第32話 何だか便利がられてます
「皆さん、ご無事で何よりでした。工事現場はまたやり直しになりますが、皆さんが一人として欠けず生命や財産を失わずに済んだことが、私たちの喜びです」
黄金のように豪奢な金髪縦ロールをふわっと揺らし、何よりも民を重んじる姿勢をこれでもかとアピールするブリュンヒルトは、やはり妃にふさわしいと、同性ながら見惚れるリュシエンヌである。おぅっというどよめきと賞賛が、聴衆から上がる。
「此度は、ビアンカ妃があの濁流を、国随一とされる水魔法で止めてくれたことで、皆さんの大切なお生命を守ることができました。そして私の土魔法で、急造ではありますが堤防を築き、開拓地の浸水を防ぐことができました」
「そうだ! お二人ともゲルハルト王子のお妃様だ! ゲルハルト王子万歳!」
ゲルハルト支持派であるらしい監督兵士の一部からそんな追従が飛ぶが、いつもなら喜ぶはずのブリュンヒルトが、眉も動かさない。
「ですが、私とビアンカだけでは、今日の災害を食い止めることはできませんでした」
意外な彼女の言いように、民衆は眼を見開き、息を吸い込んで次の言葉を待つ。
「私たちは確かに大陸有数の強力な魔法を使えますが、先程のような大規模の魔法を打つことができたのは、彼女の助けがあったからです」
そう言って手を引いて、リュシエンヌを前に出す。
「彼女は術者の力を何倍にも強める、素晴らしい魔法を持っています。皆さんもご存じでしょう、最近噂の『紅聖女』、第三王子マクシミリアン殿下の婚約者、リュシエンヌ王女様ですわ!」
あまりに大げさな紹介に、背中がぞわぞわするリュシエンヌである。そもそも彼女に、術者の能力を上げる力なんかないのだ。そういうバフ魔法が存在するのは知っているが……そもそも魔法自体まったく使えない彼女には、縁のないものだ。だがブリュンヒルトは自分の立場を強くしてくれるために、このように大げさな賞賛を与えてくれているのだろう。居心地悪さを感じつつも、我慢しつつ無言で微笑む彼女である。
「おお、紅聖女様か! 噂通りの見事な紅い髪だな!」
「銀聖女ディアナ様と一緒に奇蹟を為されていると聞いたが、治水まで行われるのか!」
「ゲルハルト王子とマクシミリアン王子は王位を巡って競争相手だと言うが、お妃様同士は、あんなに仲良く協力されているのだな。並び立った姿は、三柱の女神のようだ……」
「そうだ、ブリュンヒルト様もビアンカ様も、そしてリュシエンヌ様も、アルスフェルトを守る女神様だ!」
「そうだ、女神様だ!」
勝手に盛り上がる民衆の様子に、満足そうに胸を張るブリュンヒルトと、嬉しそうだが申し訳なさそうな視線を送ってくるビアンカ。当のリュシエンヌは思わぬ神格化に若干げんなりしつつも、自分の微妙な魔力が民の幸せを守った喜びを、ぐっと噛み締めるのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
あの治水工事の日以来、リュシエンヌはやたらと忙しくなった。
ディアナの聖女業務、そして妃二人の土木業務には、もちろん必ず狩り出されるようになった。まあこれは彼女にとって、趣味のようなものである。自分の働きが民衆に感謝される快感を覚えたリュシエンヌは、嬉々としてこき使われており、婚約者たるマクシミリアンもそれを鷹揚に見守っているのだ。
もちろん、公務の無い日もある。しかし無駄に有名人となってしまったリュシエンヌには、国内の名家から次々とお茶会だの夜会だのと社交の申し込みが殺到しているのだ。
気が重いながらもこれも王子の伴侶たる務めと割り切って出かけようとする彼女なのだが、ここに関してはなぜかマクシミリアンのチェックが厳しく入るのだ。「敵地」とブリュンヒルト自らが称した第二王子妃との茶会に行くことをあっさり許可した彼が、大貴族たちからの招待状をためつすがめつし、そのほとんどを屑籠に投げ込む姿を見て、首をかしげるリュシエンヌである。
「あの……私も多少はマナーを存じておりますから、必要な社交は致しますけれど……」
「他の男が来るところに、リュシーを出すのはだめだ」
いつもの洗練された物言いとは違う、ぶっきらぼうな調子で吐かれたマクシミリアンの台詞に、顔を紅くするリュシエンヌである。時折彼が漏らす独占欲は、だれからもあてにされず感謝もされず求められもしなかった彼女にとっては、とても嬉しいものなのだ。
「マックス様。王族の妻としては、いつまでも社交に出ないというわけには行かないでしょう?」
「正式に結婚して、名実ともに私の妻としたら、もちろんお願いする。それまでは、だめだ」
マクシミリアンの言う「名実共に」の意味に思い至り、彼女は耳まで赤く染める。そう、契りを交わした男女は自由に魔力を共有できるというのに、彼はまだ、そういう行動を仕掛けてこないのだ。大切にされていることに喜びはあれど、物足りなさもある。
そんなことを考えてもやもやしているリュシエンヌの前に、一通の招待状が差し出される。
「私が許してもいいのは、これ一つだけだな」
それは、姑となるべき王妃からの誘いであった。
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