第30話 土木工事見学です

 治水工事が始まった。


 徴用した民たちが、鋤を振るって真っすぐな水路をひたすら掘り、蛇行した河水を流し込む準備をしている。ものすごい重労働だが、洪水を防ぎ、自分とその家族の暮らしを守るためという意欲に燃えて、水路工事は急ピッチで進んでいるようだ。


 一方魔法部隊は、民が溝を掘ったことで出た大量の土砂を土魔法を駆使して川の両岸に積み上げて、堤防を形成するのが第一の役目である。いつもは魔法省所属の土魔法使いを数十人集め、魔力が切れたらその日の工事は終わりという、大雑把な進め方なのだそうだ。


「アルスフェルト女性の中で二番目と称された、わたくしの土魔法をご覧になるとよろしいわ!」


 その秀麗な眉をきゅっと吊り上げて、高らかにブリュンヒルトが呪文を詠唱すれば、民がせっせと積み上げた土山が二つか三つ、一瞬のうちに粉々に砕けて空に舞い上がる。それはまるで生きているもののように虚空を飛び、リュシエンヌたちの立つ河畔に至ると、ゆっくりと降り積もり、巨大な畝のようなものを形成した。そして魔法省の者たちが、それを固める魔法を施せば、堤防の出来上がりである。


「ブリュンヒルト様、すごいわ……」

「そうでしょう、私は何度も見せていただいていますが、そのたびに驚いてしまうのです」

「ふふふ、もっと褒めても構わなくてよ! とはいえ、こんな強烈な土魔法は魔力消費が激しすぎて、せいぜい二回も打ったら終わりなのよ。だから、リュシーを連れてきたんじゃないの、ほら早くこっちに来なさいよ!」


 ドヤ顔で胸を張っていたブリュンヒルトがおもむろにリュシエンヌを捕まえ、前からぎゅっとホールドする。触れ合った胸のあたりから魔力がじんわりと抜けていくのを感じるリュシエンヌだが、彼女にとってこの程度の魔力譲渡は、まったく苦ではない。むしろ過剰な魔力を消費できて、体調が良くなるくらいである。


「う~ん、やっぱりリュシーの魔力は美味しいわね! 次はもう一個くらい、土山を増やせそう。さあ、行くわよ!」


 彼女の宣言通り、今度は四つの土山が宙に舞い上がり、先程より長い堤防が一気に形づくられる。彼女はあと二回同じように土砂を運び、およそ半マイル弱ほどの堤防を新たに現出させた。もちろん毎回、リュシエンヌからたっぷりと魔力を吸い取ってのことであるが。


「あの、ビアンカ様。ブリュンヒルト様は『女性で二番目』っておっしゃられましたよね。あの魔法威力で二番目だとすると、一番の方って……」

「ふふっ、そうですね。一番の方にはブリュンヒルト様も敵わないでしょう」

「どなたなのですか?」

「王妃様よ、さすがにあの方は別格。超えられないわ」


 ビアンカが答えようとするのをさえぎって、戻ってきたブリュンヒルト自らが小さなため息とともに種明かしをした。リュシエンヌも納得する、この間眼の前で、あれよあれよと言う間に砂の塔を造って見せた王妃の土魔法は、想像を絶するものであったから。


「だけどリュシーが味方してくれたら、王妃様にも挑めるかもしれないわね。今度お願いしてみようかしら」

「い、いえ、ブリュンヒルト様、さすがにそれは……」


 鼻息を荒くするブリュンヒルトを慌てて止めるリュシエンヌである。義姉と姑の間に挟まれて「貴女はどちらに付くのかしら?」なんてやられたら、立場がない。彼女の望みは、できるだけまわりの人に嫌われず、居心地よいこの国に末永く置いてもらうことなのだから。


「冗談よ、でもリュシーのお陰で今日はいい仕事ができたわ、お礼を申し上げましてよ」

「本当ですね、私の出番がなかったというのに、リュシー様は大活躍で」


 褒められて満更でもないリュシエンヌだが、ふと疑問を抱く。


「あの……ビアンカ様の出番というと、どういうものなのでしょう?」


 ビアンカはこの国随一の水魔法使いなのであるという。故に平民であるにもかかわらず第二王子ゲルハルトの側妃とされたのだ。もちろん、嫁ぐ前に子爵家の養女になるとか何とか、面倒な手続きを挟んでのことであるが。


 しかし、ここまでの工事は、ひたすら土仕事だ。民たちが水路を掘り、ブリュンヒルトたち土魔法使いが、堤防を築く。水魔法使いの出番は、どこにあるのだろうと。


「あ、そうですね。私の役割は、不慮の事態に備えてと申しましょうか。河が不意に増水した際に、その勢いをいっときでも止めて、作業している民を逃がす時間を稼ぐことなのです」

「そんなに急に増水することがあるのですか?」

「上流の堆積物が崩れたりすると、堰き止められた水が一気に流れてくるのよ。だけど本当に万一に備えてのことだわ。雪解けとか何とか、増水するシーズンは決まっているから、今日は間違いなく大丈夫でしてよ! だから活躍するのは私だけですの!」


 迷わず大丈夫と言い切ったブリュンヒルトが、何かのフラグを立ててしまったのだろうか。ドヤ顔で背筋を伸ばした彼女の背後から、見張り櫓の上から叫び声が響いた。


「おいっ、水が来るぞ、全員退避しろっ!」

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