第26話 六年前のお話です

 気力を振り絞って見上げた先には、傍らに咲いている薔薇よりさらに紅い、鮮やかな真紅の髪。柔らかくウェーブしたそれが風にそよぐさまは、まるで燃え盛る炎のようだ。だけど、その炎の中心には、少し丸みを帯びた白く小さな顔に、大きな茶褐色の眼。そして愛らしい鼻、ぽってりと膨らんだ唇。熱に浮かされた私には、眼の前にいる少女がまるで神から遣わされた天使のように見えたんだ。


「あ、だい、じょうぶだ……」


 ここで人を呼ばれるわけにはいかない。私は無理に起き上がろうとしたが、矢傷の痛みに思わず肩を押さえてうずくまってしまった。


「どう、なさったのですか……まあ、ひどい傷! 人を」

「呼ばないでくれ!」


 まだ鮮血が流れ出す傷に驚く少女に、私は声を低めて必死で訴える。彼女は息をのみながらも、私の意思を酌んでくれた。


「あ、でも、このままでは……私はお薬も持ってはおりませんし……」

「いや、大丈夫……ありがとう、もう行かねば……うっ」

「だめですっ!」


 ここに留まるわけにはいかないと身体を起こしただけで、痛みが走る。そんな表情を見た少女が、全身で覆いかぶさって私を押しとどめようとした……その時、それは起こったんだ。


 ただ、その小さな身体が私にしがみついているだけだというのに、その全身から甘い魔力が、じんわりと染み込んでくる。あまりの心地よさに、魔力の渇きに抗えなかった私は思わず、少女からその甘い魔力を全力で吸い取っていた。


「ひゃうっ!」


 少女が悲鳴を上げる。それでも存在を隠したい私に配慮して、控えめな声で。


 同性間で魔力をやり取りするのは、簡単だ。性質の同じ魔力は身体のどこかに触れれば、渡すのも受け取るのも問題なくできるものだ。


 だが異性間では魔力の性質が異なる。ゆっくり相手に流すときは良いが、急速に流す時には一旦魔力を体外に出し、それを改めて相手が吸い取る必要がある。魔法を普段使わない者が魔力を外に放出する際には、強い痛みや違和感を覚えるものなのだという。彼女も、おそらく魔法を使ったことなどないのだろう。


 自分の行為が彼女を苦しめてしまっていることは自覚していたが、止められなかった。だって、灼熱の砂漠をひたすら歩いて倒れた時に、眼の前に冷たい水を一杯そっと置かれたら、誰だってのどを鳴らして一気に飲んでしまうだろう? その時の私は、そんな感じだったんだ。


 そして、少女がくたりと脱力し、私の胸にもたれかかった時に気付いたんだ。底をついていたはずの魔力が、全回復していることに。私の身体が、極上の魔力で満たされていたんだ。


 まだ矢傷は痛いが、気力は完全に回復している。その時は、刺客が何十人押し寄せてこようが、なぜか負けない気がしたんだ。試しに起き上がると、全身の筋肉に力が戻っていることを感じる。


「大丈夫……なのですか?」

「うん、君のおかげだ」

「私の……ですか?」


 あれだけの力を発揮していながら、少女は自分が何をしたのか、まったく自覚がないらしい。きょとんとした表情で、上目遣いを私に向けている。その茶褐色の瞳が、不意に揺らいだ。


「誰か来ます!」


 程なく私も、刺客らしき奴らが立てる忙しげな足音に気づいた。ある程度戦闘訓練を受けている私より先に闖入者の存在に気づく少女の鋭さにも、新しい驚きが湧く。


 当然のことながら薔薇の茂みは身を完全に隠すには不十分すぎる。庭園に乱入してきた三人の刺客は、容易に私と少女を見つけ出した。


「囲め、逃がすな!」

「魔法に気をつけろ、ガキでも手強い!」

「大丈夫だ、さっきの大技で、間違いなく魔力は打ち止めだ。そこの子供も一緒に、確実にここで殺せ!」


 短剣を構えた刺客たちが、三方から迫ってくる。腕の中にいる少女は、怯え震えて、私の胸に顔を埋めている。そうだ、この娘を危険に巻き込んでしまったのはこの私だ。彼女を、守らないと。


 なぜだか頭の中が自分でも驚くほど澄み切って、落ち着いていた。そして魔力は十分……大丈夫だ、こいつらには負けない。まずは、最初のやつを派手に殺して、他の連中をためらわせることだ。


 右から襲ってくる敵が、一番近い。そう判断した私は「氷の矢」をそいつの胸に撃ち込んだ……乱れ撃ってしまった先程と違って、極太のやつを一本だけ。その男は胸の真ん中にリンゴが丸々入るくらいの大穴をあけて、その場に倒れた。


「うわっ!」

「魔力切れではなかったのか?」


 目論み通り、残る二人の刺客は一旦飛びのいた。反射的に身を守ったつもりなのだろうけど、冷静に考えたらそれは愚かな行為だ。距離をとって魔法使いと戦うなんて、自殺行為だからね……彼らはむしろ、いちかばちか突っ込んで、接近戦を挑むべきだったんだよ。


 いずれにしろ奴らの動きは、思う壺というものだった。私は「氷の矢」で一人の膝を撃ち砕いて、残る一人の下半身を氷漬けにしてやった。こいつらには、背景を吐いてもらわないと、いけなかったからね。

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