第25話 なれそめ、ですか?

 いつもと変わらないクールな視線を送ってくるマクシミリアンの向かいに座って、首を縮めるリュシエンヌ。しかし王子の口元がわずかに緩んでいるのを見つけて、ご機嫌は悪くないのだわと推測できるくらいには、「氷の王子」に慣れてきた彼女である。


「あの、できれば、お仕置きは痛くないものでお願いできればと……」

「ふむ」


 上目遣いのお願いが効いたのかどうか、王子は向かいの席を立つとリュシエンヌの隣に柔らかく座ると、彼女の手を優しく取った。


「きゃうん!」


 だがマクシミリアンは、まったく優しくはなかった。触れ合った手から今までになかったくらい強烈な量の魔力を一気に引っこ抜かれ、またまたあられもない悲鳴を上げてしまう。確かに痛くはないのだが、無理矢理魔力の出口を広げられて、どばどばと自分の魔力が流れ出していく感覚に慣れるのは、当分できそうもない。


「お仕置きはこれで、許してあげよう。私も、当然君が覚えていてくれたのだと思い込んでしまっていて、何も説明していなかったのだから」

「ごめんなさい……本当に、心当たりがないのです」

「六年前に、私と同じ銀髪と碧の瞳を持った少年が『いつか君を迎えに行く』って約束したのを、覚えていないかな?」


 蜘蛛の巣が張った記憶の物置きを彼女なりに一生懸命探っていたリュシエンヌの眼が、さらに大きく見開かれる。


「え、でも、あれは……使用人の子供だったのでは?」

「ようやく思い出したか、あれが私だ」

「だって、あんなみすぼらしい格好した人が、王子様だなんて……」

「ごめん、リュシエンヌ。最初から、話す必要があるみたいだね。君を、絶対私のものにするって、決めた理由をね」


 マクシミリアンは、ゆっくりと語り始める。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 私はその頃十四歳。成人まであと一年だったけれど、王族の一人として外交の経験を徐々に積むべき時に来ていたんだ。その第一歩がローゼルトであったのは、かの国の立場が、我が国に対し実に弱いものであったからだ。火花が出るようなガチンコの外交をする前の、いわば肩慣らしとでもいうべき外遊だったわけさ。


 公式の表敬訪問は、とてもつまらなかった。外面だけは何とか上品に糊塗しつつも、早く帰れという内心を隠し切れない国王、そして大したことない火魔法が使えるのだけが自慢であるらしい、頭の悪そうな王子王女たち。


 肝心の外交交渉も、あまりに楽すぎて拍子抜けだった。特別私の外交能力が優れていたわけではない。かつての敗戦国ローゼルトの立場が弱かったのと、その関係を鋭い弁舌で正そうという気概のある外交官が、相手側にいなかったからだ。


 そんなわけで、初の外交は文句なく終了、あとは王家主催の夜会に出れば、このつまらない奴らしかいない国とはおさらばだ。そんなことを考えていた私は、やはり気が緩んでいたんだろうね。


 王宮の回廊をのんびり歩く私の耳に、ひゅっと風を切るような音がかすかに聞こえたような気がした。その瞬間反射的に跳びのこうとした私は、今にしてみれば大したものだと思うよ。お陰で首筋に突き立つはずの矢が、肩に刺さるだけで済んだのだから。


 私ほどの感応力を持たない随従の者はすでに、石畳に倒れていた。そもそも外交団なのだから、防具も何も付けていないのだ、弓で狙い撃ちされたらひとたまりもないわけだよね。


 九死に一生を得たはずの私だけど、やはり生まれて初めて直面した生命の危機に、てんぱってしまったのだろうね。自分を射たらしい刺客の姿を見つけるなり、全力で「氷の矢」を撃ってしまったんだ。もちろんその一発で犯人をあっさり片付けたけれど、複数の味方が一瞬でやられているんだ。刺客はもちろん、一人ではなかったわけだよね……今思えば、何て考えなしだったってこと。


 魔法使いにとって戦いの中での魔力切れは、死と同義だ。「氷の矢」の威力を計算して抑えれば十発やそこらは撃てるはずだったのに、頭にカッと血が昇った私は、たった一発放っただけで無力な少年に戻ってしまったんだ。


 私は不注意で愚かだ、だけどここで死ぬわけにはいかない……その思いで、私は全力で逃げた。背中にもう一矢狙い撃ちを受ければ生命はなかったのだろうけど、私が全力で撃った氷矢の威力に、相手も怯んでいたのだろうね。何しろ、百を優に超える氷の矢が一人の刺客に殺到して、その肉体をぼろぼろに引き裂いたのだから。


 敵がためらっているほんの短い間に、私は王宮の中でも、雑多な雰囲気の漂う区画に走り込んでいた。おそらく料理や洗濯など、雑用に携わる人々の働くエリアなのだろう。とにかく身を隠したい私には、そこは格好の場所であるようだった。


 こんなところでまず最優先は、自分が高貴な身分であることを隠すこと。庭の隅の小さな小屋に忍び込むと、まず肩に刺さった矢を抜く。毒矢でなかったり矢じりに返しがついていなかったりしたことは、私にとって幸運だった。わずかに残った魔力で、最低限の痛みを止める。


 おそらく庭師のものであろう作業服が室内に干してあるのを失敬して、高価な絹服の上からかぶり、私はその区画を探索した。何とか、信頼できる者を見つけなければならない。そこらへんをうろうろしている衛兵ではダメだ。私と刺客、どっちの味方だかわかったものではないのだから。


 肩の傷が、徐々に熱を持ってきて、頭もぼうっとしてくる。追っ手から早く逃げなければならないというのに、魔力の切れた私の身体は、思うように動いてくれない。結局力尽きて、バラの茂みに隠れて座り込んでしまったんだ。敵がここを見つけるのも時間の問題だろうが……もはや逃げる気力はなかった。私は首を垂れ、眼を閉じた。


「あの……具合、悪いのですか?」


 その時、頭上から天使の声が響いたんだ。

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