第14話 やってしまいました……

「うぷっ、苦しい……」

「ごめんなさいお姉様、もしかして、お酒初めてでした?」


 そう、もしかしなくても、初めてなのだ。ローゼルトにいる間はずっと使用人扱いで、夜会にも晩餐会にも縁がなかったリュシエンヌだ、生まれて以来酒の類を口にする機会など、とんとなかったのだ。


 だが、この大陸では十五歳で成人として、酒も飲める。二人の聖女が奇蹟を起こし、多くの住民を救った姿を見た者たちは大いに盛り上がったあげく、十七歳で飲酒オッケーであるはずのリュシエンヌに、かわるがわるワインを勧めてきたのだ。


 断り切れなくなった彼女がついにしぶしぶそれを口にした瞬間、その頬が一気に緩んだ。


「美味しい……っ」


 果実の甘みが十分に残って、それでいて独特の渋みが舌に残る。屋台の親父が気前よくタダでくれた串焼き肉との相性も、抜群だ。


「おお、紅聖女様の飲みっぷりはなかなかのものだ、どうぞこちらも一杯」

「あ、はい……んっ、これも甘くて、飲みやすいわ」


 そうやって調子に乗せられ、流されるまま飲み続けたリュシエンヌは、泊めてもらった教会でたった今、王族としても淑女としてもあるまじき醜態をさらしているところだ。


「ううっ、まだ来そう……」

「はいはい、仕方ありませんねお姉様は。私に任せてくださいね」


 ディアナがドヤ顔をしながら何かぶつぶつ唱えると、リュシエンヌの背中に当てた掌が薄紅色に光る。その光が消えるころには、頭痛も吐き気も、不思議に収まっていた。


「治癒魔法を酔い醒ましに使ったのは、お姉様相手が初めてですよっ!」

「ごめんなさい、ありがとう……」


 生まれて初めての苦しみから解放された彼女は、この小悪魔的な十三歳の聖女に心から感謝を捧げるとともに、限度をわきまえて飲まねばならないと、心に刻むのであった。「もう飲まない」とは決して考えないリュシエンヌである……何しろ初めてのお酒は、とっても美味しかったのだから。


「いつも控えめなお姉様が、あんなに嬉しそうにお酒を飲むなんて、意外でした」

「うっ……そうね、本当に、幸せだったのだもの」


 そう、彼女は生まれて初めての幸せに、ちょっと羽目を外してしまったのだ。何の役にも立たなかった有り余る魔力がディアナの奇蹟をサポートし、あの青年を助けた。そしてその功を人々が認めて、彼女を賞賛する声が教会のまわりに満ちたのだから。


「私の治癒魔法も、お姉様の色に染まってしまったわ」


 なぜだか嬉しそうな、ディアナである。そう、彼女の治癒魔法は、淡い緑色を呈していたはずだ。しかしこの一日の間、リュシエンヌの紅色した魔力をじゃぶじゃぶ注ぎ込まれ、今や術の発動を示す光は、薄紅色に変化している。


「これからは聖女の公務は、お姉様と一緒じゃないといけませんね。ふふっ」


◇◇◇◇◇◇◇◇


 程なくして「銀聖女と紅聖女」あるいは「王家の聖女姉妹」の噂は、アルスフェルト国内に満ちた。


 もちろんこれまでも代価を求めず重病人を癒す聖女ディアナの奇蹟はある程度知られていたのだが、所詮その恩恵が得られるのは一回当たり十人かそこらがせいぜい。


 そして、ディアナ本人が何も謝礼を取らないからと言っても、運良くその十人に当たった者たちには、教会に多額の寄付をするべく無言の圧力が掛かろうというもので……実際に選ばれるのはある程度富裕な民に限られ、本当の庶民に行き渡るものではなかったのだ。聖女の噂はある程度広まるものの、絶対的な評判を勝ち取るには、支持の裾野が今ひとつ狭い。


 だが魔力だけは無限に近いリュシエンヌがディアナのサポートに入ることで、状況は大きく変わった。一回あたり百人以上の治癒がこなせるようになり、連日実施することも可能。奇蹟を受けられる対象者が、一気に広がったのだ。もちろん教会も、過度の寄進を求めることはしなくなっている。かくして王都周辺の住民は、最下層の庶民に至るまで恩恵をこうむることができるようになったのだ。


 当然、救われた民、それを眼にした者たちは、その感動をありとあらゆるところで若干の尾鰭をつけて語る。酒場で、市場で、乗り合い馬車の中で。


 加えて吟遊詩人にとっては、若く美しい二人の少女が無償の愛を振りまいて民草を救うシーンは、創作意欲をいたくそそられるネタである。彼らは酒場で、街角や辻で、「銀聖女と紅聖女」を讃える叙事詩を竪琴の調べに乗せて情熱的に唄いあげ、民衆はそれに聞き惚れたのだ。


 そんなこんなで高まる「聖女姉妹」の評判に、王妃は心配そうな面持ちだ。


「ねえマックス、これってみんなあなたの差し金よね? 意図が分からないわ、あの可愛らしい王女を絶対離さないと言いつつ、一方でわざわざ彼女の能力を宣伝するように立ち回っているなんて。このままいけば噂はローゼルトにも伝わって、あの国の恥知らずな王族が、彼女を取り戻して都合よく利用しようと動くでしょう。リュシエンヌの能力を、隠しておいた方がいいのではなくて?」


「ええ、私はリュシエンヌをローゼルトに返す気は、さらさらありません。ですが隠して置いたとて、いずれ彼女の規格外の能力は、奴らの知るところとなるでしょう。であれば、早いところそう言う汚い奴らを叩き潰して、二度と彼女に手を伸ばす気にならぬよう、しつけてやるのが得策かと思うのですよ、母上」


 そう答えたマクシミリアンの眼は、強い意志に満ちていた。

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