第13話 聖女様の奇蹟です

 荷車に乗せられたまま広場に運び込まれてきたのは、まだ生きているとはとても思えないほど重い傷を負った少年だった。


 右腕は何か強い力でねじ切られ、左足は妙な角度で曲がっている。側頭部は血まみれで、眼の上が大きく腫れあがり、顔色はどす黒い。口の周りにも血を吐いたような痕跡があり、内臓がどこか損傷していることを窺わせ、すでに呼吸は途切れがちだ。


「なんてひどい……」

「暴走した馬車に轢かれて……なああんた、聖女様なんだろ、助けてくれ! お願いだ!」


 ディアナは食い入るように瀕死の重傷者を診ていたが、やがて悲しそうにつぶやいた。


「残念ですがこの方を癒すには、私の魔力では足りないと思います……」

「そんな……何とかならねえのかよ! あんたのために何でもするよ!」


 兄であるという男の悲痛な訴えを、眼を伏せてただ聞いていたディアナが、はっと顔を上げてリュシエンヌを見た。


「お姉様、私を抱き締めて、魔力を流しっぱなしにして下さい!」

「ええ、わかったわ!」


 ディアナか何をしようとしているか理解したリュシエンヌが、右手をお腹に、左手を胸に回して、背中からぎゅうっと抱き締める。すぐに彼女の胸のあたりから、魔力がディアナの背中に吸い込まれていく。


「いい感じ! やるわ! 神よこの少年に、癒しを与え給えっ!」


 ディアナがそう唱えると、自分から彼女に流れる魔力の勢いが、一気に上がる。だがそれは、マクシミリアンに魔力を引っこ抜かれる時のような違和感も苦しさもない、むしろ気持ちがいいくらいだ。それより、この魔力がディアナの奇蹟を、少しでも後押しできているのだろうか。そっちの方が気になるリュシエンヌである。


「おおっ! 呼吸が戻ってきた!」


 兄であるらしい男の、驚嘆の声が聞こえてくる。うん効いてるんだ、ディアナちゃんもうひと頑張り、そう思いを込めて、一回り小さい身体に、強くしがみ付く。


「傷が消えていくよ……」

「見ろっ、腕が、腕が元に戻っていく!」


 取り巻く群衆の声が、ディアナとリュシエンヌを後押しする。治癒の奇蹟は十分ほども続いたであろうか……やがて聖女の肩から、力が抜ける。


「終わった……の?」

「ええ、終わりました。もう、大丈夫ですよ」


 その声に、ようやく身体をディアナから離してみれば、彼女の眼前には、傷ひとつなく、すっかり血色も健康な男のものに戻った、患者の姿があった。


「すげえ、あんな怪我人を、すっかり治しちまった、本当の奇蹟だ!」

「さすが、聖女様だわ!」

「聖女ディアナ様、万歳!」「ディアナ様!」


 群衆は、口々に奇蹟を成し遂げた聖女を褒め称える。だがその聖女は、天使のような微笑みを浮かべながら、片手を上げて人々を制した。


「聖女様?」「どうなさった?」

「皆さん、私を称賛して下さって、ありがとう。でもたった今行った奇蹟は、私の力だけで、なし得たものではありません」


 たった今、人知を超えた術を見せた高揚も見せず、ディアナは民衆に向かい、静かに語りかける。

 

「どういうことでしょう、聖女様?」

「この方は腕を失われただけでなく、頭の中にも、そして内臓にも深刻な損傷を負っておられました。確かに私はいずれの損傷も治す能力を持っております。ですが、残念ながら持っている魔力は限られているのです。いずれか一箇所を治した時点で、私は魔力切れで倒れていたでしょう」

「ですが……聖女様は全てを、治癒して下さったではありませんか!」


 その言葉にこぼれるような微笑みで応えると、ディアナは事の成り行きについていけずたたずんでいるだけだったリュシエンヌの腕に抱きついて、群衆の前に引きずりだした。


「それは、この義姉様のおかげなのです! 私の大好きなお姉様が、術を施す間ずっと、ご自分の魔力を与えてくださったの。お姉様の魔力が、先ほどの奇蹟を可能にしてくれたのです……私を聖女と讃えてくださるならば我が姉も、聖女であるはず!」


「姉君だってえ?」「そんな方、王室におられたか?」「知らなかったなあ……」


 そんな民の反応も織り込み済みとばかりに、ディアナはぐっと胸を張り、言葉を継いだ。


「ええ、私の大事なお姉様は、こんどマクシミリアン兄様に嫁いで来られるお方なのです。魔法王国と呼ばれる隣国ローゼルトの王女、リュシエンヌ様とおっしゃるの!」


「なるほど、王子妃様になられるのか!」

「ローゼルトの王族とあらば、規格外の魔力をお持ちなのもうなずけるな」

「それにしても、見事な赤毛をお持ちだなあ……ディアナ様の銀髪も美しいが……」

「そうだ、ディアナ様が銀の聖女なら、姉君は紅の聖女だ!」

「おお、紅の聖女!」

「銀聖女ディアナ様、万歳! 紅聖女リュシエンヌ様、万歳!」


「ほらお姉様、みんながお姉様を讃えていますよ。応えてあげてください!」

「えええっ!」


 満面の笑みを浮かべるディアナに背中を押され、ひきつりつつも無理に作った笑顔を民衆に向けて控えめに手を振ると、広場中がどっと盛り上がる。


 夜は長い、お祭り騒ぎはまだまだ続きそうだ。

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