第35話 農業でもしましょうか

 二週間後。アンネリーゼとリュシエンヌ、そしていつも通りツンツン顔のブリュンヒルトと、何か戸惑ったような表情のビアンカが、北部の麦畑にたたずんでいた。


 「麦畑」というよりも、「麦畑だったところ」と言った方が適切であろうか。耕地一面の土はこちこちに渇き固まって、あちこちにひび割れが走っている。本来であれば既に穂を出し始めているはずの麦も、二の腕ほどの草丈のまま干からび、ただの地に刺さった藁に成り果てていた。


 この夏、アルスフェルト北部を干ばつが襲った。来る日も来る日も雨は降らず、作物という作物は枯れ果てた。その結果が、これである。


 この国の主食である小麦の栽培には、冬小麦と春小麦がある。国土の七割では冬小麦と言われる、冬が来る前に種をまき、翌年の初夏に収穫する方法をとる。一方気候が寒冷な北部では、春に種をまいて秋に収穫する「春小麦」方式だ。今夏の干ばつはこの春小麦を直撃し、ほぼ全滅に近い被害をもたらしたのだ。


 四人の他にも、この地域の住民たちが百数十人、畑を囲んでこれから起こるであろうことを、じっと息を飲んで見つめている。民たちは「話題の女神様や聖女様が来て、おらたちの畑で何かしてくれるらしい」と言われて呼び集められ、なぜかみんな種籾の入った布袋を渡され、怪訝な面持ちだ。


「あそこにいらっしゃる派手な金髪の女神様はあっという間に堤をこさえる力をお持ちだと言うが、俺らの畑に役立つとは思えねえな」

「たとえ畑を元に戻してもらっても、これから種まきじゃ、収穫できねえ」


 疑問の声をあげつつも、すでに作物は全滅し土も固まり切って、雨がある程度降らねば耕し直すこともままならぬ。もはや自分たちの力では為せるところがないのだから、言う通りにするしかない。万に一つ、女神様たちが奇蹟を降ろしてくれたら……というのが住民たちの偽らざる気持ちである。


「あのアンネリーゼ様が絡んでいると聞いたら絶対こんなところに来たくはなたったのですけど、親友のリュシーがどうしてもと言いましたので、助けて差し上げますのよ!」


 荒れ果てた畑を前にほほほ、と笑い声をあげるブリュンヒルトは、安定の高慢ぶりである。

 

「あんなことをおっしゃっていますけど、今回の件に関してはブリュンヒルト様ご自身が大乗り気だったのです。ここに来る許可をゲルハルト様から頂く説得は、ほとんどお任せしましたから」


 リュシエンヌだけに聞こえるように耳元でささやくのは、ビアンカである。


 そう、ブリュンヒルトは呼吸をするように高慢ちきな振る舞いができる女であるため誤解されやすいのだが、その内面は優しい女性なのである。そして、実家の侯爵領はバリバリの農業地域。農民を助けたい気持ちは、一番強いのだ。しかしその優しい感情をあんな風にしか表現できないところが、実に残念な妃なのである。


「それにしても、よくゲルハルト殿下からのお許しがいただけましたわね?」

「ブリュンヒルト様、すっごく頑張りましたもの。『アンネリーゼより私たちが優れていることを、民たちに見せつけてまいりますわ!』とかあの調子でおっしゃって。そして……その夜のご奉仕を二人でいつもより頑張りましたので、気持ちよく送り出していただけました」


 あどけない少女のような表情で何やら生々しいことを口にするビアンカを見て、思わず頬を染めてしまうリュシエンヌ。マクシミリアンに対しそういう意味の「ご奉仕」はまだしていない彼女だけれど、いつそうなっても不思議はない現在の環境なのだ。ご奉仕不足で捨てられないように、「先輩」であるこの義姉たちに、手ほどきをしてもらうべきであろうか……しようもないことを考えて、あわててそれを脳裏から払う。


 何にせよ、最大のハードルと予想していた第二王子の妨害を受けなかったことに、リュシエンヌは胸をなでおろしていた。何しろこれから行うことは、成功すればアンネリーゼの名声を高めてしまう行為……それはすなわち、王太子エアハルトの地位を安泰たらしめることにつながるのだから。ブリュンヒルトたちはそれを承知であえて手伝いを肯じたのだが、ゲルハルトが何故、妃たちの申し出に許しを与えたのかは、リュシエンヌにとって理解の外である。


 実のところ、ゲルハルトはこの件をまったく重視していなかったのだ。花壇の草花を育てる程度の力しか持たぬ義姉に多少力を貸したとて、何事のこともなかろうと、高をくくっているのである。むしろ己の妃たちがより派手な活躍をすることで、自分の名声が上がるはず、というくらいの認識しかなかったのだ。


 もちろん魔法を使えないことを公言しているリュシエンヌなどは、彼の眼中にない。ここのところの洪水騒ぎや聖女の活躍といった情報をきちんと分析すれば彼女の優れた魔力供給能力と魔法ブースト性能に思い至るはずである。だが脳筋の彼は最近妃たちが挙げた成果を、日々の鍛錬が実を結んだと単純に喜んでいる。妃の二人も彼を逆上させる面倒を避けて、あえてそこについて説明せずにきているのだ。


「はい、準備はできたようですね。最初はビアンカ様です、お願いします!」

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