第24話 美味しいワインです

 第二王子妃たちとのお茶会から十日ばかりたった。主に聖女ディアナのお手伝いで結構忙しく、二人の妃にあれこれ恥ずかしい突っ込みをされたことなど半ば忘れかけていた頃。


 その夜、東の宮に戻ってきたマクシミリアンが、夕食の席でそのクールな表情を動かさずに口を開いた。


「リュシー、少し話したいことがある。あとで応接室に茶を用意させるから、来てくれ」

「はい、参りますわ」


 もう婚約者なのであるからどちらかの寝室で会えばよいのだが、意外にお堅いこの王子は、二人切りになるときはいつも応接室のような共用スペースを使って、しかもドアを開け放って話すというところまで気配りをする。手を出さないという明確な意志を示しているのである……あくまでも今は、であるのだが。


「ああ、それともリュシーは、ワインの方が良いのだったか?」


 冷徹そのものの表情から、口元だけふっと緩ませてそんなことを言うこの王子に、いつぞやの醜態を思い出して耳まで赤くなるリュシエンヌだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 結局のところ応接には紅茶ではなく、冷えたワインが準備された。この国特産である甘口ワインの口当たりの良さにはもう騙されないぞと身構えつつ一口含んだリュシエンヌは、思わず声を上げた。


「美味しいっ!」


 いつぞや潰れるまで飲んでしまった甘口ワインとは比較にならない、強烈な甘み。それでいて特有の芳醇な香りと意外に強い酒精。これはハマりそうな味だわ、飲み過ぎないようにしないとと、もう一度自分を戒める彼女である。


「ふふっ。やはりリュシーの好みだったようだね。これは貴腐ワインと言って、特別なカビがついた葡萄でつくるものなんだ」

「カビ、ですか?」

「そう、このカビが付くと皮から水分が抜けて、とても甘くて特有の香りがする葡萄ができるんだよ。それを使って醸したのがこれさ」

「素敵です! でも、お高いんですよね?」


 すぐ値段が気になってしまうのは、貧乏な暮らしが精神にまで染みついた彼女の習性である。


「少しはね。でも、リュシーと大事な話をする時には、このくらいのものは必要だ」

「大事な……お話って、なんでしょう?」


 いぶかしむリュシエンヌに、表情を変えないままマクシミリアンが告げた。冷酷とも評される彼の表情だが、普段彼女を見つめるときには口元を少し緩めている。しかし今、そのわずかな笑みすら浮かんでいないことに、彼女はようやく気付く。


「今日、魔法協会の集会があったんだ。その後に懇親の茶会があってね、珍しくブリュンヒルト妃に話しかけられたんだ」

「……」

「私と君のなれそめをやたらと聞きたがってね。まあ適当にごまかしたんだけど、彼女が聞き捨てならないことを言ったんだ。リュシーはこの国に来るまで、私に会った記憶がないってね」


 その言葉を聞いたリュシエンヌの背筋が緊張で突っ張る。冷たい汗がこめかみに流れ、あれほど感動した貴腐ワインの甘みや香りが、まったく感じられない。


 おそらくマクシミリアンは、自らの勘違いに気付いたのだろう。リュシエンヌだと思い込んでいた「運命の乙女」が別にいることを知った彼は、これから彼女に三行半を突き付けようとしているのではないか。ここは何とか、謝り倒してでもローゼルトに戻されることだけは回避せねばならない。


「申し訳ありません! ブリュンヒルト妃のおっしゃる通り、私にはマックス様にお会いした覚えが、まったくないのです」

「やっぱり、そうなのか……」


 肩を落とす彼に申し訳なさを感じつつ、リュシエンヌの舌は保身のためにひたすら回転し続ける。


「ですからっ! マックス様が記憶されておられる女性は、どこか他にいらっしゃると思わざるを得ず……あっもちろん、その方をお妃になさって下さい! 私は側妃でも……いいえマックス様がお嫌だったら、ディアナ様の侍女としてお仕えさせていただくとか……いや、あの、とにかくっ! 私をローゼルトに帰さないでいただければ、何でも致しますからっ!」


 リュシエンヌがところどころ噛みながらも必死で吐き出す台詞は、ローゼルト送還さえ避けられればマクシミリアンと結ばれなかろうがどうでもいいと言っているような……いや実際、そう言っているのである。


 王子は、はぁ〜っと深いため息をつく。そしていよいよ愛想を尽かされたかとなおも言葉をつなごうとするリュシエンヌの手に、自らの手を重ね、ぎゅっと握り込む。


「リュシー、何か盛大な勘違いをしているみたいだけれど、私の心の中にずっと住んでいた乙女は、間違いなく君だよ」

「ほぁ?」


 完全にてんぱっているリュシエンヌが間抜けな返事をするのに構わず、マクシミリアンは続ける。


「私は確かに六年前君と会って、生命を救われている。それ以来ずっと、あの少女を自分のものにするべく、動いてきたんだ」

「本当、なのですか?」

「ああ、間違いなく。だけどリュシーがそれを、毛ほども覚えていないと聞いた私のショックを、君は理解しないといけないよ」

「あ、はい。実に申し訳なく……」


「さて、悪い子へのお仕置きは、何にしようかな?」

「ひいぃっ!」

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