第40話 ちょっとまずいかもです?
昼食を共にし、妃たちの魔法競演をループ二回ほど見届けると、マクシミリアンはあわただしく馬を駆って戻っていった。彼女たちのいる北部では感じられないが、どうやらアルスフェルト南部の状況は、かなり不安なものであるらしい。
「リュシー様、愛されておられますね」
「はぁ、うちの殿下も少しは見習って欲しいです……」
後半はあきらめ顔のビアンカである。なんだかんだ言いつつ王子大好きのブリュンヒルトと違って、ビアンカはゲルハルトに対し、かなりクールな心情を抱いているようだ。自ら望んだわけではないが絶対に断れなかった王子妃の立場、時には毒を吐きたくなることもあるんだろうなとリュシエンヌは忖度する。
しかし、アンネリーゼの言葉には、思わず頬を染めてしまう。不安定な南部に平穏を取り戻すことを命ぜられたマクシミリアンは、多忙を極めていたはずだ。だが婚約者の活躍ぶりを一目だけでも見るために、夜を継いで馬を走らせてきてくれた。
リュシエンヌにとってマクシミリアンは、あの監獄のようなローゼルトから、自分を救い出してくれた恩人でありヒーローだった。そこに感謝と尊敬そして憧憬はあれど、恋愛感情はなかった……はず。
しかし、ここまで一途に大事にされ甘やかされると、男女の関係にはさっぱりうとい彼女も、ようやっとではあるがほだされ気味だ。「離さない」とか「自分だけのものにしたい」とか言う王子の言葉を、信じたくなってきてしまうのである。それでも彼の胸に飛び込むのをためらうのは、十年以上虐げられ続けたトラウマのせい。今は愛してくれていても、また裏切られるのではないかという恐怖が、まだ彼女を縛っているのだ。
眼の前で嬉しそうにしたり、不安そうになったり……百面相をするリュシエンヌを、妃たちが面白そうに眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ようやく、「麦の精霊ツアー」が終了した。干ばつに遭った村をすべて救えたわけではないが、畑の八割くらいに実りを取り戻せたのだ。しかもその八割はすべて豊作、全体としてみれば北部の災害影響を、ほぼ無視できるレベルに回復したといえよう。
アルスフェルト国民は、この成果に熱狂した。さもあろう、戦争での勝利や土木工事も重要であるが、民にとって一番大切なことは、今日明日食べるものがきちんと保証されるかどうかなのだ。アンネリーゼの優しい魔法は、国民の胃袋に直接訴える、わかりやすいものだったというわけである。
もちろんこの奇蹟は、渇いた大地を潤すビアンカ、固まった土をほぐし豊かな耕地に変えるブリュンヒルト、そしてその三人に無制限の魔力を供給するリュシエンヌの働きがあってこそのものである。しかし一般大衆の中で、アンネリーゼの人気が飛びぬけて急上昇してしまったことは、無理なきことであった。
そんな状況に当のアンネリーゼは恐縮していたが、一番気にしそうなブリュンヒルトですら「今回はリーゼ様で仕方ないわね」と言う反応、彼女たちの間に波風が立つことはなかった。四十日にも及ぶ「合宿」が、一種の友情をもたらしたものでもあろう。
一番いきり立っていたのは、第二王子ゲルハルトであったろう。来たる王太子選抜において、彼にとって年長の王子エアハルトは目の上のたんこぶ。だがエアハルトにはその妃がロクな魔法を使えないという重大な弱点がある、そこに付け込む余地があると思っていたのだ。ゲルハルトの妃たちへの高評価は、すでに確立していたのだから。
しかし、一連のツアーでその評価は逆転した。北部の民すべてを救ったアンネリーゼの名声が、すなわち王太子エアハルトの声望をも一気に高めたのだ。ゲルハルトは歯ぎしりし、妃たちを問い詰めた。
「お前たちは、あのアンネリーゼがあんな強力な魔法を使えると、知っていたのか?」
「もちろん、植物を育てる力があるのは存じておりました。ですが、精々鉢植えの花を咲かせる程度。あのように大規模にできるものとは思っておりませんでしたわ」
ゲルハルトが怒っている時に、ビアンカはひたすら黙っているのが通例だ。慎重に言葉を選び、夫が爆発しないように答える役目は、ブリュンヒルトのものである。
「なぜ、あんな大技が出来るようになったのだ?」
「それは……リュシエンヌのお陰だと思いますわ」
「あの、何もできない娘か? マクシミリアンもなんであんな……」
「お言葉ですが、リュシエンヌは無限に近い魔力を持っていますから。先般、私とビアンカが水害を防ぎました。あれは彼女が私たちに魔力を注いでくれたことで、初めて可能になったことです。彼女は決して何もできない娘ではありません、国の宝ですわ!」
(ブリュンヒルト様っ、いけません!)
口ではああだこうだ貶していながら、すでに友情とでも言うべき感情をリュシエンヌに抱いてしまっていたブリュンヒルトは、ビアンカの制止も間に合わず、思わずカッとなってゲルハルトに反論をぶつけてしまう。
「そうか、あの地味な女にも、使い道があるのか」
ゲルハルトの口元が卑しく歪むを見て、ブリュンヒルトは己の失敗を悟った。
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