゆっくりと食べ終わった後も、地下室に誰かが踏み込んでくる気配はなかった。リュシエンヌは少々拍子抜けしつつ、考えをめぐらす。


 おそらくあのリーダーらしき男は、実行犯であって首謀者ではないのだろう。おそらくこの館の主が、彼にそれを命じたのだ。こんな広壮な別荘を持つ者は限られる……大商人か、領地持ちの上級貴族か、それとも王族か。


 そこまで考えた時、騒がしい足音が響いたかと思うと、重い木の扉が慌ただしく開いた。


 リュシエンヌが想定できる範囲で、最も避けたかった相手が、そこに立っていた。


「久しぶりだな、リュシエンヌ王女」

「ゲルハルト殿下……貴方が、私をここへ?」


 想定のうちに入っていたとはいえ、やはり信じられない思いのリュシエンヌである。競争相手とはいえ、弟の婚約者であり、虐げられていたとはいえ隣国の王女である彼女を、不法に拉致監禁するなんて。


「お前の動きが、ちょっと邪魔なのだ。大人しくしておればいいものを、国内のパワーバランスを崩すようなことばかりやりおって……」

「私は、偉大な力を持つ王族様たちをお助けしただけです。ディアナ様、ブリュンヒルト様、ビアンカ様、そしてアンネリーゼ様。そして、それはすべてアルスフェルト国民に資することだと思っておりますが?」

「俺が国王になる邪魔になると言っておるのだっ!」


 ああ、結局それなのか。リュシエンヌはこの俺様王子の狭量に落胆し、ここから無事で帰れそうもないことを悟った。


「では、私をここで、殺すのですか?」

「殺すのならとうにそうしている。お前が持つ唯一の取柄を、俺が使ってやろうと言っているんだ。お前の魔力を得れば、俺はエアハルトやマクシミリアンには決して負けぬ!」

「異性に魔力を渡すことが難しいのは殿下もご存じなのでは?」


 リュシエンヌの切り返しに、ゲルハルトは卑しく口の片端を上げた。


「そうだ、だが一旦男女の契りを結べば、あたかも同性のように魔力がやり取りできることは、お前も知っているだろう。喜べ、お前も俺の側妃にしてやろうと言っているのだ」

「私は、マクシミリアン様の婚約者ですっ!」

「今は、な。だが一旦俺と既成事実ができてしまえば、マクシミリアンとてお前に触れる気など起きまい。俺も鬼ではないからな、傷物になったお前を放り出す気はない、魔力さえ寄こせばたまには抱いてやろう」


 だめだこれは、話が通じない。そう思いつつ後ずさったリュシエンヌの右手首が乱暴につかまれ、そこから魔力が一気に引き抜かれる。


「うぐっ、うあああああっ!」


 それは、経験したこともないほどの苦痛と、痺れ。マクシミリアンに魔力を抜かれる時も強烈な違和感があるが、痛みは感じていない。だがゲルハルトにされるそれは、耐え難く辛いものだ。マクシミリアンが慎重に手加減してくれていたことを、乱暴にされて初めて知る彼女である。


 あまりの苦痛と衝撃に、気が遠くなっていく。だがここで失神するわけにはいかない、そうなったら有無を言わさず、この粗暴な王子の思うままにされてしまうだろうから。リュシエンヌはそのぷっくり膨らんだ唇を、血が出るほど噛んでなんとか瀬戸際で耐える。


「お、おお! この魔力は、素晴らしい! この俺が使うにふさわしいぞ!」


 勝手なことを言って一人高揚するこの馬鹿王子を、リュシエンヌはきっと睨みつける。


「私は、あなたの物にはなりません。私は、マクシミリアン様をお慕いしています、あの方の妻になることを、決めています」

「ふあっはっは、これは勇ましい。だが、魔法の使えぬお前が、男の力に抗えるものかな?」


 ゲルハルトが、また下卑た薄笑いを浮かべた。

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